悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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貫きドリル

 宇宙には音がない。

 

 そのはずなのに、操縦席の中ではやけに騒がしかった。警告表示が赤く点滅し、計器の針が振れ、ロケットドリルゴーバスターオーの巨体が唸るたびに、操縦桿を握る掌へ低い振動が伝わってくる。

 

 目の前には、衛星砲。

 

 地球を見下ろすように浮かぶそれは、兵器というより、空に打ち込まれた巨大な釘だった。あの下にいる連中を一まとめに縫い止めるためだけに作られた、悪趣味な釘だ。

 

 その前に、イリスがいた。

 

 水色の髪が、無重力の中でゆっくり広がっている。背中の大型バックパックが開き、砲身が花弁のように展開していた。綺麗と言えば綺麗だ。けれど、その花は蜜を持たない。香りもしない。ただ、近づいたものを撃ち落とすためだけに咲いている。

 

『巨大質量兵器、確認。対象脅威レベル、再設定』

 

「遅いな。こっちはもう始める気だ」

 

 俺が操縦桿を押し込むと、ロケットドリルゴーバスターオーの推進器に火が入った。

 

 無音のはずの宇宙で、胸の奥だけがやかましく鳴る。機械の駆動音と、自分の呼吸が重なっていた。ヘルメットの内側に吐息が跳ね返り、視界の端で赤い警告灯が何度も瞬く。

 

『衛星砲への接近、禁止』

 

「悪いが、禁止されて止まるほど行儀よく育ってない」

 

『排除行動、開始』

 

「来いよ、門番」

 

 イリスの全砲門がこちらを向いた。

 

 次の瞬間、白い光が幾筋も走る。音はない。爆風もない。だが、モニター越しに見える光の線は、避け損ねた未来だけを容赦なく焼き払っていった。

 

 俺は機体を横へ倒す。

 

 巨体が軋む。ロケット推進で無理やり軌道を曲げ、右腕のドリルを前へ突き出した。光線の一つをドリルの先端で削る。白い奔流が左右へ裂け、機体の装甲をかすめた。

 

 警告音が一段高くなる。

 

「うるさい。まだ壊れてないだろ」

 

 自分に言ったのか、機体に言ったのか、少し分からなかった。

 

 俺は正面へ突っ込む。

 

 衛星砲を砕くには、あの砲身へドリルを叩き込めばいい。単純で分かりやすい。そういうのは嫌いじゃない。

 

 だが、イリスは単純ではなかった。

 

『防衛行動、継続』

 

 彼女は撃ち合わない。勝とうとしない。俺が衛星砲へ向かうたび、必ずその間へ滑り込んでくる。砲撃で押し返し、推進器で横へ逃れ、俺のドリルの進路だけを的確に潰す。

 

 俺を倒すための動きじゃない。

 

 衛星砲を守るための動きだ。

 

「それしか言えないのか?」

 

『衛星砲保護が最優先』

 

 壊れたレコードみたいに、同じ言葉が返ってくる。

 

 舌打ちしかけた口が止まった。

 

 モニターの中で、イリスの片側の砲身が火花を散らしていた。さっきの接触で一部が歪んだらしい。それでも、彼女は衛星砲の前から退かない。損傷した砲口を無理やりこちらへ向け直し、次弾を装填している。

 

 誰かに命令されたのか。

 

 そう作られたのか。

 

 どちらでも同じだ。あの姿は、自分の足で立っているようで、実際には衛星砲に縫い付けられている。

 

『ツカサ先生、聞こえますか!』

 

 通信に、なのはの声が割り込んだ。

 

 ノイズに削られているのに、その声だけはやけに真っ直ぐ刺さる。

 

「聞こえてる。耳元で叫ぶな」

 

『叫びます! 今、すごく危なかったです!』

 

「危なかっただけだ。問題ない」

 

『それ、問題ある人の言い方です!』

 

 思わず口の端が上がる。

 

 この状況で説教してくる余裕があるなら、地上はまだ持っている。そう思いたかった。

 

 だが、はやての声がそれを否定する。

 

『ツカサ先生、長引かせたらあかん。衛星砲、また充填し始めとる』

 

 モニターの端に、衛星砲の内部反応が表示された。

 

 砲口の奥に光が溜まっている。白く、冷たく、地上を見下ろす光だ。

 

『照準、地上……こっちに向いてる』

 

 イータの声が小さく震えた。

 

 別モニターに、地上から送られてくる映像が映る。揺れる画面の中で、なのは達がミラージュ・アギトを抑えていた。バリアの光が削れ、フェイトの金色の軌跡が敵の腕を引き裂き、はやての魔法陣が崩れかけた足場を支えている。

 

 デルタが前へ出る。ゼータがその隙を埋める。イータは通信機を握りしめたまま、空を見上げていた。

 

 なのはが一瞬、こちらを見るように顔を上げる。

 

 画面越しなのに、その視線が俺の胸元を掴んだ。

 

