悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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守るものは、自分で決めろ

 イリスの声は、壊れた機械の軋みに似ていた。

 

「何を、守ればいいのですか」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 

 解析スペースの中央で、淡い魔法陣だけが揺れている。そこに横たわるイリスは、折れた砲身を背負ったまま、こちらを見ていた。水色の髪は焦げて、片側だけ短く千切れている。指先は動かない。瞳の光だけが、消えかけの灯みたいに細く残っていた。

 

 外では、衛星砲の破片が流星になって落ちている。

 

 窓の端を、青白い光が一筋かすめた。さっきまで地球を撃とうとしていた兵器の欠片だ。燃え尽きるその光は、妙に綺麗で、だから余計に気に入らなかった。

 

 守るもの。

 

 衛星砲を失った門番が、空っぽの手で差し出してきた問い。

 

 なのはが一歩前に出た。

 

「それは……」

 

 そこで言葉が止まる。

 

 レイジングハートを握る手に力が入る。白くなった指先が、少しだけ緩み、また握られる。なのははイリスを見て、次に俺を見た。言いたいことは山ほどある顔だった。けれど、そのどれもが、イリスの空っぽの目の前では形にならないらしい。

 

 フェイトはなのはの隣に立ったまま、口を開かなかった。バルディッシュを下ろしてはいるが、完全には構えを解いていない。警戒と迷いが、足元の位置にそのまま出ていた。

 

 はやては腕を組んだまま、魔法陣を見下ろしている。普段なら軽口の一つも挟むところだが、今は口元だけが少し硬い。

 

 デルタが小さく舌打ちした。

 

「面倒な質問するわね、この子」

 

「デルタ」

 

 ゼータが横目でたしなめる。

 

「何よ。本当のことでしょ。守るものなんて、はいこれですって渡されても困るじゃない」

 

 イータは何も言わなかった。イリスの反応を見ていた端末から目を離さず、けれど指先だけが止まっている。

 

 全員が、答えを探していた。

 

 そういう空気は苦手だ。

 

 正解を探す沈黙は、時々、戦場の爆音より重い。誰かが綺麗な言葉を選ぼうとするほど、空気が濁っていく。

 

 俺は壁から背を離した。

 

「俺に聞くな」

 

 イリスの瞳がこちらを向く。

 

「自分で決めろ」

 

 なのはがこちらを見た。フェイトも、はやても、ほんの少しだけ目を動かした。

 

 イリスは瞬きをしなかった。

 

「自分で……決める」

 

「ああ」

 

「判断基準がありません」

 

「なら探せ」

 

「命令が、ありません」

 

「なら待つな」

 

 イリスの唇が動きかけて、止まる。

 

 壊れた砲身を失った背中が、魔法陣の光に薄く浮かんでいた。衛星砲を守るために開いていた翼は、今はただの残骸だ。命令がなければ動けない、という言葉の方が、よほど自然に見える。

 

 だが、自然だからといって、それをそのままにしてやる義理はない。

 

「分からないなら、しばらく見てろ」

 

「何を、ですか」

 

「こいつらを」

 

 俺は顎で周りを示した。

 

 なのはが目を丸くする。フェイトは少しだけ眉を上げた。はやては肩をすくめる。デルタは「は?」と声に出し、ゼータはその横でため息を吐き、イータは端末の陰からこちらを見た。

 

「先生?」

 

 なのはの声が小さくなる。

 

「何だ」

 

「今、私達に丸投げしました?」

 

「教育的配慮だ」

 

「絶対違います」

 

 はやてが咳をするみたいに笑った。

 

「ツカサ先生の教育方針、相変わらず雑やな」

 

「雑な方が覚えやすい」

 

「言い切ったわ、この人」

 

 デルタが呆れたように言う。

 

 ゼータはイリスを見てから、俺へ視線を戻した。

 

「でも、答えを押しつけるよりはマシかもね」

 

「ゼータがツカサ側についた」

 

「今のはたまたま」

 

 イータが端末を抱え直しながら、ぽつりと言った。

 

「見てるだけなら……たぶん、できる。武装はほとんど死んでるし、出力も低い」

 

