人気のない境内に、虫の声だけが微かに残り、石段と鳥居は月明かりに淡く照らされている。その静寂の中心に立ちながら、イータはじっと前方を見据えていた。
――来た。
空気が、歪む。
鳥居の奥、御神木の影から、異質な気配が滲み出すように現れる。黒ずんだ結晶体に覆われた異形。ジェルシードの暴走体だ。原型は人間に近いはずだが、意思はほとんど感じられない。ただ、衝動と破壊欲求だけが肥大化し、暴力として噴き出している。
「……予想通り……制御、完全に失ってる……」
イータは溜め息交じりに呟いた。
同時に、わずかに肩を落とす。その口調は緩慢で、どこか気怠げだが、視線は一切ぶれていない。
「……理不尽……静かに、観察したかったのに……」
暴走体が低く唸り、地面を踏み鳴らす。神社の石畳がひび割れ、結晶が増殖するように腕から突き出した。放置すれば、周囲一帯が危険に晒されるのは明白だった。
イータは懐から変身デバイスを取り出す。
その動きに迷いはない。
「……仕方ない……実験、前倒し……」
次の瞬間、イータの姿は光に包まれた。
詳細は闇に溶けるように曖昧で、どんな仮面ライダーなのか、外見も能力もはっきりとは分からない。ただ一つ確かなのは、変身が完了した直後、神社の空気が一変したということだった。
暴走体が先に動く。
巨体を活かした突進。だが――
速い。
イータの姿が、かき消えた。
次の瞬間、鈍い衝撃音が連続して響く。
境内のあちこちで、結晶が砕け散る音。暴走体の身体が何度も揺さぶられ、対応する暇すら与えられていない。力任せではない。的確で、効率的で、徹底的な制圧。
「……ほら……ここ……関節、脆い……」
淡々とした声。
暴走体の膝が崩れ、続けて胴体が地面に叩きつけられる。反撃の兆しすら見せられないまま、最後に強烈な一撃が加えられた。
衝撃。
結晶が砕け、異形は完全に沈黙する。
境内に、再び静寂が戻った。
イータは変身を解除し、気絶した暴走体を見下ろす。
「……生存確認……うん……死んでない……」
どこか残念そうにも、満足そうにも取れる声だった。
その時だった。
「――あっ!」
石段を駆け上がる足音。
なのはとユーノが、神社に飛び込んでくる。
目に飛び込んできたのは、倒れ伏す異形と、境内に残る戦闘の痕跡。そして、そのそばに立つ、見覚えのある少女――イータだった。
「……え?」
なのはは、言葉を失う。
明らかに、戦闘があった後だ。それも、激しい戦い。だが、目の前のイータは、息一つ乱していない。
「な、なのは……あの人……」
ユーノも、フェレットの姿のまま周囲を見回し、驚きを隠せない。
「……全部……終わってる……?」
なのはの視線が、気絶した暴走体へ向かう。
「……これ……イータさんが……?」
イータは二人に気づくと、少しだけ首を傾げた。
「……間に合わなかった……?」
「い、いえ! その……」
なのはは自分の姿を思い出し、慌てて身を隠そうとする。魔法少女の恰好。明らかに普通ではない。
その瞬間、イータの目が、きらりと光った。
「……へぇ……」
一歩、近づく。
観察するような視線。好奇心が、隠しきれていない。
「……変身……魔力反応……未知のシステム……」
「えっ!?」
「……興味深い……すごく……」
なのはが後ずさる中、ユーノが思わず前に出る。
「き、君……一体……」
「……秘密……」
イータはあっさりと言い切り、気絶した暴走体に視線を戻す。
「……今は……安全……たぶん……」
境内に、微妙な沈黙が落ちる。
なのはとユーノは、互いに顔を見合わせた。
“何者か分からないが、圧倒的に強い”。
その事実だけが、二人の胸に強く刻み込まれていた。
一方イータは、内心で静かに考えていた。
(……やっぱり……この世界……面白い……)
そして同時に、確信する。
(……ツカサ……この子……中心……)
だが、そのことを口にする気はなかった。
今はまだ、観察段階だ。