凍りついた高架下には、ついさっきまで押し寄せていた悪意の残滓だけが、白い息みたいに細く漂っていた。
ミラージュ・アギトも、アルファの量産兵も、ギル・アギトの群れも、ヘキサオーズさえも、まるで最初からそこへいなかったみたいに煙となって消え去り、残されたのは砕けた氷塊と、異様な静けさだけだった。
その静けさの真ん中で、なのは達の視線は、俺の両脇へ立つ二人へ自然と吸い寄せられていく。
緑谷は、空気を読むみたいに一歩だけ後ろへ引き、轟は逆に動かず、そのまま真っ直ぐこちらへ視線を向けていた。
再会の余韻に浸るには、状況が悪すぎる。
けれど、それでもなのは達に説明しないまま次へ進めば、余計な混乱だけが残る。
そう判断した俺は、ひとつ息を吐いてから、ようやくディケイドのまま口を開いた。
「聞きたいことがあるなら、今のうちに聞け。」
なのはが、一瞬だけ遠慮するように俺を見る。
それでも、結局はその好奇心と真面目さが勝ったらしい。
少しだけ躊躇してから、視線を緑谷と轟へ向けた。
「じゃあ、聞くね。」
「ツカサ先生、この二人は誰なの。」
フェイトもまた、静かに二人を観察していた視線を俺へ戻す。
なのはよりも落ち着いているが、その分だけ疑問を整理して尋ねようとしている顔だった。
「先生が驚いていたくらいだから、ただの知り合いじゃないんだよね。」
その横で、はやては頭の上へ疑問符でも浮かんでいそうな顔をしている。
こいつはこいつで、もう分からないなら全部そのまま聞く方へ舵を切ったらしい。
「知り合いと弟子、っちゅう説明だけではさすがに情報が足りへんよ、先生。」
「それに、何やそのドライバーから喋っとる声まで増えて、余計に分からへんようになっとるし。」
もっともだった。
俺から見れば、緑谷がいて、轟がいて、ゼインドライバーの中身がナイトアイになっているというだけの話だが、こいつらから見れば、いきなり別世界の大人が二人と、人格入りのドライバーが増えただけだ。
面倒だが、順番に言うしかない。
「こいつらは、別の世界の人間だ。」
俺がそう言った瞬間、なのは達の表情が僅かに固くなる。
驚きはもう何度も味わっている。
それでも、改めて“別の世界”という言葉を突きつけられれば、簡単には飲み込めないのが普通だ。
「俺が前にいた世界の一つで、力を持った人間が社会の表で戦ってる世界だ。」
「向こうじゃ、そういう連中をヒーローって呼ぶ。」
「ヒーロー……。」
なのはが小さくその言葉を繰り返す。
フェイトはそこで何かを思い当たったように目を細めた。
「魔導師が公的に動く私達と、少し似ているのかな。」
「少しはな。」
「ただ、向こうじゃ力そのものより、どう使うかがもっと露骨に問われる。」
俺がそこまで言うと、緑谷がなのは達へ向けて一歩だけ進み、穏やかに頭を下げた。
昔よりずっと落ち着いた仕草だったが、初対面へきちんと礼を通す癖は変わっていない。
「改めまして、緑谷出久です。」
「僕の世界では、今は教師をしながら、ヒーローとしても活動しています。」
なのはが少しだけ目を丸くする。
はやてはむしろ、そこへ妙な親近感を覚えたらしい。
「先生で、戦う人でもあるんや。」
緑谷は困ったように笑いながら頷いた。
「はい、まあ、そういう形になります。」
「それと、ツカサさんとは……知り合いです。」
そこで俺は、緑谷の方を軽く顎で示す。
「こいつは知り合いで合ってる。」
「最初に会った時から、妙に勘のいい奴だった。」
緑谷が少しだけ苦笑する。
昔と同じく、変に持ち上げられるとすぐ困った顔になる辺りは、本当に変わっていない。
その隣で、轟が短く息を吐いた。
こいつは緑谷と違って、自分から愛想よく入るタイプじゃない。
ただ、その代わり必要な言葉だけは、昔よりずっと迷わず出せるようになっていた。
「轟焦凍です。」
「……師匠には、向こうの世界で世話になりました。」
はやての肩がびくっと跳ねた。
「ほんまに弟子やったんや……。」
なのはもフェイトも、今の一言でようやく“弟子”が冗談じゃなかったと理解したらしい。
ただし理解しただけで、納得した顔ではない。
むしろ余計に知りたくなった顔だった。
「ツカサ先生が、轟さんを教えてたの。」
「少し違う。」
俺はそう切り返してから、轟を見た。
こいつに何を教えたのかと問われた時、単純に戦い方だと答えるのは、あまりに違う気がした。
「俺が教えたのは、力の振り方だけじゃない。」
「自分の中にある怒りや迷いから、目を逸らすなってことだ。」
轟は、俺の言葉を黙って受け止めてから、なのは達へ静かに視線を向けた。
「師匠に教わったのは、戦い方だけじゃありません。」
「自分の中の醜いものから逃げないことを、ずっと叩き込まれました。」
その声に、なのは達は一度だけ黙る。
なのはは真っ直ぐだからこそ、その意味を正面から受け止めようとする。
フェイトは、誰かの痛みや迷いという言葉に敏感だ。
はやては、少しだけ苦い顔をした。
たぶん、それぞれ自分の過去と重ねる部分があるんだろう。
「ヒーローだろうが、魔導師だろうが、結局そこは変わらない。」
「自分の中にあるものから逃げたままじゃ、誰かを守る力は持てない。」
