戦兎は、なのは達のデバイスからようやく視線を外すと、顎へ手を当てて小さく考え込んだ。
何かを説明する前に、一度だけ頭の中で順番を組み直すのは、いかにもこいつらしい癖だった。
理屈で喋る人間は多いが、理屈を相手に届く形へ並べ替えられる奴は案外少ない。
その点だけ見れば、こいつは教師役に向いている。
「ツカサ、お前がこいつらに見せたいのは、ビルドが強いって話じゃないんだろ」
戦兎の確認に、俺は壁へ軽く寄りかかりながら頷いた。
強さの話をしたいなら、ライダーの世界なんていくらでもある。
わざわざこいつのところへ来たのは、もっと別の理由だ。
「当然だ」
俺が短く返すと、戦兎は納得したように目を細め、そのまま近くの端末へ手を伸ばした。
何かを思いついた時の動きは早い。
考えるより遅く手が動くタイプじゃないくせに、答えを出した後だけは迷いがない。
「なら、いきなり理屈から入るより、空気ごと聞かせた方が早いな」
なのはが、少し首を傾げながらその言葉を拾う。
ここまで来ると、もう驚くより先に意味を確かめる方へ思考が向いているらしい。
「空気ごと、ってどういうことなの?」
戦兎は、そんななのはの反応へ少しだけ得意そうな笑みを返した。
いかにも、説明役を任された時の顔だ。
「旧世界の記録だ」
そう言ってから、戦兎は端末の操作を続ける。
画面の上にいくつものウィンドウが走り、研究室の中央へ青白い光が立ち上がった。
「全部ってわけじゃないけど、俺が残しておいた“あの頃の流れ”がある」
少しだけ間を置き、戦兎は肩を竦める。
その口ぶりは軽いが、残された記録の重さは本人が一番よく知っているはずだった。
「簡単に言えば、前回のあらすじってやつを、自分で記録してたんだよ」
その言い回しに、俺は思わず鼻で笑った。
世界を丸ごと失って、その後に新世界を創り直した男が、自分の世界の“前回までのあらすじ”を残している。
馬鹿馬鹿しいようで、こいつらしい。
感傷じゃない。
必要になると分かっていたから残した。
それだけの話だ。
「相変わらず、妙なところだけ律儀だな」
俺の一言に、戦兎は露骨に嫌そうな顔をした。
だが、言い返す前に記録の再生が始まる。
ざらついた音と一緒に、少しだけ硬い、自分自身の声が研究室へ響いた。
最初に流れたのは、スカイウォールの惨劇だった。
十年前、パンドラボックスの発見と共に出現した巨大な壁。
それが国を三つへ分断し、人の暮らしも、価値観も、未来の形も無理やり切り裂いた。
記録の中の戦兎は淡々と喋っているが、その淡々とした言葉の奥に、今でも残り続ける傷の形が見える。
「……壁が、国そのものを分けたの?」
フェイトが低く呟く。
あいつは派手に驚くタイプじゃないが、逆に声が小さい時ほど、本気で重さを受け止めている。
「しかも、それが人為的な災害だったなんて……」
クロノもまた、腕を組んだまま記録を見つめていた。
管理局側の感覚で考えても、ここまで露骨に世界の形を変える災害は軽く飲み込めるものじゃない。
だから、次に流れる話の方が、余計に効いた。
記録の中で語られたのは、ネビュラガスとスマッシュ、そしてブラッドスタークの暗躍だった。
人を怪物へ変え、争いを煽り、科学を兵器へ変えていった裏の手。
つまり、この世界の科学は最初から人を救うためだけにあったわけじゃない。
壊し、利用し、削るための力としても振るわれていた。
そこで、記録の中に別の声が割り込んだ。
勢いが先に来る、いかにも考えるより殴る方が早そうな声だった。
龍我だ。
戦兎の説明へいちいち口を挟み、そのたびに記録の中の戦兎が露骨にうんざりした返しをしている。
「お前、そこはもっとカッコよく言えよ!」
映像越しの龍我の抗議に、記録の中の戦兎は間髪入れず返していた。
あの頃から、こいつらの距離感は変わっていない。
