フィル・マクスウェルを名乗る男は、ミラージュアギトの姿のまま、炎で焼けた道路の先に立っていた。さっきまでこちらを囲んでいたギルアギトの群れは、獣じみた唸りを残しながらも、誰かの命令を待つ兵隊みたいに動きを止めている。背後にはなのは、フェイト、はやてがいて、それぞれ構えを解いていない。俺もフレイムセイバーを握ったまま、目の前の男を見据えていた。
ヘキサオーズとして緑谷に倒されたはずのフィルが、こうして別の姿で現れている。その事実だけでも十分に厄介だが、本人はそれを大した問題だと思っていないらしい。むしろ、倒された個体がいたことさえ、予定された実験結果の一つだとでも言いたげな顔をしている。
「私達は観測者です。緑谷出久の勝利も、あなた達の合流も、すべて次の検証へ進むための記録に過ぎません」
「観測者、ね。便利な言葉だな。人を使って、世界を乱して、それでも自分は見ているだけだと言える」
俺がそう返すと、フィルの複眼がわずかに揺らいだ。ミラージュアギトの装甲は蜃気楼のように輪郭を滲ませ、まるでそこにいるのに、そこにはいないような不安定さを見せている。だが、声だけは穏やかで、温度がない。
「乱しているのではありません。変化を記録しているのです」
「ユーリさんやイリスさんを巻き込んでおいて、それを記録なんて言葉で片付けるんですか」
なのはの声には怒りが滲んでいた。普段なら相手へ踏み込みすぎないよう言葉を選ぶ奴だが、今回はそうもいかないのだろう。フィルはなのないのだろう。フィルはなのはへ顔を向けると、責められているという自覚がないように、淡々と言葉を続けた。
「感情の揺らぎも、選択の変化も、未来分岐を測るためには必要です」
それを聞いて、俺は怒鳴る代わりに息を吐いた。こういう相手は、怒りをぶつけるだけでは何も落とさない。自分の言葉を正しいものとして積み上げている奴は、その土台に小さな矛盾を見つけてやった方がよく崩れる。
「なら聞くが、ただの観測者がどうしてギルアギトを動かす。どうしてヘキサオーズを用意する。どうして緑谷をこの世界に引き込んだ」
フィルは答えるまで、ほんのわずかに間を置いた。その間があるだけで十分だった。こいつは質問の意味を理解している。理解したうえで、どう言い換えれば自分達の立場を崩さずに済むかを選んでいる。
「緑谷出久は、観測に値する因子を持っていました。OFAという継承された力は、この世界の魔力体系とは異なる異物です」
「異物だから呼んだ、ということですか」
フェイトの声は低い。バルディッシュの刃には雷光が細く走っていて、いつでも踏み込める体勢を保っている。フィルはそれにも動じず、まるで研究室で結果を報告するように続けた。
「呼んだ、という表現は正確ではありません。彼は導かれ、この世界へ接続されたのです」
「同じことだ。扉を開けた奴がいるなら、それはもう観測じゃない。立派な介入だ」
俺の言葉に、はやてが小さく頷いた。足元にはいつでも展開できるよう、魔法陣の光が薄く浮かんでいる。
「観測者が手ぇ出したら、それは実験者や。しかも被験者に説明なしのな」
「あなた達の言葉で分類するなら、そう見えるのかもしれません」
見える、ではない。そうなのだ。だがフィルは、自分達の行動に名前をつけ替えることで、罪の形をぼかしている。観測、記録、検証、接続。どれも人を道具として扱うには都合のいい言葉だが、そこに人の意思は入っていない。
そして今の返答で、もう一つ見えたものがある。
「お前達だけじゃないな。OFAをこの世界へ引っ張った連中が別にいる」
フィルは沈黙した。ギルアギト達も動かない。風が焼けた道路を通り抜け、フレイムセイバーの炎だけが小さく揺れた。
「……興味深い推論です」
「外れなら笑えばいい。黙るということは、当たりに近いということだ」
