悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

200 / 201
宇宙から見つめた先

 地球は、遠くから見ると静かすぎる。

 

 さっきまで衛星砲が睨みつけていた星だ。ミラージュ・アギトが暴れ、なのは達が地上で踏みとどまっていた場所だ。けれど宇宙から見下ろすと、青と白の渦は何食わぬ顔で回っている。

 

 その静けさが、妙に癪に障った。

 

 ロケットドリルゴーバスターオーの操縦席では、まだ警告音が鳴っていた。赤い表示がいくつも残り、損傷箇所を知らせるランプが忙しなく瞬いている。機体の左手には、壊れかけたイリスを抱えていた。背中の砲身は折れ、推進器は沈黙し、水色の髪だけが、巨大な指の隙間で弱く揺れている。

 

「……拾い物にしては、手間がかかるな」

 

 そう呟いてから、自分で少しだけ鼻で笑った。

 

 拾った。

 

 そういうことにしておけば楽だ。宇宙に置いていくと後味が悪い。敵の情報源になるかもしれない。放っておいたら面倒が増える。理由ならいくらでも並べられる。

 

 だが、ロケットドリルゴーバスターオーの左手は、思っていたよりも丁寧にイリスを包んでいた。

 

 操縦桿を握る指に力が入る。

 

 俺は地球へ向けて降下を始めた。

 

 大気圏へ入ると、機体の外側を赤い光が舐めた。焼けた空気が装甲を擦り、モニターの端が白く滲む。宇宙の黒は背後へ遠ざかり、代わりに青い空が近づいてくる。

 

 少し前まで、あの青の外へ飛び出すことだけを考えていた。

 

 今は、そこへ戻っている。

 

 戻れば説教が待っている。なのはは本気で怒るだろう。フェイトも静かな顔で逃げ道を塞ぐ。はやては笑いながら退路を潰す。デルタは茶化し、ゼータは呆れ、イータは視線だけでこちらの損傷を数える。

 

 面倒な連中だ。

 

 だが、その面倒のある場所へ、俺は機体を向けていた。

 

『ツカサ先生、聞こえますか?』

 

 通信が入る。

 

 なのはの声だった。戦闘中より少しだけ落ち着いている。だが、声の端がまだ硬い。

 

「聞こえてる。降りる場所を空けておけ」

 

『もう空けてあります』

 

「手際がいいな」

 

『先生が落ちてきても大丈夫なようにです』

 

「俺は落ちるんじゃなくて、帰還するんだ」

 

『着地に失敗したら同じです』

 

 通信の向こうで、誰かが小さく吹き出した。

 

『ツカサ先生。左手のそれ、どうするつもりなん?』

 

 はやての声が割り込む。

 

「見て分からないか。土産だ」

 

『衛星軌道から持って帰る土産としては、だいぶ物騒やな』

 

『というか、まだ動くの?』

 

 デルタの声が入る。

 

「今は動いてない」

 

『今は、ね』

 

 ゼータの声音は軽いが、たぶん目は笑っていない。

 

『ツカサ、その子……反応は弱いけど、完全停止じゃない』

 

 イータの声が細く入った。いつもより早口だ。通信越しに、何かを解析する電子音が重なる。

 

「分かってる。だから持って帰ってる」

 

『……うん』

 

 短い返事の後、イータは黙った。

 

 その沈黙の向こうで、はやてが息を整える気配がした。

 

『着地後、すぐ隔離結界を張る。ツカサ先生はそのまま指定地点へ』

 

「随分と歓迎ムードだな」

 

『歓迎はします。でも、その前に説教です』

 

 なのはが即答した。

 

 俺は操縦席で肩をすくめる。

 

「覚えてたのか」

 

『忘れると思いましたか?』

 

「少し期待した」

 

『無理です』

 

 青空がモニターいっぱいに広がった。

 

 地上が近づく。戦闘区域には、まだ煙が細く立っていた。砕けた道路、焦げた瓦礫、魔法陣の残光。ミラージュ・アギトの姿はもうない。代わりに、なのは達がこちらを見上げていた。

 

