悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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夜と猫

廊下を駆ける足音は、静かであるべき病院の夜にはあまりにも大きく響いていた。

ゼータはその音を背中で聞きながら、手の中にある小さな器へ視線を落とす。

イータが徹夜同然で組み上げたそれは、宝石のようにも、機械の心臓のようにも見えたが、見た目がどうであれ、中身に求められる役目だけはあまりにも重かった。

これが間に合わなければ、リインフォースは消える。

間に合ったとしても、成功する保証なんてどこにもない。

 

「待って、はやて」

 

ゼータが短く声をかけると、先を急いでいたはやてが、息を切らせたまま振り返った。

その目は焦りで揺れているのに、足だけはまだ前へ出たがっている。

一秒でも惜しい、そんな顔だった。

 

「ゼータさん、悪いけど今は――」

「分かってるよ。時間がないから止めたんだ」

 

ゼータはそれ以上近づかず、手の中の器を持ち上げて見せた。

淡い光を湛えたそれを見て、はやての表情が一瞬だけ変わる。

期待と不安が同時に混ざる、見ているこっちが落ち着かなくなるような顔だった。

 

「それが……?」

「リインフォースを移すための器。成功すれば、あの子は消えずに済む」

「成功、すれば……?」

「そう。失敗したら、もっと残酷な結果になるかもしれない」

 

はやての喉が小さく鳴った。

今にも泣き出しそうな顔をしているくせに、それでも目を逸らさないところが、この子の厄介な強さだとゼータは思う。

守られるだけの人間なら、ここで怖いと言って止まれた。

けれど、はやては止まらない。

止まれないんじゃなく、自分で止まらないことを選んでいる。

 

「……何を聞きたいん?」

「簡単なことだよ」

 

ゼータは一歩だけ近づくと、わざと感情を削った声で言った。

 

「助けたいだけなのか、それとも一緒に生きたいのか」

 

はやては黙る。

その沈黙は迷いじゃなく、自分の中から正しい言葉を引っ張り出すための時間だった。

だからゼータも急かさない。

急いでいるのに待つ、というのは性に合わないが、ここで曖昧な答えを持ったまま走らせる方が、あとでずっと尾を引く。

 

「消えてほしくない、だけやない」

ようやく出た声は震えていたが、震えていること自体は悪くない。

怖いくせに逃げていない、その証拠だからだ。

 

「ウチは、リインフォースに生きててほしい」

「それは情かもしれないし、わがままかもしれへん」

「でも、それでもええ。守られて終わるだけやなくて、今度はウチがあの子に“生きててええ”って言いたいんや」

 

ゼータは黙って聞く。

はやては一度だけ唇を噛み、それでも言葉を切らなかった。

 

「今まで、あの子はずっと、ウチを守るために間違ってしもた」

「せやから、今度はウチが止める」

「助けたいだけやない。一緒に生きたい。あの子が消えるしかないなんて、そんな終わり方、ウチは嫌や」

 

廊下の照明が白く揺れて、はやての瞳に薄く映る。

泣きそうで、弱そうで、それでも目だけは折れていない。

ゼータはそこでようやく、胸の奥に引っかかっていた最後の疑念が取れるのを感じた。

この子は、ただ縋っているわけじゃない。

背負うつもりで、ここに立っている。

 

「……それなら十分」

 

ゼータがそう言うと、はやては小さく息を呑んだ。

責められると思っていたのかもしれない。

あるいは、まだ足りないと言われる覚悟をしていたのかもしれない。

 

「聞きたかったのは泣き言じゃない。今みたいな答えだよ」

「ゼータさん……」

「勘違いしないで。感動してるわけじゃない」

「ただ、そこまで言うなら託せるって判断しただけ」

 

少しだけ意地悪く言ってやると、はやては泣きそうな顔のまま、それでも笑うように息を吐いた。

その笑い方が、さっきまでよりずっと強かった。

 

「じゃあ、行くよ」

ゼータは器をしっかり握り直し、空いた手ではやての手首を掴んだ。

「遅れたら全部無駄になる。走れるね?」

「うん、走れる。絶対、間に合わせる」

「よし。なら置いていかれないで」

 

はやてが頷くより早く、ゼータは床を蹴った。

白い廊下が一気に後ろへ流れ、手の中の器が微かに熱を持つ。

その熱は不安定で、頼りなくて、それでも確かに希望の形をしていた。

 

隣を走るはやての息は荒い。

だが、その足取りはさっきよりずっと迷いがない。

ゼータは前だけを見たまま、少しだけ口元を緩める。

 

間に合わせる。

そのために作った。

そのために問い、答えを聞いた。

なら、あとは連れて行くだけだ。

 

ゼータははやての手を離さないまま、リインフォースの待つ場所へ向かってさらに速度を上げた。

 

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