『先生』

 

「何だ」

 

『帰ってきてください』

 

 短い言葉だった。

 

 頼むでも、命令でもない。ただ、当たり前の約束を確認する声だった。

 

 俺は操縦桿を握り直す。掌の中で金属が軋む。

 

「ああ」

 

 返事は、それだけで十分だった。

 

 イリスが再び前へ出る。

 

『対象、正面突破を選択』

 

「そう見えるか?」

 

『防衛行動、実行』

 

「なら、その癖ごと抜かせてもらう」

 

 ロケットドリルゴーバスターオーを真正面へ加速させる。

 

 イリスは予想通り、衛星砲の前へ滑り込んだ。背部バックパックが開き、残った砲身が俺の機体を狙う。白い照準線がモニターを埋め尽くした。

 

 まっすぐ行けば、イリスごと砕く。

 

 それが一番早い。

 

 けれど、操縦桿を押す俺の指は、わずかに横へ動いていた。

 

 直前で片側の推進器だけを噴かす。巨体が斜めに滑り、ドリルの軌道がイリスの胴体から逸れた。

 

『軌道変更――』

 

「遅い」

 

 ドリルが、イリスの背中を抉った。

 

 装甲が砕ける。砲身が折れる。推進器が火花を散らし、背部バックパックが花弁のように散っていく。イリスの身体が衝撃で衛星砲の前から流された。

 

 モニターの中で、彼女の瞳が一瞬だけ揺れた。

 

 驚いたのか。

 

 処理が遅れただけか。

 

 その答えを確かめる時間はなかった。

 

『衛星砲、発射態勢』

 

 イリスの声が、途切れ途切れに響く。

 

 衛星砲の砲口に集まった光が、もう限界まで膨れ上がっていた。白い光が地球へ向けて伸びようとしている。

 

 地上の映像が乱れる。

 

『ツカサ先生!』

 

 なのはの声がノイズに沈む。

 

「分かってる」

 

 俺はロケットドリルゴーバスターオーを衛星砲へ向ける。

 

 逃げ道はない。回り込む時間もない。砲撃を避ければ地上が焼かれる。止めるなら、正面から行くしかない。

 

 嫌いじゃない、と俺は思った。

 

 こういう馬鹿みたいに分かりやすい状況は、嫌いじゃない。

 

「こっちは今から、少し派手に行く」

 

『ツカサ!』

 

 フェイトの声が飛んでくる。

 

「耳元で叫ぶなって言っただろ」

 

 全推進器を点火。

 

 操縦席が赤い警告で染まる。計器が悲鳴を上げる。機体のあちこちが限界を訴えている。けれど、操縦桿はまだ動く。ドリルはまだ回る。なら、十分だ。

 

 衛星砲が撃った。

 

 白い光が、宇宙を裂いて地球へ向かう。

 

 俺はその中心へ突っ込んだ。

 

 視界が白に塗り潰される。装甲が焼ける。警告音が重なりすぎて、逆に一つの長い悲鳴みたいに聞こえた。ドリルが砲撃の光を噛み砕き、左右へ散らしていく。

 

 腕が重い。

 

 肩が軋む。

 

 操縦席の床から伝わる振動が、骨の奥まで響く。

 

 それでも、手は離さなかった。

 

 地上の青が、白い光の向こうに見えた気がした。そこにいる連中の顔が、通信越しの声が、なのはの「帰ってきてください」が、一本の糸みたいに俺を前へ引っ張る。

 

「これで――」

 

 ドリルが砲身に届く。

 

「終わりだ」

 

 ロケットドリルゴーバスターオーの右腕が、衛星砲の砲口を貫いた。

 

 内部で光が暴れる。巨大な砲身に亀裂が走り、衛星砲の全体が歪んだ。白い光は地球へ届く前に裂け、宇宙の闇へ霧散していく。

 

 次の瞬間、衛星砲が内側から砕けた。

 

 爆発の光が、黒い宇宙に大きく咲く。

 

 音はない。

 

 けれど、その無音の花は、地上からでも見えるほど派手に散った。

 

 俺は機体を反転させ、爆発圏から離脱する。背後で衛星砲の残骸がゆっくりと崩れ、地球の外側へ流れていく。

 

『衛星砲の反応、消失……!』

 

 はやての声が聞こえた。

 

『光が……消えた』

 

 イータが呟く。

 

 地上の映像が戻る。

 

 なのはが空を見上げていた。手にしたレイジングハートを握る指が白くなっている。フェイトがその隣に立ち、何も言わず肩を並べていた。

 

『先生……?』

 

「聞こえてる」

 

 返した瞬間、なのはの肩が小さく落ちた。

 

 息を吐いたのだと分かった。

 

『……よかった』

 

「泣くのはまだ早い。そっちはまだ終わってないだろ」

 

 画面の中で、ミラージュ・アギトが咆哮するように体を震わせた。

 