俺がそう言い切ると、なのはが小さく息を呑んだ。
言い方はぶっきらぼうでも、意味するところはちゃんと届いたらしい。
そこでフェイトが、次の疑問を拾うように口を開く。
「その世界で先生は、どうしていたの。」
「今の話だと、ただ戦っていただけじゃなさそう。」
「拠点を持ってた。」
「事務所だ。」
「事務所?」
はやてが復唱する。
その反応へ、今度は緑谷が補足した。
「はい。ツカサさんの事務所には、いろんな人が出入りしていました。」
「ヒーローだけじゃなくて、道を踏み外しかけた人も、です。」
轟も短く続ける。
「師匠は、善悪だけで人を切らなかった。」
「そこから戻れるなら、手を貸してた。」
それは、あの世界で俺がやっていたことの本質でもある。
ヒーローごっこをしていたつもりはない。
だが、結果としてあの世界では、ヒーロー側の実働として動き、事務所を構え、人を拾ってきた。
だから今こうして、知り合いが来て、弟子が来て、こっちの面倒事へ首を突っ込んでいる。
因果応報と言えば、それまでだ。
「向こうじゃプロヒーローとして動いてた。」
「それで、あの世界の最悪ともやり合った。」
「最悪って……。」
なのはの声に、緑谷が静かに表情を引き締めた。
その顔を見ただけで、なのは達にも察するものがあったらしい。
「オール・フォー・ワンです。」
緑谷の言葉は穏やかだったが、その穏やかさの奥にある緊張は、誤魔化しようがなかった。
「僕達の世界にとっても、あれは本物の災厄でした。」
轟も続ける。
「終わったと思ってた。」
「少なくとも、俺達はそう思っていた。」
俺は短く頷いた。
「あいつとは向こうで一度戦ってる。」
「だからこそ、緑谷達も反応した。」
そのタイミングで、緑谷の腰のゼインドライバーが淡く光を帯びる。
さっきから静かだった理知的な声が、ようやく改めて場へ割って入った。
「補足します。」
なのは達が一斉にそちらを向く。
知らない二人だけでも情報量が多いのに、今度は喋るドライバーだ。
はやてが頭を抱えたくなる顔をしているのも無理はなかった。
「私は、現在このゼインドライバーへ宿っている人格、サー・ナイトアイです。」
「人格があるデバイス……。」
フェイトが小さく呟く。
なのははもう驚きを通り越して、逆に真面目に受け止めようとしていた。
「オール・フォー・ワンの異常反応を確認した時点で、看過は不可能と判断しました。」
「よって、緑谷君と轟君へ即時出動を提案し、座標調整と空間接続を実行しました。」
「つまり、さっきのオーロラカーテンと氷は……。」
なのはの問いへ、ナイトアイが即座に答える。
「緊急介入措置です。」
「現地の敵性数と、戦場制圧状況を考えれば、あの方法が最適でした。」
俺は思わず鼻を鳴らした。
「相変わらず、理屈は綺麗だな。」
「無駄を削いだ結果です。」
即答だった。
緑谷が少しだけ困ったように笑う。
轟は特に何も言わない。
こいつはたぶん、こういう癖の強い理詰めに、もうある程度慣れている。
そのやり取りを聞いて、はやてがとうとう堪えきれなくなったように口を開いた。
「いや、待ってや。」
「別世界の知り合いと弟子が来て、しかもドライバーの中身が人格持ちで、ついでにオール・フォー・ワンが向こうの因縁の相手とか、情報量が多すぎるんやけど!」
思わず緑谷が肩を揺らし、なのはもフェイトも苦笑を隠しきれなかった。
俺は額を押さえたくなるのを堪えながら、短く結論だけを言う。
「要するに、こいつらは信用していい。」
「少なくとも、俺はそう判断してる。」
その一言で、なのは達の空気が少しだけ変わった。
まだ全部を理解した訳じゃない。
だが、今この場で必要なのは、完璧な理解じゃなくて、誰を味方として数えるかだ。
なのはが最初に頷く。
「……うん。」
「ツカサ先生がそう言うなら、私は信じる。」
フェイトも続ける。
「私も。」
「まだ聞きたいことはあるけど、今は先に進む方が大事だと思う。」
はやては、最後まで複雑な顔をしていたが、結局は小さく肩を竦めた。
「ほんま、説明は後でちゃんとしてもらうからな。」
轟が短く言う。
「話は動きながらでもできる。」
緑谷も、もう戦う側の顔へ戻っていた。
「敵が消えたのは撤退であって、消滅じゃありません。」
「追うなら、今のうちだと思います。」
ナイトアイの声が、その結論を締める。
「同意します。」
「敵性反応は消失ではなく移動です。追跡を優先すべきでしょう。」
俺は凍りついた戦場の奥へ視線を向けた。
敵は消えた。
だが、それで終わるはずがない。
オール・フォー・ワンの置き土産も、イリスの開いた扉も、まだ何一つ片付いていない。
「話は後だ。」
そう言って、俺は一歩前へ出る。
「消えた連中と、イリスの動きを追う。」
「次の戦いの準備をしろ。」
短い沈黙のあとで、全員がそれぞれ頷いた。
別世界の知り合い。
別世界の弟子。
魔導師達と、人格を持つドライバー。
まとまりのない顔ぶれだ。
それでも今この瞬間だけは、同じ厄介事へ向かう側として並び立っていた。
凍りついた高架下に残る白い息の向こうで、次の面倒事の気配が、まだ消えずにこちらを待っている。