拘束された複製体達が、夜の倉庫街へ無様に転がっている。
デルタの顔をした獣は、なおも牙を剥こうとして青い拘束光へ軋み、ゼータの姿をした刃は、殺意だけを残して地面へ縫い止められていた。
イータの輪郭を持つ偽物もまた、光の枷の内側で静かに身じろぎしている。
倒したわけじゃない。
壊したわけでもない。
動きを封じて、止めただけだ。
それで十分だったし、そうするべきだと、今の俺ははっきり思えていた。
その光景を見下ろしながら、ダークディケイドは喉の奥で楽しげに笑った。
月明かりの下で歪んだその姿は、俺自身の輪郭をなぞっているくせに、内側へ詰まっているものだけが、どこまでも腐り切っている。
「結局、壊せなかったんだね」
穏やかな声だった。
だからこそ、そこへ滲んだ悪意が余計に耳障りだった。
「見た目が同じというだけで、手が止まる。実に人間らしい」
海東がネオディエンドライバーを軽く回しながら、呆れたように肩を竦める。
青い装甲の奥で、あいつの視線は笑っていなかった。
「趣味が悪いだけじゃない」
そこで海東は、捕縛された複製体達を一瞥する。
その一瞬だけで、怪盗の矜持を踏みにじられた不快感が伝わった。
「品もないね。宝の価値も分からず、汚すことしか出来ないらしい」
ダークディケイド――いや、オール・フォー・ワンは、それを聞いてなお余裕を崩さない。
むしろ、値踏みを楽しむように首を傾けた。
「君達は面白い」
その声音は柔らかい。
柔らかいくせに、他人の痛みを前提に成立している。
「壊したくないから拘束した。つまり、まだそこに意味を見ている」
俺はその言葉を黙って聞きながら、一度だけ拘束された複製体達へ視線を落とした。
似ている。
見た目だけなら、嫌になるほど似ている。
だが、それだけだ。
あいつらはデルタでもゼータでもイータでもない。
顔を奪われただけの、空っぽの兵器だ。
それでも、ここで壊さなかったのは、優しさなんかじゃない。
あの野郎の悪趣味へ、最後まで付き合いたくなかっただけだ。
「……哀れだな」
言葉は、思っていたより静かに出た。
海東がわずかに視線を寄越す。
ダークディケイドの空気が、そこでほんの少しだけ止まった。
「ほう」
オール・フォー・ワンは、面白そうにその一言を拾う。
怒ったわけじゃない。
だが、明らかに聞き流しもしなかった。
「哀れ、か」
月の光を受けた仮面が、わずかにこちらへ傾く。
その仕草には、相手の言葉を値踏みする魔王の癖があった。
「それはまた、興味深い評価だね」
俺は海東の隣へ半歩だけ出る。
コンプリートフォーム21の重い装甲が、路面へ鈍い音を落とした。
目の前の悪意は、今もなお他人の顔を踏みにじったまま、こちらの心の動きすら盤面の一部として楽しんでいる。
その姿を見ているうちに、怒りは逆に冷えていった。
ディケイドとして、何度も世界の歪みを見てきた。
願いを間違えた奴もいた。
喪失に狂った奴もいた。
守りたいものを履き違えた果てに、悪へ沈んだ奴らもいた。
けれど、目の前のこいつは違う。
最初から、他人の人生を奪うことに何の躊躇もない。
しかも、自分の手だけじゃ足りず、他人の力も顔も、不幸も縁も、全部を借りて悪を成立させている。
「他人の力を奪う」
俺は一つずつ、吐き捨てるように言葉を置いた。
「他人の顔を使う」
拘束された複製体達を横目で示す。
あの悪趣味な盤面そのものが、何よりの証拠だった。
「他人の大事なものを踏みにじって、それでようやく相手の心を揺らした気になる」
そこで、俺はダークディケイドを真正面から見た。
その奥にいる魔王へ、今度ははっきりと言い切る。
「何一つ、自分の手で築けないくせに、全部を支配したつもりでいる」
海風が吹く。
その冷たさより先に、場の空気が一段低く沈んだ。
「それのどこが魔王だ」
仮面の奥で、俺は目を細める。
「借り物だらけで、人一人揺らせないなら、ただの空っぽだ」
その一言で、ダークディケイドの沈黙がわずかに長くなった。
初めてだった。
あの男が、こちらの言葉をそのまま流さず、ほんの短い間でも噛みしめるような間を見せたのは。
海東が、横で小さく笑う。
嘲笑じゃない。
よく刺さった、という類の冷たい笑みだった。
「なるほどね」
青い銃口が、ゆっくりと持ち上がる。
「君にしては、随分優しい説教だ」
オール・フォー・ワンは、そこでようやく息を吐くように肩を揺らした。
穏やかな声色は崩れない。
それでも、その奥にある温度だけが少し変わっていた。
「空っぽ」
静かな復唱だった。
「それは、面白い」
次の瞬間、ダークディケイドの周囲の空気が歪む。
殺気が、ようやく仮面の隙間から漏れ出た。
今までは盤面を眺める余裕だった。
だが今は違う。
こちらの言葉を、不快だと認めた者の気配だった。
「君は、そういう風に見るんだね、門矢士」
その声はまだ静かだ。
けれど、穏やかさの裏側に刃が立っている。
「他人を利用することの、何が哀れなんだい」
「一から十まで、自分で立てないからだ」
俺は間を置かずに返した。
止まる必要も、考え直す必要もない。
「お前は強いんじゃない」
「奪ってるだけだ」
そこで、海東が一歩前へ出た。
怪盗らしい気障さを崩さないまま、だが撃鉄へ指をかける仕草だけは完全に本気だった。
「士にそこまで言われて、まだ笑っていられるなら大したものだ」
青い装甲が月明かりを弾く。
「もっとも、君の悪趣味はもう見飽きたけどね」
ダークディケイドは、俺達二人を見比べるように視線を動かした。
その沈黙のあとで、ようやく一歩踏み出す。
足音は静かだった。
静かなのに、その一歩だけで、戦場の空気が完全に切り替わる。
会話は終わりだと、空気そのものが告げていた。
拘束された複製体達の唸り声が遠くなる。
海風の音も、倉庫の軋みも、全部が背景へ沈む。
残ったのは、目の前の魔王と、並び立つ俺と海東だけだった。
「いいだろう」
オール・フォー・ワンが、ゆっくりと構える。
「そこまで言うなら、君の言う空っぽとやらが、どこまで立っていられるのか見せてもらおう」
俺もまた、コンプリートフォーム21の装甲を軋ませながら重心を落とした。
海東はネオディエンドライバーを持ち上げ、銃口をまっすぐダークディケイドへ向ける。
「お喋りはここまでだ」
俺の声が、夜へ低く落ちる。
「悪趣味な舞台ごと、ここで終わらせる」
その直後、ダークディケイドが闇を裂いて踏み込んだ。
俺と海東も同時に動く。
月下の倉庫街で、ついに本命との戦いが始まった。