 衛星砲の脅威が消えたことで、地上の空気が変わる。押し潰されそうだった光が、少しだけ前へ出る。

 

『全員、ここで決める!』

 

 はやての声が飛んだ。

 

『なのは!』

 

『うん!』

 

 フェイトが金色の雷のように駆ける。ミラージュ・アギトの腕を弾き、デルタとゼータが左右から隙をこじ開ける。

 

『胸部装甲、割れてる……今なら通る』

 

 イータの声。

 

 なのはが一歩前へ出た。小さな体で、大きな砲撃を構える。画面越しに、その背筋がまっすぐ伸びるのが見えた。

 

『レイジングハート!』

 

『All right.』

 

『これで、終わりにする!』

 

 桃色の光が放たれる。

 

 ミラージュ・アギトの胸を貫き、ひび割れた装甲の奥で光が爆ぜた。黒い影が崩れ、地上の戦場に散っていく。

 

 誰かが勝ったというより、全員が最後まで倒れなかった。

 

 そんな終わり方だった。

 

 悪くない。

 

 俺はモニターを切り替える。

 

 衛星砲の残骸の中に、イリスが漂っていた。

 

 背部武装はほとんど失われ、砲身は折れ、推進器も死んでいる。水色の髪だけが、壊れた装甲の間でゆっくり揺れていた。

 

『衛星砲反応……消失』

 

「見れば分かる」

 

『防衛任務、失敗』

 

「そうだな」

 

 イリスは壊れた腕を動かそうとした。だが、指先が少し震えただけで止まる。瞳の光が一度弱まり、また灯った。

 

『私は……失敗したのですか』

 

「さあな」

 

『回答を要求します』

 

「だったら、壊れずに自分で考えろ」

 

 ロケットドリルゴーバスターオーの左手を伸ばす。

 

 イリスは抵抗しなかった。できなかったのかもしれない。巨大な手の中に収まった彼女は、壊れた人形みたいに小さかった。

 

 助けたわけじゃない。

 

 そう言い訳するには、少しばかり手際が良すぎた。

 

 爆発の残光が、モニターの端でまだ揺れている。衛星砲の残骸は流星みたいに地球の外側を流れ、やがて光の粒になって消えていった。

 

『ツカサ先生、聞こえますか?』

 

「聞こえてる」

 

『そっちは……終わりましたか?』

 

 なのはの声には、まだ少し震えが残っていた。けれど、さっきよりも細くない。折れずに残った糸みたいな声だった。

 

 俺は操縦席の背もたれに軽く体を預ける。

 

 張り詰めていた指を開くと、掌に操縦桿の跡が残っていた。

 

「ああ」

 

 短く息を吐く。

 

「終わった」

 

 通信の向こうで、誰かが笑った。はやてかもしれないし、フェイトかもしれない。デルタの呆れ声も混じっていた。

 

『ほんま、心臓に悪い人やな』

 

「褒め言葉として受け取っておく」

 

『褒めてないと思う』

 

 フェイトが即座に突っ込む。

 

『で、帰ってくるの? それとも宇宙旅行続行?』

 

 デルタの声に、ゼータが小さくため息をついた。

 

『この状況で旅行って言えるの、逆にすごいね』

 

『褒めていいですよ』

 

『褒めてない』

 

 通信の向こうが、少しだけ賑やかになる。

 

 その音を聞いて、俺はモニター越しに地球を見た。

 

 青い星は、相変わらず静かだった。戦いも、傷も、叫びも、全部飲み込んだ顔でそこに浮かんでいる。

 

 だが、今はその静けさが少し違って見えた。

 

 帰る場所がある星の色をしていた。

 

『先生』

 

「今度は何だ」

 

『帰ってきたら、怒ります』

 

 なのはの声は真面目だった。

 

 俺は思わず笑う。

 

「それは勘弁してほしいな」

 

『駄目です』

 

「厳しいな」

 

『先生が無茶をするからです』

 

「無茶をしない俺に価値があるか?」

 

『あります』

 

 即答だった。

 

 通信越しに、言葉がまっすぐ届く。

 

 俺はしばらく黙った。

 

 操縦席の赤い警告灯が一つ消え、また一つ消える。さっきまでうるさかった音が、少しずつ遠のいていく。

 

「……そうか」

 

『はい』

 

「なら、帰るか」

 

 ロケットドリルゴーバスターオーの手の中で、イリスの瞳がこちらを見上げている。

 

 衛星砲の残骸はもうほとんど見えない。

 

 代わりに、地球が大きくなっていく。

 

 黒い宇宙に背を向け、俺は青い星へ機体を向けた。

 

 帰ったら、たぶん怒られる。

 

 説教もされる。

 

 面倒なことになる。

 

 だが、その面倒を少しだけ悪くないと思っている自分に気づいて、俺は誰にも聞こえないくらい小さく息を吐いた。

 

「まったく」

 

 ロケットの炎が、静かな宇宙に尾を引いた。

 

「本当に、面倒な連中だ」

 

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