悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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手を取り合う未来

 アースラの作戦室は、街で火花が散る戦場とは別種の緊張に満ちていた。

 半円状に並んだ端末の光が薄暗い室内を青白く照らし、戦況を映す複数のモニターには、夜の市街地に散る反応点と、断片的に更新される魔力波形が絶えず流れ続けている。

 ツカサ達が前線で剣と力を交えている間、この場所では目に見えない形の戦いが続いていた。

 次に誰がどこへ向かい、何を守り、どの敵を優先して止めるべきなのか、その答えを一つでも多く拾い集めるための戦いだった。

 

 緑谷出久は、作戦卓の前に立ったまま、モニターへ映る反応の変化を静かに追っていた。

 胸の奥には、すぐにでも現場へ飛び出してツカサ達と合流したい衝動が確かにある。

 それでも今この瞬間だけは、前線へ向かうことより、ここへ残って情報を繋ぎ合わせることの方が必要だと理解していた。

 焦りは消えない。

 けれど、焦っているからこそ、自分に任された役目を誤る訳にはいかなかった。

 

 作戦室の一角には、アミタとキリエが並んで座っていた。

 アミタは妹を支えるようにそばへ寄り、キリエは視線を落としたまま、膝の上で細く指を組んでいる。

 なのはとフェイトは二人の前に立ち、責めるためではなく、事情を正しく知るための落ち着いた距離を保っていた。

 どちらも、相手が敵だった時間を忘れた訳ではない。

 それでも今ここで必要なのは糾弾ではなく、これまで隠され、歪められてきた現実をほどいていくことだと分かっていた。

 

「話しにくいこともあると思います。けれど、助ける方法を探すためにも、今は知っておきたいんです」

 

 緑谷が穏やかな声でそう切り出すと、アミタは緊張した面持ちのまま小さく頷いた。

 キリエもすぐには顔を上げられなかったが、それでも逃げるようには視線を逸らさず、しばらくしてからかすかに唇を動かした。

 

「……もう、隠してる場合じゃないものね」

 

 そこで語られたのは、惑星エルトリアの現状だった。

 かつての故郷は、今では希望という言葉そのものが痩せ細ってしまうほど追い詰められていて、環境は崩れ、人々の暮らしは先の見えない不安に呑まれ、助かる方法を願うこと自体が苦痛へ変わりつつある。

 アミタの説明はできるだけ落ち着いていたが、その言葉の端々には、どうしようもなかった時間を何度も見てきた者だけが持つ疲れが滲んでいた。

 キリエはその合間に、父を失ったことや、故郷を救える可能性へどれほど必死に縋ったのかを断片的に補う。

 その声は揺れていたが、揺れているからこそ、彼女がどれだけ追い詰められていたのかが伝わってくる。

 

 イリスの言葉を信じたかったのではなく、信じられるものがそれしか残っていなかった。

 故郷も父もまだ救えるのだと、誰かに言ってほしかった。

 だから、差し出された道がたとえ危うくとも、そこへ手を伸ばさずにはいられなかった。

 キリエの言葉を聞きながら、なのはは否定を挟まず、フェイトもまた静かに耳を傾けていた。

 簡単に責められる種類の選択ではないと、二人ともよく分かっていたからだった。

 

 話が一段落すると、作戦室には短い沈黙が落ちた。

 エルトリアの現状は重い。

 イリスの行動は許されない。

 それでも、キリエがそこへ至った経緯を聞いてしまえば、敵と味方だけで切り分けるにはあまりにも苦すぎる現実があった。

 その沈黙の中で、緑谷は一度だけ目を閉じる。

 今ここで必要なのは、励ましの言葉を重ねることではない。

 自分もまた、絶望しか見えない場所から誰かの手を取ってもらった側だと、正直に伝えることだと感じていた。

 

「……少しだけ、僕の話をしてもいいですか」

 

 キリエがゆっくりと顔を上げた。

 アミタも、なのはも、フェイトも、その言葉の続きを待つように緑谷を見る。

 彼はいつものように大きく感情を見せたりはしなかったが、その瞳の奥には、ここで逃げずに自分の体験を差し出そうとする静かな決意が宿っていた。

 

 それと共に、緑谷が語ったのは、この世界とは異なる個性と呼ばれる力を持つ人々がいる世界のことだった。

 そこではヒーローと呼ばれる職業の人々が人を守るために戦い、傷つき、時に敗れ、それでも立ち上がり続けていたこと。

 そして、自分自身もまた、その背中へ憧れながら、決して最初からそこへ届く側の人間ではなかったこと。

 何度も手が届かず、何度も現実に打ちのめされ、夢を見続けること自体が苦しくなるような瞬間が幾つもあったこと。

 それでも途中で終わらなかったのは、自分一人の力だけではない。

 差し伸べてくれる手があり、信じてくれる背中があり、隣で一緒に走ってくれる仲間がいたからこそ、ようやくヒーローを目指す道を歩き続けることができたのだと、彼は丁寧に言葉を選びながら伝えていった。

