氷の欠片がまだ地面に残り、白い吐息みたいな冷気が高架下を這っていた。
敵の群れが煙のように消えたあとも、空気の奥には落ち着かないざわめきが残っていて、どうにも胸の内側が静まらない。
なのは達が緑谷と轟、それにゼインドライバーの中身まで含めた説明を飲み込みきれていないように、俺の側でもまだ片付いていない問題はいくつもあった。
その中でも、次に確かめるべきなのは、イリスが何を使い、何を引きずり出したのか、その核にいるユーリという存在のことだった。
そんな空気を裂くように、もう一つの気配が現れた。
夜気を押し返すような圧と、見覚えのある魔力の癖が三つ、こちらへ真っ直ぐ近づいてくる。
なのは達が反応するより一瞬早く、俺はそちらへ視線を向けた。
現れたのは、夜天の書から呼び起こされた王と、その両脇へ控える二人だった。
事前の情報で聞いていたが、確かに似ている。
そこにはデルタ達の複製体のように、なのは達に似た3人がいた。
ディアーチェが先頭に立ち、後ろにシュテルとレヴィが続く。
なのは達からすれば警戒すべき相手だが、今この場に来た以上、少なくとも話をする気はあるらしい。
「こんなところでのんびりしておる場合ではなかろう、という顔をしておるな」
ディアーチェが最初に口を開いたが、その声には敵意より先に焦りが滲んでいた。
王然とした態度は崩していないが、余裕のある時のそれとは違う。
俺は肩を竦めながら、短く返す。
「だったら、回りくどい前置きはやめろ」
「話があるなら、先に必要な情報だけ出せ」
その瞬間、レヴィが俺の顔をじっと見たあと、妙に面白そうに口元を緩めた。
こいつはこういう時、本当に空気を読まない。
だが、その読まなさが、逆に場を動かすこともある。
「へえ、あんたさっきよりずっと面白い顔してるじゃん」
「変なやつだとは思ってたけど、やっぱり嫌いじゃないかも」
なのは達がその軽さに少し戸惑い、はやてなどは露骨に反応へ困っている。
だが、レヴィは構わず俺を値踏みするように見ていた。
その横で、シュテルが小さく息を吐き、冷えた視線をこちらへ向ける。
「レヴィ、軽率な感想を先に出すのは控えてください」
「現時点で彼は、戦力としては有用ですが、まだ観察対象です」
「観察対象、ね」
俺がそう返すと、シュテルは表情をほとんど動かさないまま続けた。
「あなたが敵ではない可能性は高いです」
「ですが、だからといって即座に信用に値するとは限りません」
「なるほどな」
「お前はそういう役回りか」
レヴィが興味を示し、シュテルが冷静に線を引く。
そして最後に決めるのは、やはり王の役目だ。
ディアーチェは二人の反応を聞いたうえで、ようやく俺へ視線を真っ直ぐ向けた。
「使えるなら使う」
「今の貴様に対する余の判断は、それで十分だ」
その言い方に、俺はわずかに口元を歪めた。
警戒も警戒のままだが、少なくとも話を進めるだけの意思はある。
今はそれで足りる。
「それで、何を知ってる」
俺が本題を促すと、ディアーチェの表情がわずかに硬くなった。
その変化だけで、話の中心が誰なのかは察せる。
やはり、ユーリだ。
「まず言っておく」
「あれを、ただの敵として斬り捨てる気は余にはない」
なのはがすぐに反応した。
その言葉が引っかかったんだろう。
「それって、助けられるってことなの」
ディアーチェはすぐには答えなかった。
ほんの短い沈黙が落ち、そのあいだに王としての意志だけを言葉へ整える。
「助ける余地がある、ではない」
「最初から、そのつもりで来たのだ」
フェイトが視線を細める。
はやてもまた、さっきまでの困惑を少し引っ込め、真面目な顔でその続きを待っていた。
俺は黙ったまま、ディアーチェの言葉の重さを測る。
そのまま聞き流していい響きじゃない。
こいつは最初から、ユーリを止めるだけじゃなく、取り戻す気でいる。
しかし、そこで口を開いたのはディアーチェではなくシュテルだった。
「ただし、現状の私達には記憶の欠落があります」
「ユーリという名と、あの存在を見過ごしてはならないという認識はあります」
「ですが、どのような経緯でその感情が形成されたのか、その詳細は断片的です」