なのはがレイジングハートを胸の前に構え直し、フェイトは視線だけで周囲を確認している。はやても何かを感じ取ったのか、フィルではなく空間そのものへ意識を向けていた。
「待ってください。緑谷さんが来た時の次元反応、エルトリア由来の反応だけじゃありませんでした」
「魔力とも、個性とも違う干渉痕が混ざっていました。あれが誰かの仕掛けなら、最初から緑谷さんを狙っていたことになります」
「フィル、あんたらは観測者で、その組織は招待者ってことか」
招待者。はやての言葉は皮肉としてはよくできていた。勝手に扉を開け、勝手に戦場へ引き込み、あとは観測者に記録を取らせる。招待状に返事を書かせる気すらないなら、それは招待ではなく拉致に近い。
「招待者、ですか。詩的な表現ですね」
「名前はどうでもいい。そいつらはOFAを餌にして、この世界の変化を見たかった。お前達はその結果に乗った。違うか」
フィルの複眼に走る青白い線が、わずかに強く光った。イリス由来の制御光か、それとも複製体としての反応か。どちらにせよ、人間が返答に詰まった時の沈黙とは違う。用意された答えの外へ出た時、端末が処理に迷うような間だった。
「完全な正解ではありません。しかし、否定するには惜しい精度です」
「やっぱり、お前は黒幕じゃない。観測者というより、記録係に近いな」
「その評価は不正確です。私は検証を継続するために存在しています」
「自分で判断しているつもりか。だが、お前の言葉は誰かが用意した実験記録を読んでいるだけに聞こえる」
フィルの空気が、そこでわずかに変わった。怒ったわけではない。動揺したとも違う。だが、こちらを人間としてではなく、想定外の反応を返す対象として見直したような気配があった。
「挑発としては悪くありません。ですが、あなたの推測もまた記録対象です」
「記録したければ好きにしろ。こっちは記録されるために戦ってるんじゃない」
俺はフレイムセイバーの切っ先を下げず、フィルの足元を見る。そこに影が揺れた。ギルアギト達が、再び前傾姿勢を取り始めている。話はもう終わりらしい。
「ツカサさん、来ます」
なのはの声に、俺は視線を前から外さずに頷いた。桜色の魔力が収束し、レイジングハートの先端へ光が宿る。
「ギルアギト達が動き始めています」
フェイトはバルディッシュへ雷光を走らせ、いつでも前衛へ出られる位置へ半歩進んだ。はやては俺達の足元へ防御と支援の魔法陣を重ね、前方の敵群を睨む。
「話し合いはここまでみたいやな」
フィルはゆっくりと腕を上げる。その動きに合わせて、周囲のギルアギト達が一斉に唸りを深くした。こいつは観測者を名乗りながら、戦場の駒を動かす。やはり見ているだけの存在ではない。
「OFA、魔法、ライダーシステム、そして門矢士。すべてが同じ戦場に揃った今、検証を進めるには最適です」
「人を盤面の駒みたいに並べて満足している奴に、教えてやることがある」
「何でしょうか」
「盤面をひっくり返す奴がいるってことだ」
フィルのミラージュアギトの装甲が蜃気楼のように揺らぎ、背後のギルアギト達が同時に地面を蹴る寸前の姿勢を取った。なのはは砲撃の軌道を定め、フェイトは雷の速度で踏み込む準備をし、はやては複数の魔法陣を同時に展開している。俺はフレイムセイバーを握り直し、敵の最初の一歩に合わせて走るつもりで、足へ力を込めた。
「では、次の検証を始めましょう」
「来い。観測者気取りの記録係」
フィルの腕が振り下ろされる。ギルアギトの軍勢が動き出し、ミラージュアギトの複眼に不気味な光が走った。次の瞬間には、炎と魔力と雷がぶつかり合う戦場になる。だが、その直前の一拍で、俺は確信していた。
こいつらの背後には、まだ別の誰かがいる。OFAをこの世界へ呼び寄せ、魔法とライダーと異世界の継承因子を同じ盤面に並べた奴らがいる。なら、目の前の記録係を倒すだけでは終わらない。だが、まずはこの戦場をひっくり返す。話はそれからだ。