悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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宇宙の繋がり

 空へ落ちていく、という感覚がある。

 

 地上から見上げる空は果てしなく高いくせに、いざその中へ叩き込まれてみると、俺はまるで深い海の底へ沈んでいく石みたいだった。パワーダイザーの射出で得た勢いを、マシンマッシグラーがさらに噛み砕くように加速へ変える。白い雲の層を突き破り、空の青が濃くなり、やがて黒へ変わっていく。

 

 その変化は、思ったより静かだった。

 

 地上では、まだ戦いが続いている。なのは達がミラージュ・アギトを抑え、フェイトが空を裂き、はやてが皆を繋いでいる。デルタ、ゼータ、イータも、それぞれのやり方であの場を支えているはずだ。

 

 けれど、ここまで来ると音は遠い。

 

 俺の耳に届くのは、フォーゼの装甲越しに響く機械の駆動音と、通信に混じる微かなノイズだけだった。地上で交わされた声も、熱も、焦げた空気の匂いも、すべて置き去りにしてきたみたいに感じる。

 

 少し前の俺なら、たぶんその静けさを気楽だと思った。

 

 一人で先へ行く。邪魔なものは蹴散らす。世界がいくつあろうと、俺は俺のやり方で通り抜ける。

 

 それで十分だった。

 

 だが、今は違う。

 

『ツカサ先生、聞こえますか?』

 

 通信の向こうから、なのはの声がした。ノイズに削られて少し滲んでいるのに、その声だけはやけに真っ直ぐ届く。

 

「聞こえてる。心配性だな、お前は」

 

『心配くらいします。今、先生は一人で宇宙にいるんですよ』

 

「宇宙だろうが隣町だろうが、大して変わらん」

 

『変わります』

 

 即答だった。

 

 その短い言葉に、思わず口元が緩む。

 

 変わる、か。

 

 確かに、少し変わったのかもしれない。俺が一人で勝手に進むことを、当たり前みたいに見送らない奴らがいる。無茶をするなと怒り、帰ってこいと願い、そのくせ俺が行くと決めた時には、背中を押すだけの覚悟を見せる。

 

 面倒な関係だ。

 

 だが、悪くない。

 

『そろそろ衛星軌道や。ツカサ先生、正面に反応がある』

 

 はやての声が割り込む。普段より少し硬い。指揮官として冷静でいようとしているが、その奥にある不安までは隠し切れていない。

 

「衛星砲か」

 

『せやと思う。けど、それだけやない』

 

 通信の向こうで、イータが小さく息を飲んだ。

 

『……いる。衛星の前に、何かいる』

 

 マシンマッシグラーが最後の推進を終え、俺の視界が一気に開けた。

 

 眼下には地球があった。

 

 青く、丸く、静かで、残酷なくらい綺麗だった。あの下で誰かが傷つき、誰かが泣き、誰かが歯を食いしばって戦っていることなんて、まるで知らない顔をしている。

 

 そして、その青を見下ろす位置に、巨大な砲身が浮かんでいた。

 

 人工衛星というには武骨すぎる。要塞というには無駄がない。地上を撃つためだけに組み上げられた、冷たい悪意の塊だった。

 

「……随分と高い場所に隠してやがったな」

 

 俺はマシンマッシグラーのハンドルを握り直す。

 

 衛星砲の前方に、人影が浮かんでいた。

 

 水色の長い髪が、重力のない空間で水草のように揺れている。少女の形をしている。だが背中に接続された大型のバックパックと、そこから伸びる複数の砲身が、その輪郭を人間から遠ざけていた。

 

 機械の天使。

 

 いや、違う。

 

 あれは門番だ。

 

 扉の前に立ち、通る者を選ばず、ただ排除するための存在。

 

『対象、確認』

 

 通信とは違う声が、直接こちらへ割り込んできた。

 

 少女の声だった。けれど、感情の起伏がほとんどない。冬の湖面みたいに冷えていて、何かを映しても波立たない。

 

『接近個体、識別不能』

 

「出迎えにしては、随分と物騒な格好だな」

 

 返事はなかった。

 

 代わりに、少女――イリスの瞳の奥が淡く光る。

 

『衛星砲到達可能性、確認』

 

「おいおい。少しは会話する気はないのか」

 

『脅威レベル、最大』

 

 次の瞬間、俺の周囲に赤い照準線が走った。

 

 宇宙は黒い。どこまでも深い闇だ。その中に引かれた赤い線は、まるで血管みたいに見えた。逃げ場を塞ぎ、命の流れを逆算し、俺の未来を射抜こうとしている。

 

「チッ……!」

 

 マシンマッシグラーを傾ける。

 