レヴィが珍しく横から真面目な声を出す。
「顔とか、気配とか、そういうのは分かるんだよ」
「でもさ、ちゃんと笑った顔だったのかとか、何を話したのかとか、そこが霧みたいに曖昧なんだ」
ディアーチェも、そこでようやく低く続けた。
「名は分かる」
「だが、どこで何を交わし、何を誓ったのか、その輪郭だけが抜け落ちておる」
「それでもなお、あれを見捨ててはならぬという感情だけは、はっきり残っている」
その言葉に嘘はない。
記憶は曖昧だが、責任感だけが妙に鮮明に残っている。
そういう状態なんだろう。
だからこそ、こいつらは焦っている。
理由を完全には思い出せないまま、それでも見過ごせない対象が目の前で利用されている。
「要するに、ユーリは助ける対象で、イリスが本命ってことか」
俺がそう整理すると、シュテルがすぐに首を横へ振った。
「厳密には、イリス単独とも言い切れません」
「現在のユーリは、イリスの意思だけで動いている訳ではない可能性があります」
緑谷がその補足へすぐ反応する。
こういう情報の継ぎ足しは、昔からこいつの得意分野だ。
「支配の形式が複雑になっている、ということですか」
「その通りです」
シュテルは短く頷いた。
「現在のユーリには、外部からの干渉と、内部からの封鎖が同時に感じられます」
「単純な洗脳や命令系統では説明しきれません」
轟が黙って聞いていた口を開く。
「利用されてるだけじゃない」
「利用される形に作り変えられてる、ってことか」
「そう解釈するのが妥当です」
シュテルの返答は迷いがない。
そして、その結論はあまりにも気分が悪い。
イリスがユーリへ執着し、復讐を核に動いていることは分かっている。
だが、その復讐のためにユーリそのものを“都合のいい器”へ変えているなら、話はさらに厄介だ。
「イリスは、最初からそれが目的だった」
俺がそう言うと、はやてが低く息を呑んだ。
「じゃあ、キリエまで利用されとるんか……」
「可能性は高いです」
ナイトアイの声が、ゼインドライバーから静かに割り込む。
「現時点の情報では、イリスの行動原理は復讐ですが、手段は極めて合理的です」
「ゆえに、キリエ、ユーリ、あるいは夜天の書の残滓すら、目的達成のための資源として扱っていると見るべきでしょう」
なのはが、そこで拳を小さく握った。
助けられる余地があると知ってしまえば、こいつは絶対に見捨てる方へは行かない。
「なら、なおさら止めないといけないね」
その言葉に、ディアーチェが初めてなのはの方を見た。
視線は鋭い。
だが、そこに敵意はない。
むしろ、自分と同じ結論へ至った相手を見る王の目だった。
「ようやく同じ話ができるな」
レヴィが、その空気を少しだけ崩すように笑う。
「いいじゃん、話早くて」
「少なくとも、目の前のやつを全部吹っ飛ばして終わり、って感じじゃなさそうだし」
「……お前は、最初にそこを見てたのか」
俺がそう言うと、レヴィは肩を揺らした。
「だって、さっきのあんたの顔」
「ただ怒ってるだけじゃなくて、ちゃんと“何を守るか”で止まってたじゃん」
「そういうやつなら、嫌いじゃないってだけ」
「感覚だけで話を進めないでください」
シュテルがすぐに釘を刺す。
だが、その声の硬さも、最初よりわずかに柔らかくなっていた。
ディアーチェが最後に、場を締めるように言う。
「記憶が曖昧でも、なすべきことは変わらぬ」
「ユーリは取り戻す」
「イリスは止める」
「それで十分だ」
王としての結論だった。
俺はそれを聞いてから、短く鼻を鳴らす。
「なら動くぞ」
「思い出話は、取り戻してからにしろ」
レヴィが楽しそうに笑い、シュテルは無言で頷き、ディアーチェは不満も異論も挟まずにその言葉を受け入れた。
なのは達も、緑谷も轟も、それぞれの表情で同じ結論へ辿り着いている。
ユーリはまだ敵の側にいる。
だが、切り捨てるべき敵じゃない。
イリスは止めるべき本命だ。
そして、その裏でまだ見えていない勢力が動いている。
なら、もう迷っている時間はない。
凍った戦場の残滓の向こうで、次の戦いへ繋がる不快な気配が、まだ消えずにじっと待っていた。