正月の神社というのは、不思議な空間だ。
人は多いのに、気が緩み、警戒心が消え、だいたい余計なことが起きる。
ツカサは境内の端、甘酒の屋台の前に立っていた。
目的は明確だ。
「……並ぶな。押すな。順番だ」
見た目は子供。だが、完全に引率の教師の声だった。
デルタは屋台の前でそわそわしている。
ゼータは参拝客の流れを確認し、イータは屋台の鍋を無言で観察していた。
「ボス、甘酒です!」
デルタが振り返り、目を輝かせる。
「正月だぞ! イベントです! 飲みましょう!」
「“イベント”って言葉を正月に使うな。嫌な予感しかしねぇ」
ツカサがそう言った直後だった。
デルタはもう、湯気の立つ紙コップを受け取っていた。
「いただきます!」
一口。
次の瞬間――
「うおおおおおおお!!」
デルタの姿が、消えた。
正確には、見えなくなったわけではない。
速すぎて、残像しか見えない。
「……は?」
次の瞬間、鳥居の周囲を黒い影が周回しているのが見えた。
「ボス! なんか速いです! 景色が流れます!」
「それは“速い”って言うんだよ!!」
ゼータが目を細める。
「……移動速度、異常。魔力反応、ない」
イータが鍋を覗き込みながら言う。
「物理バフだね。飲料摂取型。即効性高すぎ」
ツカサは屋台のおばちゃんを見る。
「……これ、何入ってます?」
「米と麹だけだよ?」
「嘘つけ」
その間に、ゼータも甘酒を受け取っていた。
「……せっかくだし」
「待て、今飲むな」
遅かった。
ゼータが一口飲んだ瞬間、空気が変わる。
「……?」
参拝客が、一斉にゼータを見る。
「……きれい」
「……女神?」
「……拝もう」
「なんで!?」
気づけば、ゼータの前に自然発生した整列。
拍手まで起きている。
「ち、違うから! 参拝は向こう!」
ツカサは頭を抱えた。
「……魅了系かよ。正月に厄介すぎる」
その横で、イータが無言で甘酒を受け取る。
「イータ、飲むな」
「検証」
一口。
――イータが、消えた。
「……あ?」
声だけが聞こえる。
「透明化。たぶん完全」
屋台のおばちゃんが悲鳴を上げる。
「きゃあ! 甘酒が勝手に減ってる!」
「すみません、それ仲間です」
ツカサは深く息を吸った。
「……配布型チートか。転生者の悪ノリだな」
屋台の看板を見ると、小さな文字。
「迎春特製・運気上昇甘酒」
さらに下に、もっと小さく。
「※効果には個人差があります」
「個人差の問題じゃねぇ」
ツカサは紙コップを奪い取る。
「全員、飲むな。没収――」
「え?」
その瞬間、参拝客の視線がツカサに集中する。
「……なんで急に静かになった」
イータの声が、どこからともなく聞こえる。
「ツカサ、甘酒の効果が“対象の本質を強化”するタイプなら……」
「なら?」
ツカサは嫌な予感しかしなかった。
「ツカサが飲むと――」
遅かった。
屋台のおばちゃんが、善意100%で差し出す。
「はい、坊やもどうぞ」
「……断」
断る前に、コップを持たされた。
周囲の圧。
教師としての反射。
「……一口だけだ」
飲んだ。
瞬間、世界が変わる。
参拝客たちが、突然立ち止まった。
「あ……宿題……」
「明日、仕事……」
「今年の目標……」
人々が、それぞれの“やるべきこと”を思い出し、静かに帰り始める。
境内が、みるみる空いていく。
デルタが走って戻ってきた。
「ボス! 速すぎて酔いました!」
ゼータが呆然と呟く。
「……人が、いなくなった」
イータが姿を現す。
「“教師補正”。周囲に自省と帰宅衝動を付与」
ツカサは額を押さえた。
「……正月にまで仕事を持ち込むな……」
屋台のおばちゃんが首を傾げる。
「あら、急に静かになったねぇ」
「ええ……大事故になる前でよかったです」
ツカサは甘酒の鍋を指差す。
「これ、今日限りでやめてください」
「え? 人気だったのに?」
「なおさらだ」
四人は神社を後にする。
デルタが楽しそうに言う。
「ボス、正月っぽかったですね!」
「どこがだ」
ゼータが苦笑する。
「でも……ちょっとだけ、楽しかった」
イータが空を見上げる。
「転生者、たぶん“配るだけで世界が壊れる”のを楽しんでる」
ツカサはポケットの中のカードに触れた。
「……なら、片付けるだけだ」
背後の神社では、
何事もなかったように、新しい参拝客が門をくぐっていく。
その平和の裏で、
また一つ、“おかしな正月”が静かに処理されたのだった。