悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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猫同士の警戒

拠点の外れにある回廊は、壁面へ走る薄い魔力灯の青白さだけが残り、昼も夜も曖昧になるような静けさに沈んでいた。

その静けさの中心で向かい合っている二つの影は、輪郭だけなら驚くほど似ているくせに、纏う空気だけは決定的に違っていた。

 

ゼータはいつも通り、余計な力みを見せないまま真っ直ぐ相手を見ていたが、その視線の奥には普段よりも鋭い拒絶が宿っていた。

一方の魔神ゼータもまた、感情を爆発させることなく静かに立っているが、その静けさは獲物の呼吸だけを待つ毒のようで、見ているだけで嫌な冷たさが肌を這っていく。

 

少し離れた位置にはやてとディアーチェがいたが、二人とも今すぐ声を挟まず、まずはこの睨み合いがどこへ落ちるのかを見極めようとしているようだった。

 

最初に口を開いたのはゼータだった。

声は低く、短く、それだけで十分に刺々しかった。

 

「……なるほど。

私を真似たつもりなら、ずいぶん趣味が悪い。」

 

魔神ゼータは、その言葉を受けても眉一つ動かさなかった。

まるで予想していた反応を、ただ確認しただけのような顔で口元をわずかに歪める。

 

「真似じゃない。

削ぎ落として残った形が、こっちだっただけ。」

 

「気に入らない言い方だな。」

 

「でも、間違ってない。」

 

そのやり取りは静かなものだったが、だからこそ余計に危うかった。

大声で怒鳴り合う方がまだましで、この二人は互いの喉元へ刃を添えたまま、理屈だけで致命傷を狙っているように見えた。

 

魔神ゼータは視線を外さないまま、続けて言う。

 

「ツカサのことは分かってる。

あの人は、自分の痛みより先に、他人を選ぶ。」

 

ゼータは表情を変えずに返した。

 

「それで。」

 

「だから滑稽だって言ってる。

生きていれば、守れないものは増える。

失って、傷ついて、それでも前を向けなんて、よくそんな残酷なことができる。」

 

魔神ゼータの声はあくまで穏やかだった。

穏やかなまま、生きることそのものを苦痛の先延ばしだと断じ、その中心へツカサの在り方を置いてみせる。

 

「ツカサも同じだ。

生きるほど、抱えるものが増える。

だったら、死んだ方がまだ楽だろ。

少なくとも、それ以上は失わなくて済む。」

 

その瞬間、ゼータの空気がわずかに変わった。

怒鳴りはしないし、顔色も大きくは動かない。

それでも、今この場で一番触れてほしくない場所を抉られたのだと、見ている側にははっきり伝わる変化だった。

 

「気に入らない。」

 

魔神ゼータが、ほんの少しだけ首を傾ける。

 

「どこが。」

 

「分かったような顔で、勝手に終わりを決めてるところ。」

 

「決めつけじゃない。

観察した結果だ。」

 

「違う。」

 

ゼータは一歩も動かず、しかし言葉だけをさらに鋭くした。

 

「痛みを見たつもりで、その先を捨てただけだ。

ツカサは確かに、自分より他人を優先する。

でも、それを“だから死んだ方が楽だ”で片づけるのは理解じゃない。

ただの侮辱だ。」

 

魔神ゼータの瞳が、そこで初めてほんの少しだけ細くなる。

理解しているからこそ、同じものを見ているはずの相手から違う結論を返されることが、かえって気に障るのだろう。

 

「侮辱じゃない。

楽になる道を言ってるだけ。」

 

「それを勝手に決めるな。」

 

このままでは刃になる。

そう察したのか、はやてが静かに一歩だけ前へ出た。

その動きへゼータはわずかに視線を寄せたが、止めはしなかった。

 

「その言い方、ちょっとだけ分かるよ。」

 

はやてのその一言で、場の空気がわずかに揺れた。

頭ごなしの否定ではなく、まず分かると置いたことが、魔神ゼータの言葉をほんの少しだけ止める。

 

「はやて。」

 

ゼータが低く呼んだが、はやては小さく首を振った。

 

「ええねん。

ここで黙っとったら、届かへん気がするから。」

 

はやては魔神ゼータを真っ直ぐ見たまま、穏やかに、けれど逃げずに続けた。

 

「うちも、生きていて辛い時期はあった。

何で自分ばっかり、って思ったこともあったし、先なんか見えへん時もあった。」

 

魔神ゼータの目が、ほんの少しだけ揺れる。

 

「それでも生きろって言うのか。」

 

「生きろ、だけやないよ。」

 

はやては少しだけ笑って、それからとても大事なものを確かめるみたいに言葉を選んだ。

 

「一緒にいてくれる人がおったから、うちは生きてて良かったって思えたんや。

辛いことが消えた訳やないし、苦しいこともちゃんと残っとる。

それでも、一緒に笑ってくれる人がおって、一緒に怒ってくれる人がおって、それで幸せやった。」

 

回廊の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

それは理屈じゃなく、積み重ねてきた実感の重さだった。

 

