悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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友情という宝

 結界の奥へ進むほど、街に散っていた戦闘の音は電波塔の鉄骨に吸い込まれるように遠ざかっていく。塔の下では、轟が築いた氷壁が街路を塞ぎ、遠くの空では魔力光やライダーの攻撃が夜の雲を短く照らしているが、地上の喧騒は上層へ登るにつれて薄まり、代わりに風が鉄骨を鳴らす音だけが耳へ残るようになっていた。

 

 キリエ・フローリアンは、点検階段を先導する海東大樹の背中を見上げながら、手すりを掴む指に力を込めていた。足元の金属板は一歩ごとに小さく軋み、塔の外側へ目を向ければ、街の灯りと結界の青白い線が、遥か下方で複雑な網の目を描いている。ここは教会でも、研究室でもない。強い風に晒された鉄の塔であり、地上と空を繋ぐ通信の柱であり、今はイリスが何かを隠すにはあまりにも相応しい場所へ変わっている。

 

「・・・本当に、この先にイリスがいるの?」

 

 キリエの声は、風に消されないよう少し強く出したはずなのに、問いの底にはまだ迷いが残っていた。海東は振り返らず、軽い足取りのまま階段を上がり続ける。

 

「おや、これは心外だね。僕としては、こういう情報収集はきっちりとしているからね」

 

 その返答には、場違いなほどの余裕がある。キリエは彼がどこまで知っているのか分からないまま、さらに数段を上がり、強い風に髪を揺らされながら彼の横顔へ視線を向けた。

 

「・・・あなたは知っているの、イリスの事を」

 

「さぁね、けれど、この先に関する事は君次第じゃない」

 

 海東はその言葉だけを残して、最後の踊り場へ出る。そこから上は、電波塔の上層点検デッキだった。赤い航空障害灯が一定の間隔で明滅し、太いアンテナ支柱の周囲には、結界制御に使われているらしい青白い光が走っている。送信用ケーブルは本来の設備とは違う魔法陣めいた模様へ接続され、塔そのものが巨大な制御装置として改造されているように見えた。

 

 海東は点検デッキの扉へ手を伸ばすと、鍵穴を探すでもなく、指先で空間を軽く叩いた。薄い光の膜が水面のように揺れ、封鎖されていた入口が音もなく開く。キリエが踏み込んだ先で、風が一段強く吹きつけた。高所の冷たい空気が頬を打ち、その向こうに、イリスが立っている。

 

 彼女はアンテナ支柱の前にいた。背後には結界光が輪のように巡り、足元の通信ユニットから伸びた光の線が、塔全体へ血管のように広がっている。キリエを見ても大きく驚く様子はなく、むしろ来ることを分かっていたように、少しだけ目を細めて笑みを作った。その笑みは昔の明るさを思わせる形だけを残し、中身は相手を近づけないための硬さで固められている。

 

「へぇ、まさかもう来ているんだ」

 

「えぇ、なんだってあなたには話さないといけない事があるのだから」

 

 キリエは手すりから手を離し、揺れる点検デッキの上を一歩ずつ進む。足元の金属床には結界の光が薄く反射し、二人の間へ青白い線を引いていた。海東の気配は背後から消えているが、今のキリエは彼を追わない。目の前にいるイリスへ、言わなければならないことがある。

 

「話さないといけない事? あなたと話す事なんてないわよ。何も知らないあなたに」

 

「イリスが知らない事、あるよ」

 

 キリエの言葉が、イリスの拒絶を遮った。塔のアンテナを走っていた青白い光が一瞬だけ乱れ、航空障害灯の赤が不規則に揺らぐ。

 

「なにをっ」

 

「私、聞いたの。あなたが隠していた事も、ユーリの事も、あの子を使って何をしようとしていたのかも全部。正直、最悪だった。悲しかったし、腹も立ったし、あなたの事を信じていた自分まで嫌になった」

 

 キリエは真実の中身を長く並べない。説明すればするほど、そこで傷ついた心が置き去りになる気がしていた。だから彼女は、知ったことの詳細ではなく、それを聞いた時に胸の奥へ残った感情だけをイリスへ渡す。イリスの笑みは崩れ、彼女の背後で結界光が細い稲妻のように弾けた。

 

「やめて、そんな顔で言わないでよ。何なのっこれを! こんな真実を知らせてっ何をしたいのっ」

 

 イリスの声は怒りを装っているが、その底では隠してきたものを見られた恐怖が震えている。彼女が一歩後ろへ下がると、点検デッキの手すりに青白い光が走り、塔の下方へ広がる封鎖領域の一部が揺らいだ。キリエはその変化に気づきながらも、言葉を止めない。

 

「止めに来た。友達として」

 

「友達っ何を言っているの! 私はあなたを利用しただけなのよ!」

 

 イリスの叫びに合わせて、電波塔の支柱が低く唸り、通信ケーブルの光が荒く明滅する。塔全体が彼女の感情へ反応しているようだった。キリエは吹きつける風に足元を取られそうになりながらも、その場に踏み留まり、イリスの言葉を真正面から受け止めた。