 俺は出力を落とし、ロケットドリルゴーバスターオーをゆっくり着地させる。

 

 ――つもりだった。

 

 地面に足が触れた瞬間、右脚の関節部が悲鳴を上げた。機体がわずかに傾く。

 

「おっと」

 

 操縦桿を引き、左腕でバランスを取る。イリスを握る手に力が入りすぎないよう制御するのに、余計な神経を使った。機体が片膝をつく形で止まり、地面に細かい砂埃が広がる。

 

 沈黙。

 

 モニター越しに、なのは達の顔が見える。

 

『先生』

 

「着地した」

 

『今のは着地じゃなくて、ほぼ墜落です』

 

「地面に穴が空いてないなら誤差だ」

 

『誤差じゃありません』

 

 通信越しでも分かるくらい、なのはの声が低くなった。

 

 俺は苦笑しながらコックピットを開ける。

 

 外の空気が流れ込んできた。焼けた金属と土埃の匂い。宇宙にはなかった匂いだ。嫌な匂いのはずなのに、足元が地面に繋がった気がした。

 

 俺はコックピットから降りる。

 

 その瞬間、膝がわずかに沈んだ。

 

 しまった、と思うより早く、フェイトが一歩こちらへ踏み出した。なのはも同時に動く。だが二人とも、俺が姿勢を戻すとそこで止まった。

 

「歩ける。喋れる。十分だろ」

 

「十分じゃありません」

 

 なのはは俺の前まで来て、そこで足を止めた。

 

 レイジングハートを握る指が白い。胸倉でも掴むかと思ったが、その手は途中で止まり、代わりに柄を握り直した。小さな金属音が、やけに大きく聞こえた。

 

「帰ってきたら怒るって、言いました」

 

「ああ。聞いてた」

 

「だったら、怒られますよね?」

 

「帰ってきただろ」

 

「そういう問題じゃありません」

 

「じゃあ、どういう問題だ」

 

 なのはの口が開く。

 

 だが、言葉はすぐに出てこなかった。

 

 かわりに、彼女の視線が俺の肩口へ落ちる。フォーゼの装甲は解除されているが、スーツの一部に焦げ跡が残っていた。衛星砲の光をかすめた場所だ。たいした傷じゃない。

 

 なのははそこを見たまま、唇を結んだ。

 

 風が吹いた。

 

 瓦礫の隙間に残っていた灰が、足元を薄く流れていく。戦いが終わった場所の風は、いつもどこか乾いている。勝った後でも、すぐには綺麗にならない。

 

「ツカサ先生」

 

 フェイトが静かに言った。

 

「今のは、先生が悪いです」

 

「随分はっきり言うな」

 

「はっきり言わないと、先生は聞かないから」

 

 フェイトは俺の右側に立った。出口を塞ぐような位置取りだ。俺が一歩横へずれれば、彼女も同じだけ動くだろう。

 

 はやては反対側で腕を組んでいる。

 

「せやな。ツカサ先生、耳はええのに都合の悪い話は聞こえへんみたいやし」

 

「お前ら、戦闘後なのに元気だな」

 

「元気じゃないです」

 

 なのはが小さく息を吸った。

 

 そして、今度は俺の目を見た。

 

「でも、先生が帰ってきたから、今は立っていられます」

 

 軽口が、喉の手前で止まった。

 

 こういう時、何か気の利いた返しをするべきなのだろう。あるいは、いつものように話を逸らして、面倒な空気ごと置き去りにするべきか。

 

 けれど、なのはの目は逸れなかった。

 

 責めるためだけの目ではない。泣く寸前でもない。怒鳴る準備をしているわけでもない。ただ、俺がここにいることを確かめるみたいに、真っ直ぐだった。

 

 俺は半端に上げかけた肩を下ろした。

 

「……そうか」

 

 それだけ言うと、なのははようやく少しだけ息を吐いた。

 

 フェイトの足元に落ちていた小石が、風に転がる。はやてが帽子を押さえ、わざとらしく咳払いした。

 

「はい。説教第一部はここまで。第二部は治療後な」

 

「まだあるのか」

 

