轟が築いた氷壁は、夜の交差点そのものを巨大な檻へ変えていた。
青白い城壁みたいな氷の表面には、砕けたネオンの赤や紫が歪んで映り込み、冷たさの中へ毒々しい色だけがゆっくりと揺れている。
停止した車両のボディは薄く霜をまとい、ひび割れたフロントガラスの向こうには、もう誰もいない座席だけが沈黙したまま残されていた。
信号機は意味を失った色を繰り返し、交差点へ吹き抜ける夜風が、散乱したガラス片を細く鳴らしながら滑っていく。
そんな凍てついた都市の中心で、二人のデルタは、ほとんど同時に喉の奥を震わせた。
それは会話ではない。
合図でもない。
獲物を前にした獣が、本能のもっと深い場所で同じ結論へ辿り着いた時にだけ漏れる、剥き出しの咆哮だった。
「オオオオオオオッ!」
「ガアアアアアアッ!」
白金のケルビムが、翼を大きく広げて踏み込む。
舞い散る羽片は雪のように美しいのに、その中心を貫く本体の動きだけは、慈悲の欠片もなく荒々しかった。
蹴り砕く。
殴り潰す。
押し潰す。
そうとしか言いようのない直線的な暴力が、夜の空気を真っ二つに裂きながらアークゼロワンへ叩きつけられる。
その横を、デルタバルカンが赤黒い残光を引いて滑る。
レーザーレイズライザーから吐き出された光が、交差点の闇へ幾筋も走り、外れた弾丸が氷壁の端を削って細かな結晶を吹き上げた。
だが、撃つだけでは終わらない。
次の瞬間には別の武装が具現化し、さらにその次の瞬間には、また別の刃が夜の死角を切り裂く。
ケルビムが真正面から圧をかけるなら、デルタバルカンは横から、斜めから、上から、その圧が生む逃げ道ごと食い破るように牙を差し込んでいく。
「ボスのテキ!」
ケルビムの声は言葉としては単純だったが、その単純さこそが本能の深さを示していた。
次の瞬間、白金の拳がアークゼロワンの胸部へ叩き込まれる。
いや、叩き込まれるはずだった。
アークゼロワンは避けた。
ほんの半歩だけ。
それだけで、拳の芯から自分だけを外している。
上半身はアークワンそのものの圧を残したまま、下半身はアークゼロ由来の滑らかさで軸をずらす。
血に染まった亡霊みたいなその姿は、迫る暴力を前にしても不気味なくらい静かだった。
「予測済みだ」
平坦な声が、二人の咆哮の合間へ冷たく差し込まれる。
だが、その言葉が終わるより先に、アークゼロワンが避けた先へ、デルタバルカンの赤黒い光刃が斜めから噛みついていた。
「クウ!」
デルタバルカンの一撃を、アークゼロワンは肩の鋭利なラインを使って弾く。
火花が散る。
交差点の中央で赤い火と白い氷の粉が混ざり合う。
しかし、その弾いた瞬間こそが次の罠だった。
アークゼロワンが軸を戻そうとした場所へ、すでにケルビムの翼が開いている。
翼打撃。
白金の羽を伴った重い一撃が、空気そのものを叩き割るように振るわれた。
アークゼロワンはそれもまた避ける。
避けることには成功している。
だが、その成功がもう安全を意味しない。
避けた先に、次の牙がある。
外したはずの横へ、デルタバルカンの具現化武装が滑り込み、さらにその刃をずらした先へ、もう一度ケルビムの拳が落ちる。
二人の攻撃は荒い。
整ってなどいない。
なのに今だけは、その荒々しさが奇妙なほどズレなく噛み合っていた。
打ち合わせた訳ではない。
理屈で組んだ訳でもない。
ただ、殺すべき敵が同じだという一点だけで、二頭の獣の本能が同じ方向へ噛み合っている。
「ヨケルナ!」
ケルビムが吼える。
その声には、ただ攻撃を外された苛立ちだけではなく、獲物がまだ立っていることそのものへの怒りが混じっていた。
「ニガサナイ!」
デルタバルカンも低く唸る。
その声音は喜悦に近かったが、今は愉しみよりもずっと単純な殺意の方が勝っている。
アークゼロワンは、なおも対処し続ける。
半身になる。
回避する。
最短距離だけを選び取り、二人の牙が交差するぎりぎりの空間へ自分を滑り込ませていく。
普通の相手なら、それで十分だった。
だが、今の二人のデルタは、その“避けた先”すら本能で食い潰し始めていた。
ケルビムの蹴りを外した次の瞬間、デルタバルカンの光弾が膝を撃つ。
その射線を切った先へ、今度は白金の斧撃が真横から食い込む。
斧を反発させれば、その跳ね返りの角度へまた別の武装が差し込まれる。
避けている。
受け流している。
それでも、処理しきれない。