 光が来た。

 

 音はない。爆風もない。ただ、白い閃光が通り過ぎた瞬間、背後に漂っていた小さな残骸群がまとめて消し飛んだ。音がないからこそ、その破壊は余計に不気味だった。

 

『今の、直撃したら終わり……』

 

 イータの声が震える。

 

『収束率が高すぎる。地上に撃った時より、ずっと鋭い』

 

『ツカサ先生!』

 

 なのはの声が飛んでくる。

 

「騒ぐな。まだ当たっちゃいない」

 

『でも、当たりそうでした!』

 

「そういう時は、当たらなかったことを褒めろ」

 

『帰ってきたら怒ります』

 

「帰ってからにしてくれるなら助かる」

 

 軽口を叩きながら、俺はマシンマッシグラーから身を躍らせた。

 

 宇宙に投げ出される。

 

 普通なら、それは死と同義だ。だが、今の俺はフォーゼの姿をしている。宇宙は敵ではない。むしろ、この姿にとってはホームグラウンドに近い。

 

「なら、こっちも宇宙向きで行くか」

 

 ロケットの推進が背中を押す。

 

 俺の身体が黒い海を裂いて加速した。イリスの正面から外れ、衛星砲へ斜めに接近する。狙うのは本体だ。門番に付き合っている時間はない。

 

『対象、進路変更』

 

 イリスの背部バックパックが花のように展開する。

 

 綺麗だと思った。

 

 こんな状況で、馬鹿げているが、本当にそう思った。水色の髪と白い装甲、背中で開く砲身の群れ。その姿は、地上に咲く花ではなく、宇宙に置き去りにされた造花のようだった。

 

 美しいが、根がない。

 

 誰かに飾られるためだけに作られた花。

 

 そして、その花は迷わず俺へ砲口を向けた。

 

『迎撃精度、補正開始』

 

「なるほど。勉強熱心な門番ってわけか」

 

 光線が連続で走る。

 

 俺は身体を捻り、ロケットの噴射で軌道を変え、ドリルの回転で姿勢を立て直す。フォーゼの機動は荒っぽいが、こういう場所ではむしろ都合がいい。重力に縛られないなら、多少無茶な角度でも突っ込める。

 

「邪魔だ!」

 

 ドリルを前に出し、イリスへ突撃する。

 

 だが、当たる寸前でイリスの姿が横へ流れた。

 

 背中のスラスターが青白い光を吐き、彼女の身体を滑らせる。俺のドリルは空を削り、イリスはそのまま俺の死角へ回り込んだ。

 

『接近戦能力、確認』

 

「機械みたいな声で、人の嫌がることばかり上手いな」

 

『対象の行動予測、更新』

 

 副砲が展開する。

 

 細い光が何本も走った。真正面から撃つのではなく、逃げ道を先に塞ぐ射撃。俺が動こうとした先へ、光が置かれていく。

 

 避けているはずなのに、追い詰められていく。

 

 黒い宇宙が急に狭く感じた。

 

 地上から見れば無限に広いはずの空間が、赤い照準線と白い砲撃で区切られ、檻に変わっていく。空が檻になるなんて、随分と皮肉な話だ。

 

『ツカサ、聞こえる!?』

 

 フェイトの声が入る。

 

「聞こえてる」

 

『そっちは一人じゃない。私達も、見てる』

 

 一瞬、返事に詰まった。

 

 見ている。

 

 その言葉が、妙に胸に残った。

 

 これまで俺は、誰かに見られることを好まなかった。期待されるのも、心配されるのも、面倒だった。世界を渡る旅は、誰かの視線から逃げる旅でもあったのかもしれない。

 

 だが今は、その視線が背中を支えている。

 

 重力のない宇宙で、俺を地上へ繋ぎ止める糸になっている。

 

「……分かってる」

 

 短く答える。

 

『今、少し素直でした?』

 

「気のせいだ、なのは」

 

『録音しておけばよかったです』

 

「するな」

 

 はやてが小さく笑った気配がした。ほんの一瞬だけ、通信の向こうの空気が軽くなる。

 

 その瞬間を、イリスは見逃さなかった。

 

『対象、通信反応中。隙を確認』

 

「可愛げのない奴だな」

 

 巨大な砲身が開く。

 

 さっきよりも大きな光が収束していく。衛星砲本体ほどではないが、フォーゼの装甲で受け止めるには大きすぎる。

 

『排除優先度、最上位』

 

 白い光が放たれた。

 

 俺はロケットを全開にして回避する。だが、遅い。光の端が肩をかすめ、装甲に火花が散った。衝撃が腕から胸へ抜ける。痛みはない。それでも、焼けた感覚だけが神経に残った。