「当たり前やろ。今ここで全部やったら、ツカサ先生が途中で逃げる」

 

「信用がないな」

 

「積み重ねや」

 

 デルタが横から覗き込む。

 

「で、ツカサ。そっちの眠り姫は?」

 

「姫にしては砲身が多いな」

 

「じゃあ眠れる砲台?」

 

「最悪な呼び方ね」

 

 ゼータが呆れた顔をする。

 

 ロケットドリルゴーバスターオーの左手がゆっくり開く。イリスの身体を、はやてが張った結界の中央へ移す。彼女は動かない。折れた背部ユニットから細い煙が上がり、焦げた髪先が頬に貼りついていた。

 

 なのはが一歩近づきかけて、止まる。

 

 敵だった相手だ。

 

 地上を撃とうとした衛星砲の門番だ。

 

 だが今は、砕けた装甲の下で、指先すらまともに動かない少女の形をしている。

 

 フェイトは警戒を解かず、けれどデバイスを構えることもしなかった。はやてが魔法陣を展開し、イータがその横に膝をつく。

 

「反応、ある……でも、すごく弱い」

 

「武装系は?」

 

「ほとんど沈黙。推進器も、砲撃ユニットも、壊れてる」

 

 イータの声は小さい。けれど、手は止まらない。光の文字が彼女の周囲に浮かび、イリスの身体から伸びる信号の痕跡をなぞっていく。

 

「起きたら、また攻撃してくる可能性は?」

 

 フェイトが尋ねる。

 

「その時は止める」

 

 俺が言うと、なのはがこちらを見た。

 

「でも……今は」

 

「今は撃ってこない。なら、今は敵じゃない」

 

「乱暴やけど、分かりやすい理屈やな」

 

 はやてが苦笑する。

 

「壊した本人が言うと、説得力あるんだかないんだか」

 

 デルタが肩をすくめる。

 

 ゼータはイリスの折れたバックパックを見て、目を細めた。

 

「少なくとも、殺すつもりなら宇宙で置いてきてる」

 

 その言葉に、場が少しだけ静かになった。

 

 俺は何も言わない。

 

 言えば、余計なものが混ざる気がした。

 

 はやての魔法陣が淡く光る。イータの指先が、イリスの背中に残った接続痕の周りをなぞった。

 

「この子、衛星砲とずっと繋がってたみたい」

 

「繋がってた、っていうより……縛られてた、に近いな」

 

 はやての声が、少し低くなる。

 

 魔法陣の中に、細い鎖のような光の線が浮かび上がった。イリスの背中から伸び、もう存在しない衛星砲の方向へ向かって途切れている。

 

 なのはがその線を見つめる。

 

「縛られてた……」

 

「だから、衛星砲を守ることしか言わなかったんでしょうか」

 

 フェイトの問いに、イータが頷く。

 

「たぶん。命令の優先順位が、ずっと固定されてる。衛星砲保護。侵入者排除。衛星砲保護。侵入者排除……そればっかり」

 

「壊れたレコードみたいだったな」

 

「先生」

 

 なのはが俺を見る。

 

「責めてるわけじゃない」

 

「……珍しく、言い方選んだな」

 

 はやてが目を細める。

 

「気のせいだ」

 

 俺はイリスへ視線を戻した。

 

 壊れた砲身。焦げた装甲。動かない指。命令の残骸みたいな光の線。

 

 あの時、俺が真正面から貫いていれば、それで終わっていた。早かったし、楽だった。誰にも文句は言われなかったかもしれない。

 

 だが、ドリルの軌道は少しだけ逸れた。

 

 その結果が、今ここに寝ている。

 

 軽口を挟むには短すぎて、目を逸らすには長すぎる沈黙が落ちた。

 

 先にそれを破ったのは、イータだった。

 

「待って……これ、変」

 

「どうしたん?」

 

「衛星砲が壊れる直前、この子の中から信号が出てる」

 

 はやての表情が変わる。

 

「救難信号?」

 

 フェイトが問いかける。

 

「分からない。でも、外へ送られてる」

 

「どこに?」

 

 なのはの声が細くなる。

 