「せやから、“生きとる方が辛いことしかない”って決めつけるんは、ちょっと早いと思う。

辛いまま終わる時もあるかもしれへんけど、そこにいてくれる誰かがおるだけで、景色って変わるんよ。」

 

魔神ゼータはすぐには返さなかった。

はやての言葉を否定しようと思えばいくらでもできるはずなのに、その即断ができない程度には刺さっているらしい。

 

そこで、今度はディアーチェが一歩前へ出る。

王の歩みは、優しさで包むためのものではなく、価値のある在り方と価値のない在り方を切り分けるためのものだった。

 

「貴様の言い分は理解できぬ訳ではない。」

 

魔神ゼータが、わずかに目を上げる。

 

「なら――」

 

「勘違いするな。」

 

ディアーチェはその言葉を、容赦なく途中で断ち切った。

 

「理解できることと、認めることは別だ。

痛みを知り、喪失を知り、それでも立つ者の方が強い。

最初から終わりだけを選ぶ刃に、余は価値を見ぬ。」

 

魔神ゼータは静かに聞いている。

反発はある。

だが、無視はしていない。

 

「価値、か。」

 

「そうだ。」

 

ディアーチェは迷いなく言い切った。

 

「貴様は痛みを知ったつもりで、その先を決めつけておる。

だが、ツカサは違う。

あれは苦しみを抱えたまま、それでも他人のために立つ方を選ぶ男だ。

生きているからこそ辛いのではない。

辛さを抱えたまま立つからこそ、あれには価値がある。」

 

その言葉のあと、ほんの短い沈黙が落ちた。

はやての言葉が情へ触れたなら、ディアーチェの言葉は誇りへ触れていた。

魔神ゼータの中にある“静かな諦め”は、そのどちらとも相性が悪い。

だからこそ、今は簡単に切り捨てられない。

 

「……でも、結局は失う。」

 

ようやく絞り出された魔神ゼータの言葉は、さっきまでよりほんの少しだけ力を失っていた。

 

はやてが、そこで静かに返す。

 

「失うのが怖いからって、最初から無かったことにする方が、うちは寂しいと思う。」

 

続けて、ディアーチェが断じる。

 

「それに、少なくとも今、ツカサが死んで幸福になるとは余は思わぬ。」

 

ゼータもまた、短く重ねた。

 

「私も同じだ。」

 

魔神ゼータの瞳が、その一言へ揺れる。

 

「今……?」

 

「そう。」

 

ゼータは静かに言った。

敬語ではなく、感情を広げることもなく、ただはっきりと。

 

「少なくとも今、あの人が死んでも、そこに満足も救いもない。

ただ、何も果たせないまま終わるだけだ。

それは、お前の言う“楽”にすら届かない。」

 

言葉は短い。

けれど、その断定には迷いがなかった。

魔神ゼータは目を伏せ、しばらく何も言わなかった。

完全に考えを変えた訳ではない。

生きることへの諦観も、痛みへの理解も、まだ消えていない。

ただ、それでも――今この瞬間にツカサが死んだところで、幸福にはならない。

その一点だけは、どうしても切り捨てきれなかった。

 

「……少なくとも、今は。」

 

はやてが小さく頷く。

 

「うん。」

 

「今、ツカサが死んでも、幸せではない。」

 

ディアーチェが鼻を鳴らす。

 

「ようやく話が通じたか。」

 

「勘違いするな。」

 

魔神ゼータは顔を上げた。

その瞳に宿る冷たさはまだ消えていない。

けれど、少なくともさっきまでのように、全部を終わらせる方へ真っ直ぐ向いてはいなかった。

 

「希望を信じた訳じゃない。

ただ、今ここで終わるのは無意味だと認めただけ。」

 

「それでいい。」

 

ゼータは短く返した。

 

「最初からそう言えばいい。」

 

「気に入らない言い方だ。」

 

「お互い様。」

 

少しだけ刺々しいままのそのやり取りに、はやては思わず苦笑を零しそうになる。

完全な和解なんて、最初から期待していない。

今必要なのは、同じ方向へ刃を向けられることだけだ。

 

「ありがとう、とはまだ言わへん。」

 

はやてはそう言って、魔神ゼータを見た。

 

「でも、一緒に動いてくれるなら助かるよ。」

 

「感謝は不要。」

 

魔神ゼータは平坦に返す。

 

「私は、今はまだ終わらせるべきじゃないと判断しただけ。」

 

ディアーチェが最後に場を締めた。

 

「ならば十分だ。

次からは、その刃を敵へ向けよ。」

 

ゼータもまた、短く頷く。

 

「分かってる。」

 

それで決まった。

完全な和解でも、全面的な信頼でもない。

ただ、少なくとも今この瞬間においては、ゼータと魔神ゼータの刃は互いではなく、その先の敵へ向けられる。

 

回廊へ流れる夜風が、さっきまでの張りつめた空気を少しだけ押し流していく。

はやては胸の奥で小さく息を吐き、ディアーチェは当然の結論だと言わんばかりに顎を上げた。

そしてゼータ達は、まだわずかに残る棘を抱えたまま、それでも次の戦場へ向けて同じ方向へ視線を揃えた。

 

危うい均衡だった。

けれど今は、その危うさごと必要な戦力だった。

 

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