入り乱れる闇の書を巡る戦いは、勝った負けたの単純な線で区切れないまま、街の空気だけを少しずつ削っていった。
なのはたちの弾幕と、守護騎士の刃が交差するたびに、誰かの善意が擦り減り、誰かの焦りが濃くなっていくのが分かる。
そして季節は、そんな人間の都合とは無関係に、秋の匂いを切り捨てて冬へと移っていた。
息を吐けば白く、手袋の中で指先が冷えるようになった頃には、闇の書の頁がめくれる音が、現実の風音と混ざって聞こえる気さえする。
その夜、俺は教室の電灯を落として鍵を掛け、誰もいない廊下を歩きながら、ゼータの気配が寄ってくるのを待っていた。
ゼータはいつも通り、気配の置き方が上手いくせに、報告を持ってくる時だけわざと存在感を濃くする。
こちらの神経を刺して、反応を見たいのか、それとも俺に“今からは本題だ”と分からせたいのか、どちらにしても性格が悪い。
「……見舞いって、そこまでの状態になっていたのか。」
俺が先にそう切り出すと、ゼータは肩をすくめ、目を細めるだけで肯定の形を作った。
「どうやら、かなり進行しているみたいなんだ、このままじゃ危険だって言う報告をね。」
淡々と言うくせに、単語だけが重いのは、ゼータが嘘をついていない証拠でもある。
俺は一度だけ息を吐いて、頭の中で盤面を並べ替えた。
転生者が次に何を“未遂”で済ませようとするのかも、管理局がいつ本格的に網を締めるのかも、海東がどんな顔で笑ってくるのかも、全部がまだ不確定だ。
不確定のまま動くのは嫌いだが、放置すればはやてが壊れるという確定だけは、もう無視できないところまで来ている。
「……という事は、そろそろやらなきゃいけないかもしれないな。」
俺は結界の縁で指を鳴らし、影の中にいるはずの二人へ視線を投げた。
「イータ、準備の方はどうだ。」
眠そうな声が、すぐに返ってくる。
「うーん……まあ、大丈夫だと思うよ、外付けも、遅延も、もしもの時の固定も用意したからね。」
背後でデルタが尻尾を揺らし、分からないままでも置いていかれるのが嫌な顔をした。
「ボス、やるって何をするの?」
俺はデルタの頭に手を置き、落ち着かせるように撫でながら、言葉を選んだ。
「……闇の書の暴走している原因へ直接行く。」
本当ならもっと時間をかけて、転生者の“記憶と能力”の仕組みを固めてから踏み込みたかったが、今は待っている時間が命を削る。
「本当だったら、もう少し時期を見たかったが、そうも言っていられないからな。」
俺は自分に言い聞かせるように続け、無理に余裕を作るために口元だけで笑った。
「とにかく、行くか、俺が無防備の間は頼むぞデルタ。」
デルタは胸を張り、勢いのまま頷く。
「勿論です、ボスの番ですから、絶対に守るのです!」
ゼータは小さくため息を吐くが、否定はしない。
イータは眠そうに瞬きをして、「死なせないから安心してね」とだけ言った。
「とにかく、行くとするか。」
そうして俺たちは、夜の病院へと向かった。
冬の病院は、どこもかしこも白くて、清潔さが逆に人間の弱さを際立たせる。
廊下の消毒液の匂いは、戦場の血の匂いよりずっと静かで、だからこそ余計に怖い時がある。
受付で教師の顔を通し、面会の手続きを済ませて、はやての個室へ歩くまでの間に、俺は何度も最悪の展開を頭の中で潰した。
闇の書がここで暴れれば、俺は“侵入”どころじゃない。
海東がここで盗みを働けば、俺の仮面は割れる。
転生者がここで何かを試せば、病院の静けさが一瞬で地獄に変わる。
個室の扉の前で、デルタに背後を任せ、ゼータには廊下の両端を見張らせ、イータには装置を起動させる準備だけをさせた。
そして俺はノックもそこそこに扉を開け、室内を見た瞬間、内心で舌打ちをした。
「失礼って、どういう状況だ、これは。」
そこには、まさしく事件の中心人物である生徒たち――高町なのはとフェイトがいて、空気の端にユーノの気配まで混ざっている。
さらに、その向かい側にはヴィータをはじめとする守護騎士たちがいて、互いに睨み合っているわけではないのに、いつ火花が散ってもおかしくない緊張が漂っていた。
そしてベッドの上にはやてがいて、笑顔を作ろうとしているのに、その笑顔の端が少しだけ痛そうだった。
「えっ、先生?」
なのはが驚いて声を上げる。
「ツカサっ」
ヴィータが反射で一歩前へ出かけて、俺がデルタの視線で制止したのを見て舌打ちを飲み込んだ。
「あっ、ツカサ先生、なんでここに?」
フェイトの質問は素直で、だからこそ答え方を間違えると余計な疑いを生む。
俺は肩をすくめ、喰えない調子で半分だけ本当を言う。
「ウチのゼータと仲良くしているからな。」
ゼータが「仲良くはしてないけどね」と言いたげに目を細めたが、今日は黙っている。
イータがのそのそと部屋に入ってきて、寝起きみたいな顔で軽く手を振った。
「どうも、初めましてぇ……眠いけど、検査の時間は起きるよ」
「あっイータさん」「えっと、デルタさんだよね」
なのはとフェイトの視線が、俺の後ろに並ぶ三人へ移り、驚きがそのまま疑問へ変わるのが分かった。
アリサが、悪気なく言葉を選びながら口を開いた。
「ツカサ先生って、なんというか……大人の3人の女性といたんですね。」
俺は間髪入れずに返す。
「どっちかと言うと娘みたいなもんだ。」
すずかが苦笑いをして答える。
「無理があると思いますけど。」
室内の緊張が一瞬だけ緩み、はやてが小さく笑った。
その笑い声が出たこと自体は良いが、笑った直後に咳を抑える仕草が入ったのを俺は見逃さなかった。