悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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悪意の複製

夜の埠頭を離れてから、俺は一人で人気のない工業地帯を抜けていた。

なのは達とは別れて動くと決めたのは、夜天の書を奪った連中の進路が途中で二つに分かれていたからだ。

キリエ達を追うなら、なのは達とアミタがいた方が、まだ話の通る余地が残る可能性がある。

だが、オール・フォー・ワンだけは別だし、あいつを自由にさせたままにすれば、盤面そのものが腐る。

だからこそ、俺はこっちを選んだし、教師だの何だのと言う前に、あいつだけは自分で止めるつもりだった。

 

港湾倉庫の並ぶ道は、深夜のくせに妙に明るい。

大型トラックも止まり、コンテナも積み上がっているのに、人の気配だけが不自然なくらい薄い。

そういう場所は、大抵ろくなことが起きないし、今夜に限っては、その嫌な予感が最初から当たっていた。

路面へ残るかすかな歪みと、空気の奥に混ざる世界を跨いだ気配を追って走っているうちに、前方の闇が一段だけ濃くなった。

見えているわけじゃないのに、そこへ誰かが立っていると分かる類の圧だった。

 

俺は歩調を緩めず、そのまま暗がりの中心へ向かって進む。

逃げる気配も、隠れる気配もない以上、向こうも最初からここで待つつもりだったんだろう。

だったら、余計な小細工を読む手間が省けるだけまだましだ。

 

「出てこい。」

 

そう声をかけた直後、俺の正面へ、夜を裂くみたいに黒い影が滑り出た。

濁った紫と黒を纏ったディケイドの輪郭は、見間違えようがないほど俺に似ている。

だが、その仮面の奥にいるものは、俺自身からもっとも遠い位置にある悪意だった。

ダークディケイド。

そして、その中にいるのは、あの世界で確かに倒したはずの魔王。

 

「本当にしつこいな、お前は。」

 

俺が吐き捨てると、ダークディケイドは肩を揺らして笑った。

耳障りなほど大きな笑いじゃないのに、聞いているだけで胸糞が悪くなる。

人の不幸も困惑も、全部を心底面白がっている奴の笑い方だった。

 

「再会を喜んでくれてもいいと思うけれどね、士。」

 

「殺しておくべきだったか。」

 

そう返しながら、俺はすでにディケイドライバーへ手を伸ばしていた。

こいつ相手に言葉を重ねても、意味なんてないし、意味があるように見せること自体が、あいつの土俵へ乗ることになる。

だから、さっさと変身して叩き潰す。

そのつもりでカードを抜きかけた、その瞬間だった。

 

周囲の空気が、同時に三箇所だけ揺れた。

右。

左。

そして、俺の背後。

殺気とまでは言わない。

だが、少なくとも敵意の形へ整えられた気配が、三つ。

その数を認識した瞬間、俺の指が止まった。

 

ダークディケイドの口元が、仮面の下でも分かるくらいに歪む。

それを見て、胸の奥が嫌な冷え方をした。

あの反応は、次に現れるものが、単なる増援や兵器なんかじゃない時の顔だ。

もっと露悪的で、もっと人の神経を逆撫でする“嫌がらせ”が来る時の顔だった。

 

「どうした、士。」

「あまりに見覚えのある気配で、手が止まったのかな。」

 

その言葉と同時に、俺の右手側の闇から、一つ目の影が姿を現す。

銀灰色の髪。

獣みたいに重心を低くした立ち方。

今にも飛びかかってきそうな前傾姿勢と、唇の端に浮かぶ凶暴な笑み。

デルタ。

いや、違う。

顔も、髪も、仕草も、見た目だけなら確かにデルタだった。

それなのに、そこから漂ってくるものは、俺の知っているあいつよりずっと濃くて、ずっと歪んでいる。

 

左手側の倉庫の屋根からは、細身の影が静かに降りてくる。

揺れる金の髪と、無駄のない着地。

獲物を測る刃物みたいな視線。

ゼータ。

それもまた、見た目だけは間違いなくそうだった。

だが、本物のゼータが持つ冷静さの奥には、まだ人間らしい判断の温度がある。

目の前のこいつには、それがない。

ただ殺すための最適解だけが、最初から全身へ刻まれているみたいな、不自然な静けさだけがあった。

 

そして背後。

振り向かなくても分かるほど、そこに立った三つ目の気配は、妙に不快だった。

眠たげで、気怠げで、それでいて観察する視線だけが異様に冴えている。

イータ。

そう見えるものが、街灯の下へゆっくりと姿を晒す。

伏せ気味の瞼も、緩く傾いた首も、研究対象を見るみたいな顔つきもそっくりだった。

だが、本物のイータなら、少なくともその視線の奥には、俺を“ツカサ”として見る個人的な熱がある。

こいつにはそれがなくて、ただ解体前の標本を前にしたみたいな無機質な興味だけがあった。

 

「……っ。」

 

