悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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真実を塗りつぶす泥

 電波塔の上層を吹き抜ける風は、先ほどよりも冷たさを増していた。赤い航空障害灯が不規則に明滅し、アンテナ群を走る青白い結界光は、イリスの呼吸に合わせるように揺らいでいる。キリエが告げた真実は、言葉としては短いものだったはずなのに、イリスの中では隠してきた過去を一気に剥ぎ取る刃となり、塔の制御系まに揺らいでいる。キリエが告げた真実は、言葉としては短いものだったはずなのに、イでも乱すほどの震えを生み出していた。

 

「やめてよ、そんな言葉で私を揺らさないで」

 

 イリスは叫ぶように言いながら、アンテナ支柱の前で片手を胸元へ押し当てる。青白い光の線が彼女の足元から塔全体へ走り、下方の街へ広がる結界ラインが波打つように歪んでいく。キリエはその光の乱れを見ても後退せず、強い風に押される髪を片手で押さえながら、イリスとの距離を少しでも詰めようと足を踏み出した。

 

「・・・揺れているなら、まだ戻れるって事でしょ」

 

「戻る場所なんて、もうないわよ」

 

 イリスの声は鋭く、けれど完全に突き放すには弱さが混じっていた。キリエにはその弱さが分かるからこそ、何も知らないふりをすることはできない。彼女がもう一歩進もうとしたその時、塔の鉄骨の奥から、青白い光とは違う赤黒い滲みがゆっくりと広がり始めた。

 

 それは最初、油の染みのように見えた。けれど次の瞬間には、金属床の隙間から這い上がり、通信ケーブルの表面を伝い、血液とインクを混ぜたような不快な艶を帯びて増殖していく。風に晒された高所であるにもかかわらず、その赤黒い液体だけは吹き散らされず、むしろ何かの意思を持つようにイリスの足元へ近づいていた。

 

「おや、少しまずいね。どうやら、この塔に別の客が入り込んでいる」

 

 海東は軽い調子を崩しきらないまま言うが、その手は既にディエンドライバーへ伸びかけている。キリエが振り返るより早く、彼の視線は鉄骨の陰に固定されていた。そこに立っていたのは、人影というには輪郭が歪みすぎた赤黒い異形だった。

 

「別の客って、どういう事?」

 

「僕より無粋な泥棒が来たという事さ」

 

 海東の言葉が終わる前に、赤黒い影が鉄骨の陰から歩み出る。ジャックリバイスを思わせる荒々しいシルエットへ、血の色を走らせた機械的な装甲が重なり、悪魔の肉体へ冷たい部品を縫い付けたような姿が、電波塔の航空障害灯に照らされて浮かび上がる。仮面の奥からは低い呼気のような音が漏れ、手にしたブラッドベイドバイスタンプが不気味な光を帯びていた。

 

「なに……この、赤いもの」

 

 イリスが足元のインクへ視線を落とした瞬間、ブラッドベイドがわずかに首を傾ける。感情を読み取れない動きだったが、その存在がイリスだけを見ていることは明らかだった。

 

「……見つけた」

 

 低く掠れた声と同時に、ブラッドベイドバイスタンプから赤黒いインクが噴き出す。液体は空中で飛沫になることなく、帯のように伸びてイリスの足首へ絡みつき、そこから膝、腰、腕へと這い上がっていった。キリエは反射的に走り出すが、足元から立ち上がったインクの壁が彼女の前を塞ぎ、手が届く寸前でイリスとの間を断ち切る。

 

「イリス、離れて!」

 

「いやっ、何なのこれ! 入ってこないでっ」

 

 イリスの悲鳴が電波塔の上層へ響く。彼女はインクを振り払おうとするが、赤黒い液体は服や肌の表面へ貼りつくだけではなく、結界制御の青白い線へも侵食していく。塔を巡っていた光が赤黒く濁り、アンテナ群へ伝わるたびに、下方の結界ラインが不気味な歪みを見せた。

 

「イリス!」

 

 キリエはインクの壁を叩くが、そこに手が触れた瞬間、熱とも冷たさとも違う痺れが指先から腕へ走る。彼女は痛みに顔をしかめながらも手を引かず、もう一度イリスの名前を呼ぶ。けれどインクは厚みを増し、声すら飲み込むように蠢いていた。