 

「利用された事がなかったなんて言わないよ。騙されたし、傷ついたし、今だって全部許せるわけじゃない。でも、それでも私は、あなたといた時間が全部嘘だったとは思いたくない」

 

「そんなの、あなたが勝手にそう思ってるだけじゃない」

 

「そうかもしれない。けれど、勝手に信じたからこそ、勝手に終わらせたくない」

 

 キリエの声は風に押されながらも、確かにイリスへ届いていた。イリスは反論を探すように唇を震わせるが、すぐには言葉が出ない。かつての友人を突き放すために選んできた言葉が、今は自分の胸へ返ってきているようだった。

 

 その時、鉄骨の陰から場違いな拍手が響いた。点検デッキの上部フレームに足をかけていた海東が、軽く身を翻して二人の見える位置へ降り立つ。彼は最初からそこにいたような顔で、風に揺れるコートを片手で押さえながら、重い会話の中へ怪盗らしい軽さを差し込んだ。

 

「利用し合う事から始まる友情もあるんじゃないの」

 

 イリスの視線が鋭くなる。青白い結界光が彼女の足元から走り、海東の立つ場所へ警戒の線を伸ばす。

 

「お前はっディエンドっ! なんで」

 

「何、僕からも言わせて貰うよ。友情は、怪盗としては最高のお宝の一つだからね」

 

 海東は悪びれた様子もなく、点検デッキの手すりへ背を預ける。キリエは眉を寄せ、彼がいつから会話を聞いていたのか問いただしたくなったが、彼の視線がイリスの背後の通信ユニットへ向いていることに気づき、言葉を飲み込む。海東はただ割り込んだのではなく、この塔に隠された何かへ既に目を付けている。

 

「海東さん、いつからそこにいたの?」

 

「最初から、と言ったら怒るかな」

 

 軽く返された言葉に、キリエは小さく息を吐く。だが、イリスは彼の軽さを受け流せない。塔の制御光が彼女の周囲で揺れ、風に混ざって細かなノイズが走る。

 

「あなた、何をしに来たの」

 

「君の隠しているお宝を、少し見に来ただけだよ。もっとも、それが記憶なのか、塔に仕込んだ制御データなのか、あるいはまだ自分でも名前を付けられない感情なのかは、これから確かめるところだけれどね」

 

 海東の言葉に、イリスの表情が凍る。彼が「お宝」と呼んだものは、宝石や機械部品ではない。イリスがこの電波塔を使って隠し、制御し、広げてきた何かであり、ユーリに関わる中核かもしれない。キリエにも、それだけは伝わった。

 

「ふざけないで。あなたに盗ませるものなんて、何もないわ」

 

「それはどうかな。怪盗というのはね、持ち主が価値を知らないものほど見逃せない性分なんだ」

 

 海東の笑みは軽いが、言葉は鋭い。イリスは何かを隠している。キリエが真実を告げたことでその表面が割れ、海東はその奥へ手を伸ばそうとしている。

 

「・・・イリス、私はあなたを許しに来たんじゃない。でも、あなたがこのまま全部壊すところを見たくない」

 

「そんなこと、今さら言われても」

 

「今さらでも言うよ。友達として止めに来たって言ったから」

 

 キリエの声が、強い風の中で揺れずに届く。イリスは答えない。電波塔の上では、赤い航空障害灯が不規則に明滅し、アンテナ群を走る青白い光が強くなっていく。塔の下では、まだ戦闘の光が街を照らしている。けれど今、この高所にあるのは、かつて友達だった二人の間に置かれた真実と、それを盗もうとする怪盗の視線だった。

 

 海東は一歩だけ通信ユニットへ近づき、足元のケーブルを踏まないよう器用に避ける。その動作は何気ないが、既にどこを触ればこの塔の中枢へ届くのかを見極めているようにも見えた。

 

「さて、感動の再会が続くのは結構だけど、そろそろ選んだ方がいい。隠したまま全部失うのか、それとも盗まれる前に自分で差し出すのか」

 

「あなた、やっぱり何者なの?」

 

 イリスの問いに、海東はディエンドライバーへ手を伸ばすこともなく、ただ怪盗らしい余裕を纏ったまま笑みを深める。

 

「通りすがりの怪盗さ。君がこの塔に隠しているお宝を、少し見に来ただけだよ」

 

 その言葉が落ちた瞬間、電波塔のアンテナ群が青白く明滅し、塔全体を走る結界制御の線が一度だけ大きく乱れた。イリスが隠していたものへ、海東の視線は確かに届いている。キリエはイリスを見つめ直し、イリスは塔の制御ではなく、目の前の友人と言葉を交わすしかない場所へ追い込まれていく。風はなお強く、鉄骨は軋み続けているが、この高所で開いた分岐は、もう誰にも見なかったことにはできなかった。

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