深夜の写真館は、昼間の賑やかさが嘘みたいに静かだった。
店の明かりは落としてあるが、完全に眠れるほど、この家はいつも平和じゃない。
世界を渡る力なんて厄介なものを抱えた時点で、まともな安眠はだいぶ前に諦めた。
俺は居間のソファへ浅く腰を下ろしながら、机の上へ無造作に置いたカードの束へ視線を落としていた。
リインフォースの件は一応の区切りがついた。
なのは達も、はやても、それぞれ自分の答えを持って前へ進み始めている。
だからこそ、今夜くらいは何も起きないでくれれば助かると、そんな都合のいいことを少しだけ考えていた。
だが、そういう願いは、たいてい口にしない方がいい。
嫌な予感というやつは、どうしてこうも人の油断した瞬間だけを狙ってくるのか、考えるだけ無駄なくらいよく当たる。
ふいに、写真館の空気がわずかに軋んだ。
窓が鳴ったわけでも、魔力が跳ねたわけでもない。
もっと曖昧で、だからこそ俺にしか分からない類の異常だった。
世界と世界の継ぎ目が、爪の先で引っかかれたみたいに、ごく薄く震えたのだ。
この世界の人間なら、たぶん気づかない。
だが、何度も次元を越えて、世界の境目を嫌というほど踏み越えてきた俺には分かる。
今、何かがこの世界へ入ってきた。
しかも、かなり強引で、かなり遠慮のないやり方で。
「……また厄介事か。」
呟きながら立ち上がり、俺は窓際へ歩いた。
カーテンを指先でわずかに開くと、深夜の街はまだ眠り切っていない光を抱えたまま、静かに広がっている。
遠くの信号、街灯、ビルの窓、そのどれもがいつもの海鳴の夜にしか見えない。
だが、その見慣れた夜空の上を、明らかに見慣れない影が横切った。
人影――しかも、ただ飛んでいるんじゃない。
この世界の魔導師が空を駆ける時の癖とは違う。
飛行のための魔力が空気へ馴染んでいない。
まるで別の空を飛ぶための理屈を、そのまま無理やりこっちへ持ち込んできたみたいな、不自然さだけがはっきり見えた。
「なるほどな、この世界の客じゃないらしい。」
その瞬間だった。
家の前の通りから、甲高いクラクションが夜を裂いた。
反射的に視線を下へ落とすと、写真館の前へ停まるはずのない一台の車が、猛スピードのまま真っ直ぐこちらへ突っ込んできていた。
信号も、減速も、常識もない。
それだけでも異常だが、運転席には誰もいない。
無人のまま、狙い澄ましたみたいに写真館の正面へ鼻先を向けている。
事故じゃない。
そんなものは一目で分かった。
俺は舌打ちしながら、窓から身を引いた。
直後、重い衝突音が夜気を震わせ、写真館の外壁が鈍く軋む。
壁が悲鳴みたいな音を立て、ガラス戸が激しく揺れたが、車の突入はそこで終わらなかった。
一台で済む気配がない。
外ではタイヤの擦過音が重なり、さらに別の車までエンジンを唸らせている。
上空の影と同時に、地上では無人の車が俺を狙っている。
歓迎にしては、ずいぶんと趣味が悪い。
俺はディケイドライバーへ手を伸ばしながら、崩れかけた入口の向こうを睨んだ。
写真館の外には、まだ終わっていない厄介事の気配が、夜の街ごと蠢いている。
そして次の瞬間、二台目の無人車が、今度は完全に俺を轢き潰すつもりの速度で、写真館の前庭へ突っ込んできた。