 

 その語りは大きな身振りも、劇的な言い回しもない。

 むしろ静かで、真っ直ぐで、だからこそ余計な飾りがなく、聞く者の胸へ重く沈んでいく。

 一人だけでは辿り着けない場所があること。

 けれど、手と手を取り合い、支え合い、信じ合えたなら、たった一人では到底届かなかった場所へも進んでいけること。

 緑谷が語るそれは綺麗事ではなく、何度も倒れそうになった本人だけが持つ実感だった。

 

「一人だけじゃ、辿り着けない場所もあります」

 

 ここだけは、緑谷は自分の声で、はっきりとそう言った。

 落ち着いたその言葉が、先ほどまでの語りのすべてを静かに支える芯になる。

 

「でも、多くの人と手を取り合えたなら、きっと成し遂げられることもあるんです」

 

 キリエは、すぐには返事をしなかった。

 けれど、それは拒絶の沈黙ではなかった。

 今まで張りつめていたものが少しだけ緩み、簡単には飲み込めないほど真っ直ぐな言葉を、胸の内側でようやく受け止め始めた沈黙だった。

 アミタは、そんな妹の横顔を見てから、改めて緑谷へ視線を向ける。

 

「それを、あなたは本当にやってきたんですね」

 

「はい」

 

 緑谷は迷わず頷いた。

 そこには誇示も虚勢もなく、ただ事実として受け入れた実感だけがあった。

 

「だから、僕は“もう無理だ”って言葉を、簡単には受け入れたくないんです。

 全部をすぐに解決できるなんて言いません。

 でも、僕達にできることがあるなら、力を貸したい。

 エルトリアのことも、ユーリのことも、イリスのことも、ちゃんと向き合いたいと思っています」

 

 なのはがその言葉を引き取るように、一歩前へ出た。

 柔らかな声のまま、それでも芯の強さはまっすぐ通っている。

 

「私も同じ気持ちだよ。

 助けられるなら、絶対に助けたい」

 

 フェイトも静かに頷く。

 彼女の声は、なのはより少し低く、けれど同じだけ確かだった。

 

「私達も、見捨てるためにここにいる訳じゃない。

 キリエのことも、アミタのことも、エルトリアのことも、簡単じゃないって分かってる。

 それでも、手を伸ばせるなら伸ばしたいと思ってる」

 

 その言葉を前にして、キリエは唇を噛み、少しだけ俯いた。

 すぐに全部を信じられるほど、彼女が抱えてきたものは軽くない。

 疑いも、傷も、怒りも、まだ消えてはいない。

 それでも、長い沈黙のあとで、ようやく絞り出すように言葉が零れた。

 

「私……まだ全部を信じ切れる訳じゃない」

 

「それでいいと思います」

 

 緑谷は間を置かず、しかし急かさずに答えた。

 信じろと迫らないその返し方が、かえってキリエの肩から力を抜かせる。

 

「でも……あなたの言葉は」

 

 キリエはそこで一度言葉を切り、少しだけ目を伏せてから続けた。

 

「嘘じゃないって思った」

 

 それだけで十分だった。

 全面的な信頼ではない。

 けれど、絶望だけで閉ざされていた場所へ、誰かと手を取る可能性がほんの少しでも差し込んだなら、それは次に進むための確かな変化だ。

 アミタは静かに頭を下げ、なのはとフェイトもまた、強く言葉を重ねずにその変化を受け止める。

 押しつけず、でも逃がさない。

 その距離感が、この場にはちょうどよかった。

 

 作戦室のモニターには、なおも市街地の反応が流れ続けている。

 ツカサ達が戦う夜の街は、まだ完全に静まった訳ではない。

 それでも今この艦内では、別々の世界から来た者達が、ようやく同じ方向を向くための土台を作り始めていた。

 前線で交わされる剣撃や砲火だけが戦いではない。

 こうして誰かの体験を差し出し、誰かの痛みを聞き取り、同じ目的へ向かう理由を繋ぎ直すこともまた、次の戦場を支える大切な一手だった。

 

 緑谷はもう一度だけモニターへ目を向け、そっと拳を握った。

 前線へ出ていない今の自分にも、できることはある。

 そして、その積み重ねが、きっと次の一歩を支える。

 そう信じられるだけの時間が、今のアースラには確かに生まれていた。

 

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