「うるさいな。事実を整理してるだけだろ」
だが、龍我はそんな返しで引き下がるような男じゃない。
すぐに声を荒げ、ますます面倒な方向へ噛みついていく。
「事実でも言い方ってもんがあるだろ!」
そこへ、記録の中の戦兎が露骨に苛立った声を返す。
実にらしいやり取りだった。
「お前に語彙の話をされるのが一番腹立つ」
その掛け合いに、研究室の空気が少しだけ緩む。
なのはが思わず苦笑し、はやてもワンダーライドブックを抱えたまま肩の力を抜いた。
フェイトでさえ、ほんの少しだけ口元が緩んでいる。
さっきまで世界の消滅だの闇の書だのと重い話ばかりだっただけに、こういう“ちゃんと生きていた連中の記録”は、妙に効くらしい。
「なんや、思ってたよりずっと騒がしい人達やったんやな……」
はやてのその呟きに、戦兎は少しだけ気まずそうな顔をした。
自分の記録に仲間の雑音まで入り込んでいることを、今さら誤魔化す気もないらしい。
「記録だからな。必要な会話もそのまま入ってる」
戦兎はそう言ったが、その言い方自体が少しだけ言い訳っぽかった。
だから俺はすぐに突っ込む。
「必要以上も入ってるように聞こえるけどな」
俺の言葉に、戦兎は眉を寄せる。
図星を刺された顔だった。
「ツカサ、お前は黙ってろ」
そこへ再び記録が続いた。
今度は、戦兎自身の出自にまで話が及ぶ。
葛城巧としての過去。
桐生戦兎という存在が、エボルトの計画の中で作られたこと。
ビルドドライバーも、フルボトルも、仮面ライダーという仕組みさえ、始まりだけ見れば綺麗なものじゃない。
むしろ最悪だ。
利用されるために整えられ、戦争と実験の中で磨かれた力だった。
だが、そこで戦兎は記録を止めた。
青白い光が静かに消え、研究室にはいつもの明かりだけが戻る。
しばらく誰も口を開かない。
それだけ、今の記録がただの資料ではなく、“生きていた世界の傷跡”として届いたんだろう。
「……これが、俺達の旧世界だ」
静かになった空間へ、戦兎が改めて言葉を置く。
今度は記録越しじゃない。
ここに立っている桐生戦兎自身の声だった。
「スカイウォールが生まれて、国が割れて、ネビュラガスで人が怪物に変えられて、エボルトって化け物がその全部を裏で引っ掻き回してた」
戦兎はそこで一度だけ息を整えた。
淡々と並べているようで、その一つ一つが、自分の身を通り過ぎた現実だったことは隠せない。
「仮面ライダーだって、最初から正義のために作られたわけじゃない」
そのあとに続く言葉を、なのは達も、守護騎士達も、黙って待っている。
戦兎はフルボトルを一本、指先で軽く転がした。
「利用されるためにあったし、兵器に近い側面だってあった」
フェイトが少しだけ目を伏せる。
言いたいことは分かる。
闇の書だって似たようなものだった。
危険で、制御を誤れば災厄になる力。
だが、そこで終わりじゃない。
「でもな」
戦兎はそこで視線を上げた。
さっきまでより、少しだけ強い目だった。
「始まりが悪でも、道具そのものが悪だとは限らない」
その言葉のあとに、研究室へ静かな沈黙が落ちる。
だからこそ、次の言葉が真っ直ぐ響く。
「ネビュラガスは人をスマッシュに変えた」
戦兎はフルボトルを握り直しながら続けた。
壊した事実を隠さず、それでも先へ進む言い方だった。
「けど、同じ研究の先で中和剤も作れたし、救うための使い方だって出来た」
なのはが、ワンダーライドブックを抱えたはやての方を見た。
その視線の意味は、言葉にしなくても分かる。
闇の書も、切り分けて、使い方を定めれば、支える形へ変えられるかもしれない。
「ライダーシステムだって同じだ」
戦兎は淡々と、だが確信を持って結論へ向かう。
研究者として、そして実際にその力を握ってきた人間としての言葉だった。
「最初は利用されるためのものだったかもしれない」