 

『ツカサ先生!』

 

「大丈夫だ。肩を撫でられただけだ」

 

『撫でる火力じゃありません!』

 

 なのはの声が本気で怒っている。

 

 その怒りに、少しだけ救われた。

 

 怒ってくれる相手がいるというのは、面倒だ。けれど、悪くない。悪くないどころか、今の俺にはそれが必要だった。

 

 俺はライドブッカーを構える。

 

 イリスは強い。ただの護衛ではない。こちらの動きを読み、学習し、衛星砲への進路を徹底的に潰してくる。フォーゼの機動力だけでは、突破できても時間がかかる。

 

 その時間が、地上にはない。

 

 なのは達は耐えている。俺が衛星砲を止めると信じて、地上を守っている。

 

 なら、俺も応えなければならない。

 

 信頼というのは、借りを作ることに似ている。

 

 重い。厄介だ。時には動きを鈍らせる。

 

 だが、その重さがあるから、人は踏み止まれる。

 

「本当は、こういう使い方は派手すぎて好きじゃないんだがな」

 

 ライドブッカーから一枚のカードを抜く。

 

 通常のライダーのカードではない。

 

 武器でも、フォームでもない。

 

 別の世界の、別の戦いから拾い上げた、とっておき。

 

 イリスの瞳が光る。

 

『高エネルギー反応、検知』

 

「相手が衛星砲なら、こっちも図体を合わせる」

 

『対象戦力、再評価準備』

 

「遅い」

 

 俺はカードを掲げた。

 

「ある意味、とっておきだ」

 

 ディケイドライバーにカードを装填する。

 

『ATTACK RIDE』

 

 音声が宇宙に響く。

 

 いや、実際に音が響いたわけではない。ここは真空だ。だが、その声は確かに俺達の戦場を震わせた。黒い宇宙に、巨大なカードの幻影が開く。

 

 それは扉だった。

 

 世界と世界を繋ぐ、俺にとっては見慣れた、けれど誰かにとっては非常識そのものの扉。

 

『え……?』

 

 イータが呆然と呟く。

 

『なんや、今度は何を呼んだんや……!?』

 

『ロボット……?』

 

 なのはの声が、驚きに染まる。

 

 カードの向こうから巨大な影が現れた。

 

 重厚な装甲。ロケットの推進器。唸りを上げるドリル。衛星砲と真正面から殴り合うための質量と力を備えた、巨大な戦士。

 

 ロケットドリルゴーバスターオー。

 

 その巨体が、衛星砲とイリスの前に立ちはだかった。

 

 イリスが初めて、ほんのわずかに沈黙した。

 

 感情ではないのかもしれない。ただの処理遅延かもしれない。けれど、その一瞬だけ、機械の花が風に揺れたように見えた。

 

『巨大質量反応、確認』

 

「確認が遅いって言っただろ」

 

 俺はロケットドリルゴーバスターオーへ向かって飛ぶ。

 

 コックピットが開いた。

 

 その中へ滑り込む瞬間、地球が視界の端に映った。青く、遠く、綺麗で、泣きたくなるほど脆い星。

 

 あそこに、俺を待っている声がある。

 

 帰ってきたら怒ると言った少女がいる。

 

 無茶をするなと釘を刺す指揮官がいる。

 

 見ていると言ってくれた仲間がいる。

 

 なら、帰らない理由はない。

 

 操縦席に座り、モニターを起動する。

 

 正面にはイリス。

 

 その背後には衛星砲。

 

 ロケットドリルゴーバスターオーのドリルが回転を始める。低い振動が操縦席まで伝わってきた。胸の奥で鳴る鼓動と、機械の唸りが重なる。

 

『脅威レベル、再設定』

 

 イリスの砲身がこちらを向く。

 

「そうしろ」

 

 俺は操縦桿を握る。

 

「衛星砲相手の喧嘩なら、これくらいがちょうどいい」

 

『ツカサ先生』

 

 なのはの声がした。

 

 さっきより落ち着いている。けれど、その奥にはまだ祈るような震えがあった。

 

「何だ」

 

『帰ってきてください』

 

 命令でも、お願いでもない。

 

 それは約束の確認だった。

 

 俺は少しだけ笑った。

 

「ああ」

 

 ロケット推進器に火が灯る。

 

 イリスの瞳が光る。

 

 衛星砲の冷たい巨体が、地球を背に沈黙している。

 

「来いよ、門番」

 

 俺は真正面を見据えた。

 

「こっから先は、俺が通る」

 

 黒い宇宙に、ドリルの唸りが咲いた。

 

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