 

「これは少し趣味が悪いね。僕のお宝を、勝手に塗り潰すつもりかい」

 

 海東はディエンドライバーを抜き、赤黒いインクへ銃口を向ける。だが、撃つ直前に彼はわずかに目を細めた。インクはイリスだけでなく、塔の制御系にも深く入り込んでおり、下手に撃てばイリス自身や結界制御まで壊しかねない。その躊躇の隙を、ブラッドベイドは逃さない。

 

「血は混ざり、悪魔は宿る」

 

 ブラッドベイドがバイスタンプをイリスへ向けて押し込むように構えると、インクの流れが一段強まった。イリスの身体は赤黒い膜に包まれ、背後のアンテナ支柱には血管のような紋様が走り始める。青白かった結界の光は次々と濁り、電波塔そのものが巨大なスタンプで押印されたように、赤黒い紋様を刻まれていく。

 

「やめてっ、私の中に入ってこないで! キリエ、いや、来ないでっ」

 

 イリスの言葉は助けを求める声と、近づくなという拒絶が混ざったものだった。キリエはその矛盾を責めることなどできず、インクの壁へ手を押しつけたまま、声を張り上げる。

 

「イリス、返事してよ! 私はまだ、あなたの話を聞いてない!」

 

 その叫びに、一瞬だけイリスの瞳がキリエを捉えた。赤黒い膜に包まれていく中で、彼女の唇がかすかに動く。

 

「……キリエ……逃げて……」

 

 その声は確かにイリスのものだった。だが次の瞬間、ブラッドベイドの赤黒い装甲が液体の中から浮かび上がり、彼女の身体を覆うように硬化していく。イリスの輪郭は完全に消えるのではなく、装甲の奥に閉じ込められるように沈み、ブラッドベイドの異形の姿と重なっていった。

 

 キリエは目の前で起きていることを否定するように首を振るが、融合は止まらない。ブラッドベイドの胸部にイリスの結界光が絡みつき、赤黒いインクと青白い魔力が混ざり合うことで、装甲の隙間には不安定な光が脈打ち始める。ブラッドベイドはイリスを取り込んだことで、ただの赤黒いライダーではなく、この電波塔の制御を内側から奪う異質な存在へ変わっていく。

 

「逃がさない。混ざったものは、もう戻らない」

 

 ブラッドベイドの声が響く。そこには低い悪魔の声だけでなく、かすれたイリスの声も重なっていた。キリエはその声を聞いた瞬間、胸を掴まれるような痛みを覚えながら、インクの壁が崩れていくのを見た。壁は消えたのではなく、すべてブラッドベイドの装甲へ吸い込まれていったのだ。

 

「なるほど、これは盗む前に壊されると困る類のお宝だね」

 

 海東は銃口を下げないまま、ブラッドベイドとイリスが重なった異形を見据える。軽い口調は残しているが、その目は笑っていない。彼が狙っていたお宝は、ただのデータではなかったのだろう。イリスの中に残る本心、塔の制御中枢、そしてキリエが繋ぎ止めようとした友情、そのすべてが今、赤黒いインクに塗り潰されかけている。

 

「・・・イリス、今度は絶対に手を離さない」

 

 キリエは震える手を握り締める。さっきまで友達として止めに来たと言った彼女は、今度は取り込まれた友達を引き戻さなければならない場所へ立たされていた。足元の金属床を走る結界光は赤黒く染まり、アンテナ群は不安定な信号を街へ放ち始めている。

 

 ブラッドベイドはゆっくりと顔を上げる。装甲の奥で、イリスの意識が完全に消えたわけではないことを示すように、胸元の青白い光が一度だけ弱く瞬いた。海東はそれを見逃さず、ディエンドライバーの銃口をわずかに下げる。

 

「盗むなら中身だ。外側を壊しただけでは、このお宝は取り戻せない」

 

 その言葉に、キリエはブラッドベイドを見つめたまま頷く。電波塔の風はなお強く、赤い航空障害灯は乱れたまま明滅している。イリスを取り込んだブラッドベイドは、塔の制御を握りながら一歩を踏み出し、キリエと海東の前に立ちはだかる。真実を告げるだけでは届かなかったものを、今度はこの赤黒い悪魔の中から取り戻さなければならない。

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