オーロラカーテンを抜けた先で、空気の匂いが僅かに変わった。
海鳴の夜より乾いていて、それでいて、どこか焦げたような魔力の残滓が薄く漂っている。
なのは達は周囲を見回し、クロノは無意識に結界の反応を探り、ユーノは自分の知るどの世界とも違う流れに眉を寄せていた。
俺はそんな連中をひと通り見渡してから、面倒な教師役を引き受けるみたいに肩を鳴らした。
「さて、課外授業の続きだが、まずはこの世界の前提からだ」
俺がそう言うと、晴人は少し離れた場所で呆れたように息を吐いた。
いきなり自分の世界へ連れてこられた挙げ句、説明役まで押しつけられそうになっているんだから、機嫌が良い方がおかしい。
けれど、こいつはそういう顔をしながらも、必要な場面ではちゃんと立つ。
そういうところが、魔法使いの仮面ライダーらしい。
「この世界の魔法は、お前達の魔法とは少し違う」
「術式を積み上げて、理論で扱う力じゃない」
「絶望を乗り越えた人間が、自分の内側に宿した怪物の力を制御して使う、それがこっちの魔法だ」
なのはが目を瞬かせる。
魔法という言葉から想像するものが、最初から違っているんだろう。
無理もない。
ミッド式だのベルカ式だのと聞いて育った連中からすれば、絶望から魔法が生まれるなんて、まともな理屈には見えない。
「絶望を乗り越えた人間が、魔法を使う……」
フェイトが小さく繰り返すと、晴人が帽子のつばを軽く触りながら口を開いた。
「こっちじゃ、そういう資格を持った人間を“ゲート”って呼ぶ」
「そいつらの心の中には、ファントムって怪物が生まれる」
「普通ならそいつに食われて終わりだけど、絶望を越えた奴だけが、逆にそいつを抑えて魔法を使えるようになる」
「ファントム……」
はやてが胸の前で手を組みながら、その言葉の重さを測るみたいに呟く。
守護騎士達もまた、ただの怪物とは違うものを感じ取ったのか、軽口を挟まずに俺達の話を聞いていた。
「怪物退治の話じゃないってことだ」
俺はそう言って、全員の視線を一度まとめて受け止める。
「ファントムってのは、人間の絶望が形になったものだ」
「だからウィザードの戦いは、出てきた怪物を倒すだけじゃ終わらない」
「その人間が、絶望へ落ち切る前に救えるかどうかまで含めて、ようやく一つの戦いになる」
クロノが腕を組んだまま低く問う。
「つまり、その仕組みを利用すれば、人間を怪物へ変えることも出来る、ということか」
「出来る」
俺は即座に頷いた。
「そして、それを一番深く理解して、一番最悪な形で使った人間がいた」
そこで晴人が、少しだけ顔をしかめる。
この先の話が、こいつにとっても気分の良いものじゃないからだ。
だが、それでも俺は続ける。
「笛木奏」
「優秀な物理学者で、娘を喪った男だ」
「そいつは死んだ娘を取り戻すために、魔法へ手を出し、サバトって儀式まで起こした」
「魔法使いになれる人間を選び、必要なら踏み台にして、世界の理ごと捻じ曲げてでも失った娘を引き戻そうとした」
なのはの顔から、少しずつ色が引いていく。
フェイトは何も言わない。
だが、その沈黙の形だけで、こいつがもう次の名前を頭の中に浮かべていることは分かった。
「……似てる」
小さくそう漏らしたのは、ユーノだった。
頭の回るこいつは、こういう時に妙に結論が早い。
俺は視線をフェイトへ向ける。
逃がすつもりはないし、逃がしたところで、ここまで話が進めば意味もない。
「フェイト」
「お前の母親、プレシア・テスタロッサ」
「やってたことの形は違うが、根っこは笛木と同じだ」
フェイトの肩が僅かに揺れた。
けれど、目は逸らさない。
それでいい。
目を逸らしたところで、過去の形が変わるわけじゃない。
「笛木は魔法と儀式を使って、死んだ娘を取り戻そうとした」
「プレシアはジュエルシードとアルハザードに縋って、失ったアリシアへ手を伸ばそうとした」
「違うのは手段だけだ」
「どっちも、喪ったものを取り戻したい一心で、今生きてる誰かを手段にした」
フェイトの唇が、きつく結ばれる。
あいつにとって、それは母親を否定されるのと同時に、自分がどう扱われていたかをもう一度突きつけられる話でもある。
だが、ここで曖昧にしてやる気はなかった。
痛いところを避けた授業なんて、教師ごっこにもならない。
「理解は出来る」
俺は少しだけ声を落とした。
「喪った誰かを取り戻したいって願いそのものは、別に否定しない」
「失いたくなかった。やり直したかった。救えなかったことを認めたくない」
「そんなもん、人間なら誰だって一度くらいは考える」
その言葉に、なのは達が少しだけ顔を上げる。
否定のためだけに話しているんじゃないと、そこでようやく伝わったんだろう。
だが、本題はそこからだ。
「けどな」
俺はそこで一拍置く。
「願いがどれだけ強くても、それだけで正しさは決まらない」
「失ったものを取り戻したいって気持ちが本物でも、そのために今を生きてる誰かを犠牲にした時点で、そいつはもう救う側じゃない」
「ただ、自分の願いを他人へ押しつける災厄になる」
晴人が静かに息を吐く。
こいつにとっても、その結論は綺麗事じゃない。
実際に笛木の事件を見て、戦って、止めた人間だからこそ、なおさらだ。
「力ってのは、願いが強ければ正しくなるわけじゃない」
俺は一人ずつ顔を見ていく。
なのはも、フェイトも、はやても、クロノも、ユーノも、守護騎士達も、さっきまでとは少し違う顔で俺を見ていた。
戦いの後だからじゃない。
自分達の知っている痛みと、今聞かされた他世界の痛みが、同じ線の上にあると分かったからだ。
「力の本質は、願いの強さではなく、何を守るために使うかで決まる」
言葉が落ちたあと、しばらく誰も喋らなかった。
風の音だけが、知らない世界の空を薄く撫でていく。
その沈黙を最初に破ったのは、はやてだった。
「……守りたいって思うだけやなくて、誰を守るかを間違えたらあかん、ってことやな」
「そういうことだ」
俺は短く答える。
「喪った過去を取り戻すために力を使うのか」
「それとも、今ここにいる相手を失わせないために力を使うのか」
「似てるようで、その二つはまるで違う」
フェイトがゆっくりと息を吐く。
「母さんは……取り戻す方へ行った」
「でも、私はもう、あの時とは違う」
なのはも頷く。
「うん。失ったものを追いかけるんじゃなくて、今ここにいる人を守る方を選びたい」
俺はそれを聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。
最初から全部を理解させるつもりはない。
だが、少なくとも、今の一言が出るなら十分だ。
授業としては、な。
晴人が隣でぼやく。
「全く、お前の課外授業は重すぎるんだよ」
「軽くしたところで意味がないだろ」
「それはそうだけどな」
そこで俺は、もう一度全員を見渡した。
ここから先も話すべきことはある。
だが、今の話だけでも、こいつらの中で何かは確実に変わった。
それなら、この授業は無駄じゃない。
「さて、今のが前半だ」
俺がそう言うと、なのはが露骨に顔をしかめる。
「えっ、まだ続くの……?」
「当たり前だ。課外授業は一時間って最初に言っただろ」
「ほんとに、先生みたいなこと言うね……」
「先生だからな」