悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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夢の中の楽園

意識を沈めた瞬間、眠りへ落ちるというより、底の見えない水面を突き破って別の層へ滑り込んだような感覚が全身を包んだ。

ゼッツの力を通して潜り込んだ夢の世界は、現実の病室とは似ても似つかず、色も音も距離感も、全部が少しずつ狂っている。

最初に感じたのは、確かに嫌な魔力の集合体だった。

腐った祈りと、削れた願いと、誰かの苦痛を無理やり圧縮したみたいな、触れたくもない質感が辺り一面に漂っている。

闇の書が長い時間をかけて溜め込んできた澱だと考えれば、むしろ分かりやすい部類だった。

 

だが、その嫌な気配は入口付近だけで、奥へ進めば進むほど、同じ魔力のはずなのに、どこか性質が違っていく。

禍々しさの底に、丁寧に押し殺した優しさのようなものが混ざり、誰かを守ろうとした結果だけが歪んで残った匂いがした。

だからこそ余計に始末が悪い。

悪意だけなら斬ればいいが、善意が壊れて化け物になったものは、斬るだけでは終わらない。

 

「……ここは、夢の姿を借りた檻みたいな場所だな、はやてを閉じ込めるには静かすぎる。」

独り言を落としながら進むと、景色は徐々に変わっていった。

暗く澱んだ霧の向こうに、どこか懐かしい家庭の匂いを帯びた廊下が浮かび、温かな灯りが部屋の隙間から零れている。

それは、はやてが欲しかった日常そのものの形をしていて、だからこそ残酷だった。

奪われたものほど、夢の中では都合よく再現される。

 

そうして辿り着いた夢の中心には、ベッドの上で穏やかな寝息を立てるはやてと、その傍らに立つ銀髪の女がいた。

白く長い髪は静かな水面みたいに揺れ、赤い瞳の奥には怒りでも憎しみでもない、もっと深く疲れ切った祈りが沈んでいる。

俺は足を止め、その女を真正面から見据えて言った。

 

「お前か、はやてを眠らせているのは、こんな優しい牢屋を作る趣味があるとはな。」

銀髪の女は少しだけ目を伏せ、それから逃げもせずに俺を見返してきた。

「……やはり、来ましたか、ディケイド。あなたの魔力がこの中へ入った時点で、いずれ来ると思っていました。」

 

その返しで確信する。

こいつはただの暴走した防御プログラムじゃない。

少なくとも今この場では、自分が何をしているのかを理解し、その上で“選んで”いる。

 

「あなたの事は魔力がこの中に入った時点で知りました。そして、あなた自身の事も、表面だけなら理解しています。」

俺は鼻で笑い、肩をすくめる。

「知っていて、わざとか。だったら随分と性格が悪いじゃないか、俺みたいな奴を試すなら尚更だ。」

銀髪の女は否定せず、ただ静かに頷いた。

「……はい。あなたが世界の破壊者という力を押しつけられた、ただの子供だったことも知っています。」

 

その言葉は、痛みを抉るための刃というより、同じ傷を持つ者の確認みたいに聞こえた。

だからこそ、余計に面倒だ。

同情される筋合いはないし、理解されると反論もしづらい。

 

「そのあり方は、今の主はやてと同じであり、あなた自身もまた願っていたはずです。死にたいと、そう思ったことが。」

真正面から言われると、否定の言葉が喉に引っかかる。

俺は舌打ちの代わりにため息を吐き、目を逸らさずに答える。

「否定が出来ないのが辛い所だな、だからといって肯定したい話でもないが。」

 

銀髪の女は、そこでようやく俺から視線を外し、眠るはやてへ顔を向けた。

その横顔は、守護でも支配でもなく、ただ“終わらせたい”と願う者の顔だった。

「だからこそ、このまま寝かせてください。主はやてが幸せな夢の中で過ごせるように、それがせめてもの救いです。」

 

俺はその言葉をすぐには切り捨てなかった。

切り捨てられるほど、はやてが歩いてきた道は軽くないし、俺自身も“逃げるために眠る”という発想を一度も抱かなかったとは言えない。

ベッドの上で穏やかに眠るはやてを見れば、このまま何も知らせず、何も奪わず、夢の中だけで幸せにしてやるという選択肢が、一瞬だけ現実味を持って迫ってくる。

 

「幸せか。本当にこのままにしておくのも、確かに一つの道かもな、少なくとも痛みからは遠ざけられる。」

俺がそう言うと、銀髪の女は驚いたように目を見開いた。

「……否定はしないのですね。あなたなら、もっと強く責めると思っていました。」

俺ははやての寝顔を見下ろし、少しだけ口元を歪める。

「否定する権利なんて、俺にはない。けれど、こいつの人生は本当に辛い事ばかりだったのか、そこは別の話だろ。」

 

銀髪の女の瞳が揺れた。

揺れたということは、こいつ自身もその問いを避け続けてきたということだ。

俺は間を与えず、わざと淡々と続ける。

「確かに不幸は幾度となく襲った。聞いているだけでも、両親が亡くなったり、身体まで蝕まれていたり、ろくでもない話ばかりだ。」

「けれど、その先で幸せを確かに手に入れた。家族が出来て、笑って、心配してくれる奴がいて、守ろうとする奴がいて、こいつはちゃんと生きてた。」

 

そこで銀髪の女の表情が崩れた。

沈黙で塗り固めていた感情が一気にひび割れ、抑えていた怒りと無念が噴き出す。

 

「それもっまた奪われた!」

夢の景色がその叫びに呼応して震え、温かな部屋の輪郭がわずかに歪む。

さっきまで静かだった魔力の流れが荒れ始め、彼女の本音がこの空間そのものを揺らしているのが分かった。

 

「なぜ、理不尽が主を襲う!このような事を、何度も、何度も、どうして主ばかりが受けなければならないのです!」

その怒声は単なる激情ではなく、長い時間積み重ねた絶望が、ようやく形になって外へ出た音だった。

守れなかった悔しさも、救えなかった怒りも、全部まとめて“理不尽”という一語に叩き込まれている。

 

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