一拍置き、戦兎は少しだけ笑う。
得意げというより、ようやくここへ辿り着いた人間の顔だった。
「でも今は違う。俺達は、それを誰かのために使ってる」
フェイトが静かに問いかける。
問いというより、答えを確かめるような声音だった。
「……道具は、道具でしかないってこと?」
戦兎はすぐには頷かず、一度だけなのは達を見渡した。
考えさせてから答えるあたり、やっぱりこいつは理屈の人間だ。
「乱暴に言えばそうだ」
そう返したあとで、戦兎は言葉を選ぶように少しだけ視線を落とす。
「怖いのは力そのものじゃない。力をどう使うかを決める側の人間だ」
その一言は、かなり重かった。
闇の書にも、そのまま当てはまる。
だから誰もすぐには返せない。
「便利だから正しいわけじゃないし、危険だから捨てるべきだって話でもない」
戦兎はそう言ってから、今度はワンダーライドブックへ目を向けた。
はやての腕の中で、その表紙が微かに光を返している。
「結局、何のために握るかで意味が変わる」
俺はそこで、壁から背を離した。
もう十分だ。
こいつがここまで話したなら、結論だけは俺が引き取る。
「そういうことだ」
俺が口を開くと、全員の視線がこちらへ集まる。
戦兎も何も言わず、少しだけ横へ退いた。
授業の締めを譲るってことだろう。
「闇の書の力も同じだ」
なのはがわずかに息を呑む。
フェイトも、はやても、もう目を逸らさなかった。
「危険だから壊す。災厄だから封じる。それだけなら簡単だ」
一度だけ言葉を切り、俺は全員を順に見ていく。
それぞれが違う重さで、今の話を抱えているのが分かった。
「だが、それじゃ救えるものまで全部捨てることになる」
ワンダーライドブックを抱くはやての指先へ、視線が自然と集まる。
リインフォースを残した今のお前達なら、もう分かるだろうと言わなくても、分かる顔だった。
「リインフォースを残した今のお前達なら、もう分かるはずだ」
そう言ってから、俺は最後の一言だけを置いた。
授業の結論は、最初から決まっている。
「力の本質は、願いの強さじゃない」
その場の空気が、少しだけ張る。
だからこそ、次の言葉は真っ直ぐ落ちる。
「何を守るために使うかで決まる」
今度は誰も、すぐには喋らなかった。
旧世界の記録が残した喧騒と、今ここにある静かな答え。
その両方を見せられた後なら、軽々しく感想なんて出せない方が自然だ。
戦兎はそんな空気を嫌がるでもなく、肩を竦めた。
少しだけ照れ隠しみたいな顔だった。
「まあ、重い話ばかりでも疲れるだろ」
そのあとで、戦兎は端末の方へ目をやる。
さっき流した記録の余韻が、まだそこに残っている気がした。
「久しぶりに再生したせいで、あいつらの声まで聞かせることになったしな」
なのはが、小さく苦笑する。
張り詰めたままだった空気が、そこでようやく少しだけ和らいだ。
「でも、ちょっとだけ分かった気がする」
なのははそう言ってから、一度だけはやての本へ視線を向ける。
それから、改めて戦兎と俺の方を見る。
「ただの資料じゃなくて、その世界で本当に生きてた人達の話なんだなって」
俺は短く頷いた。
授業としては、その答えで十分だ。
「それでいい」
すぐに言葉を重ねず、少しだけ間を置く。
持ち帰るべきものはもう渡した。
あとは、それぞれが勝手に噛み砕けばいい。
「最初から全部理解する必要はない」
そう言ってから、俺は軽く肩を鳴らした。
教師役ってのは、思ったより面倒だ。
「持ち帰るものだけ、きっちり持ち帰れ。それで十分だ」
戦兎はそれを聞いて、少しだけ笑った。
からかうような笑いじゃない。
授業の締めとして悪くない、と認めた時の顔だ。
「相変わらず、お前の授業は重いな、ツカサ」
その軽口に、俺も小さく鼻で笑う。
重くなきゃ意味がない。
軽い話で済むなら、そもそも世界なんて渡らせていない。