 はやてが魔法陣を操作する。浮かび上がった光の線が、途中でぷつりと途切れた。

 

「追跡……あかん。途中で消えとる」

 

「つまり、誰かにバレたってこと?」

 

 デルタが腕を組む。

 

「少なくとも、何かが送られたのは確かみたい」

 

 ゼータの言葉に、部屋の空気がまた一段冷える。

 

 外では、戦闘の煙がまだ細く昇っていた。窓の向こうで、灰色の雲が空を覆っている。雨は降っていないのに、光だけが鈍い。さっきまで宇宙で見た地球の青が、嘘みたいに遠く感じた。

 

「まだ終わりじゃないってことか」

 

 俺が呟くと、なのはがこちらを見た。

 

「先生」

 

「安心しろ。今すぐ宇宙に戻るとは言ってない」

 

「言ったら全員で止めるところやった」

 

 はやてが即座に返す。

 

 俺は肩をすくめ、何気なく出口へ足を向けた。

 

「少し風に当たってくる」

 

「どこの風ですか?」

 

 なのはの声が背中に刺さる。

 

「近場だ」

 

 フェイトがいつの間にか出口側に立っていた。

 

「先生の言う近場に、宇宙は入りませんよ」

 

「今日は休む。これは指揮官命令や」

 

「俺はお前の部下になった覚えはない」

 

「ほな、友達命令で」

 

「便利な命令だな」

 

 なのはが一歩前へ出る。

 

「駄目です」

 

「……まだ何も言ってないだろ」

 

「先生が何か言う前に止めています」

 

 俺は出口へ向けていた爪先を、ゆっくり戻した。

 

 誰も勝ち誇った顔はしない。はやては少しだけ顎を引き、フェイトは黙ってその場に立ち続けている。なのはの握っていた拳が、ほんの少し緩んだ。

 

「まったく」

 

 俺は壁にもたれた。

 

「面倒な連中だ」

 

「それ、さっき宇宙でも言ってませんでした?」

 

 なのはが首を傾げる。

 

「聞こえてたのか?」

 

「聞こえてません。でも、先生なら言いそうです」

 

「随分分かったようなことを言う」

 

「少しは分かるようになりました」

 

 なのはの口元が、ほんの少しだけ緩む。

 

 俺は返事をしなかった。

 

 その時、解析スペースの警告音が小さく鳴った。

 

 イータが振り返る。

 

「待って……反応が上がってる」

 

 全員の視線がイリスへ向いた。

 

 フェイトが一歩前に出る。なのはがレイジングハートを握り直す。はやての魔法陣が薄く広がり、デルタとゼータもそれぞれ構えた。

 

「全員、下がりすぎんように。けど、刺激もせんといて」

 

 はやての声が室内を締める。

 

 イリスの指先が、わずかに動いた。

 

 壊れた人形に、糸が一本だけ戻ったような動きだった。次に、瞼が震える。水色の睫毛の下で、淡い光が灯った。

 

「イリス……?」

 

 なのはが名前を呼ぶ。

 

「慌てるな」

 

 俺は一歩前に出た。

 

「いや、慌てる場面じゃない?」

 

 デルタが言う。

 

「でも、撃つ武器はもうない」

 

 ゼータが低く返す。

 

 イリスの瞳が開いた。

 

 最初に映したのは天井だった。次に、魔法陣の光。そして最後に、俺の顔で止まる。

 

 彼女の唇がわずかに動いた。

 

「……衛星砲」

 

「もうない」

 

 俺が答えると、イリスの瞳の光が小さく揺れた。

 

「……私は」

 

 その先が続かない。

 

 壊れた砲身を失った少女は、天井ではなく俺の方を見ていた。命令を待つ機械の目ではない。けれど、自分で何かを選ぶ目にもまだなっていない。

 

 外で、何かが流れた。

 

 窓の端を、衛星砲の破片が燃え尽きる光がかすめていく。薄い青が、イリスの瞳に映った。

 

 彼女は、掠れた声で言った。

 

「何を、守ればいいのですか」

 

 誰も、すぐには答えなかった。

 

 魔法陣の光だけが、静かに揺れていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。