予測はしているのに、その予測へ届くまでに状況がさらに一段進んでいる。
「加速値が……上振れている」
アークゼロワンが初めて不快そうに吐き出した声は、今までの平坦さを少しだけ失っていた。
その僅かな揺れすら、二人のデルタには十分な餌になる。
「キライ!」
ケルビムが、怒りそのものを翼へ乗せるようにさらに踏み込んだ。
白金の光が一気に膨れ上がり、交差点へ降る羽片の量が目に見えて増えていく。
「モット! モットツヨクナル!」
ケルビムドライバーが激しく明滅する。
翼はさらに広がり、光量は増し、白金の装甲そのものが限界近くまで熱を孕んだように眩く変わる。
それはもう、一体のライダーというより、殲滅のためだけに圧縮された天使じみた暴威だった。
押し潰すための出力が、一気に天井近くまで跳ね上がる。
その変化を見た瞬間、デルタバルカンもまた狩猟の流れを変える。
レーザーレイズライザーから複数の武装を連続で具現化し、交差点の周囲へ赤黒い罠みたいに展開していった。
氷壁、停止車両、砕けた標識、散乱した信号機の残骸。
その全部を利用して、アークゼロワンが退くための空間を次々と細く削っていく。
「トジル」
魔神デルタの声は低い。
だが、そこにある意志はあまりにも明快だった。
「ニゲミチ、ゼンブクウ」
交差点そのものが檻になる。
青白い氷壁が背後を塞ぎ、デルタバルカンの射線が左右を奪い、ケルビムの圧が正面を埋める。
アークゼロワンは後退する。
だが、その後退先もまた、すでに赤黒い光と白金の羽の中に喰われていた。
「演算修正──」
その言葉は最後まで続かなかった。
デルタバルカンの光弾が膝を撃ち抜き、浮いた重心へケルビムの体当たりが真正面から突き刺さる。
衝撃でアークゼロワンの身体が後方へ吹き飛び、砕けた標識と氷の破片を巻き込みながら、氷壁の手前で強引に片膝をついた。
胸部の赤い発光は乱れ、仮面の黒と白の境目に走ったひび割れが、街灯の光を鈍く返す。
「タオス!」
ケルビムの声が交差点へ響く。
その一言で十分だった。
デルタバルカンも、もう同じ結論へ辿り着いている。
「イッショニ!」
今まで二人は、同じ敵を噛むために暴れていた。
だが、この瞬間だけは違った。
同じ敵を、同じタイミングで、同じ一撃で仕留める。
その本能だけが、奇妙なくらい自然に重なる。
ケルビムが翼を大きく開いた。
デルタバルカンがレーザーレイズライザーを収納し、身体を低く沈める。
白金の光。
赤黒い残光。
次の瞬間、二人は同時に跳んだ。
「オオオオオオオオッ!」
「ガアアアアアアアッ!」
夜の交差点を、二筋の流星が斜めに裂く。
アークゼロワンは立ち上がろうとする。
避けようとする。
予測し、修正し、最短距離を取ろうとする。
だが、もう遅い。
二つの本能的な加速は、そのすべてを上回っていた。
白金の蹴りが、真正面から胸部へ叩き込まれる。
赤黒い蹴りが、斜めから胴を抉るように食い込む。
二つのライダーキックが同時に突き刺さった瞬間、交差点の中心で爆光が炸裂した。
「予測、不能──」
アークゼロワンの声は、その最後の単語だけを残して千切れた。
轟の氷壁が衝撃で細かく鳴り、停止車両の窓ガラスが一斉に砕け、青と白と赤の光が夜の都市を一瞬だけ真昼みたいに塗り潰す。
その中心で、血に染まった亡霊めいた異端の装甲が耐えきれず崩れていく。
上半身の赤い中枢発光が砕け、白へ侵食されていた仮面がひび割れ、アークワンとアークゼロを無理やり接ぎ木したようなその輪郭が、最後には光の残滓と共に砕け落ちた。
爆音が遠ざかる。
夜の交差点へ戻ってきたのは、氷壁を伝って細かく走る振動と、焦げた金属の匂いだけだった。
ケルビムとデルタバルカンが、ほとんど同時に着地する。
白金の羽片がゆっくりと舞い落ち、赤黒い光も徐々に収束していく。
勝った、という感覚はたぶんない。
二人の中に残っているのはもっと単純なものだ。
ボスへ牙を向けた敵を殺した。
それだけで十分だった。
ケルビムは、まだアークゼロワンがいた場所を睨みながら、短く呟く。
「オワリ」
デルタバルカンもまた、低く笑うように喉を鳴らした。
「ボスのテキ、クッタ」
その声だけが、氷の壁へ反射して交差点の中へ長く残る。
夜の街では、まだ他の場所で戦いが続いている。
この一戦は、その中のほんの一つに過ぎない。
それでも、この交差点では確かに、本能だけで噛み合った二頭の獣が、予測と悪意の異端を噛み砕いてみせたのだった。