喉の奥で、声にならない息が引っかかった。

頭では分かる。

見た目は同じだけの別人だ。

いや、そもそも人ですらないのかもしれない。

血液から生成した複製体。

オール・フォー・ワンなら、そして財団Xが絡んでいるなら、それくらいの悪趣味は平然とやる。

理屈は分かる。

目の前にいる三人が、本物のデルタでもゼータでもイータでもないことくらい、嫌になるほど分かる。

それでも、身体の方が即座に攻撃へ切り替わらなかった。

 

ダークディケイドが、そこで楽しそうに首を傾ける。

完全に見透かしている顔だった。

 

「理解しているんだろう。」

「それが君の知っている彼女達ではないと、頭ではちゃんと分かっている。」

 

その通りだった。

だからこそ腹が立つ。

分かっているのに、目の前の顔が同じだというだけで、拳の軌道が一瞬だけ鈍る。

たとえ偽物だと知っていても、その輪郭を壊す動きを、自分の身体がためらう。

そんな反応まで計算に入れた上で、こいつはこの三人の姿を選んだ。

 

「趣味が悪いな。」

 

ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど低かった。

怒りだけじゃない。

吐き気に近い不快感が混じっている。

 

「褒め言葉として受け取っておこう。」

 

ダークディケイドは平然とそう返す。

本当に心の底から楽しんでいるんだろう。

力を奪うだけじゃない。

相手の縁も、記憶も、感情も、全部利用して盤面を荒らす。

オール・フォー・ワンという悪が一番醜いのは、そういうところだ。

 

デルタの複製体が、最初に動いた。

獣みたいに低く地面を蹴り、一気に俺との距離を潰してくる。

速い。

本物のデルタよりも、獣性だけをそのまま濃縮したみたいな一直線の踏み込みだった。

避けることは出来る。

迎撃も出来る。

それなのに、飛び込んできた顔がデルタと同じだと分かった瞬間、腕がほんのわずかに遅れた。

 

掠める爪がジャケットの肩口を裂く。

一歩退く。

すぐ横から今度はゼータの複製体が刃のような蹴りを入れてくる。

こちらも受け止める。

だが、受け止めた腕へ伝わったのは、見慣れた動きへの違和感だった。

本物なら、ここで半歩引いて次の刺突へ繋ぐ。

こいつは違う。

殺すためだけの速度で、そのまま関節ごと折りに来る。

 

「どうした、士。」

 

ダークディケイドの声が、遠くで笑う。

 

「その程度で、まさか動きが鈍るとは思わなかったよ。」

 

「黙れ。」

 

吐き捨てながら、俺はゼータの複製体を弾き返す。

その背後から、眠そうな顔をしたイータの複製体が、妙に静かな歩調で近づいてくる。

手の中には、見覚えのある器具に似た形の刃が握られていた。

研究道具と処刑器具の境目が曖昧になったみたいな、嫌な得物だった。

 

「……ツカサ、解析完了。」

「捕獲してから、分解する。」

 

声まで似せているくせに、決定的に違う。

本物のイータの声音には、もっと個人的で、執着じみた温度がある。

こいつにはそれがなくて、ただ命令文だけを真似たみたいに平板だった。

だから偽物だと分かる。

分かるのに、顔が同じだというだけで、やはり撃ち抜くべき一点を狙う指が鈍る。

 

くそったれが。

 

心の中で吐き捨てる。

オール・フォー・ワンは、それを見ている。

見た目は同じだけの別人だと頭で理解していながらも、即座には攻撃出来ない。

その歪な一瞬を、こいつは最初から嫌がらせの一部として楽しんでいる。

 

「お前、そこまで腐ってるか。」

 

俺が睨みつけると、ダークディケイドは愉快そうに肩を揺らした。

 

「むしろ、そこまで君が人間らしいことに安心したよ。」

「世界の破壊者も、知った顔には弱いらしい。」

 

その瞬間、今度は三方向から同時に気配が跳ねた。

デルタの複製体が正面。

ゼータの複製体が死角。

イータの複製体が後方から拘束狙い。

完全に俺を試している。

この顔をした相手を、どこまで本気で壊せるのか。

 

だったら、答えは一つしかない。

 

俺は大きく息を吸って、無理やり感情を底へ沈めた。

見た目は同じでも、中身は違う。

あいつらの姿を借りた別物だ。

そう何度も頭の中で繰り返しながら、それでも胸の奥では、殴れば壊れるのがその顔だという事実だけが、嫌になるほど重く残る。

 

「……最悪の趣味だな。」

 

構えを取り直しながら、俺は目の前の三人を見た。

別人だ。

分かっている。

だが、それでも今すぐ平然と殴り抜けるほど、俺はそこまで壊れていない。

だからこそ、オール・フォー・ワンはこの布陣を選んだ。

こっちが理解していることまで見越した上で、なおためらわせるために。

 

ダークディケイドは、そんな俺の顔を見て満足そうに笑っていた。

この盤面の目的は、勝つことだけじゃない。

俺の神経を削り、足を止め、ほんの一瞬でも判断を遅らせること。

そのために、わざわざこの顔を並べた。

あまりにも露悪的で、あまりにもあいつらしい。

 

そして、その悪趣味さが理解できるからこそ、余計に腹が立った。

 

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