「イータ、監視は頼めるか?」

 

「うん。でもツカサ、勝手に連れ出したら駄目」

 

「俺がそんなことをするように見えるか」

 

 イータは無言で俺を見た。

 

 返事の代わりに、端末の画面をこちらへ向ける。そこには、ロケットドリルゴーバスターオーの損傷ログと、俺の戦闘後のバイタルらしき数値が並んでいた。

 

「……用意がいいな」

 

「ツカサが無茶するのは、データが証明してる」

 

「機械は嘘をつかないってわけか」

 

「ツカサはたまに誤魔化す」

 

 デルタが横から笑う。

 

「イータにまで言われてるじゃない」

 

「身内に敵が多い」

 

「家族ってそういうものじゃない?」

 

 デルタの何気ない一言に、なのは達が少しだけ静かになった。

 

 家族。

 

 その単語は、デルタの口から出ると軽い。けれど、軽いからこそ妙にまっすぐ刺さる時がある。

 

 イリスは、デルタを見ていた。

 

「家族」

 

 掠れた声で、その言葉を繰り返す。

 

 デルタは一瞬だけ目を瞬かせた。

 

「何よ」

 

「それは、守る対象ですか」

 

「……知らないわよ、そんなの」

 

 デルタはそっぽを向いた。だが、その足は一歩も離れない。

 

 ゼータが小さく息を吐いた。

 

「少なくとも、命令で決めるものじゃない」

 

「命令では、ない」

 

 イリスの瞳の光が微かに揺れる。

 

 その様子を見ながら、なのはが膝をついた。イリスに近づきすぎない距離で、目線だけを合わせる。

 

「すぐに分からなくても、いいと思う」

 

 なのはの声は、さっきより柔らかい。けれど、手はまだレイジングハートから離れていない。

 

「私も、最初から全部分かってたわけじゃないから」

 

 イリスはなのはを見る。

 

「あなたは、何を守っていますか」

 

 なのはの指が、レイジングハートの柄を撫でた。

 

 答えはすぐ出なかった。

 

 その代わり、彼女は少しだけ振り返る。フェイト、はやて、デルタ達、そして俺。視線が順番に移って、最後にもう一度イリスへ戻る。

 

「……今は、目の前にいる人を」

 

 そう言ってから、なのはは小さく口を結んだ。

 

 フェイトがその隣にしゃがむ。

 

「全部を一度に守ろうとすると、手からこぼれるから」

 

「こぼれる」

 

「だから、手を伸ばす順番を決めるんだと思う」

 

 フェイトの声は静かだった。

 

 イリスは自分の動かない指を見た。ほんの少し曲げようとして、失敗する。魔法陣の光が、彼女の指先で細く揺れた。

 

「私の手は、動きません」

 

「今はな」

 

 俺が言うと、イリスがこちらを見た。

 

「動くようになった時に考えろ」

 

「それまで、待機ですか」

 

「観察だ」

 

「観察」

 

「そうだ。お前の得意分野だろ」

 

 イリスは黙る。

 

 その沈黙は、さっきとは少し違っていた。命令待ちの沈黙ではなく、何かを掴もうとしている間のように見えた。

 

 はやてが魔法陣を操作し直す。

 

「ひとまず、イリスは隔離結界内で安静。武装系は封印、生命維持系と意識反応は維持。監視はイータ中心で、うちらが交代で見る。それでええか?」

 

「反対」

 

 デルタが手を上げる。

 

「理由は?」

 

「私が退屈する」

 

「却下や」

 

「早っ」

 

 ゼータがデルタの肩を軽く叩く。

 

「遊び相手じゃないんだから」

 

「分かってるわよ。ちょっと言っただけ」

 

 デルタは口を尖らせるが、イリスへ向ける視線はさっきより鋭くない。

 

 その時、イータの端末が短く鳴った。

 

 軽い音だった。

 

 だが、イータの指先が止まったせいで、室内の空気がすぐに変わった。

 

「……また?」

 

 はやてが低く言う。

 

 イータは端末を覗き込み、画面を拡大する。

 

「さっきの信号。完全には消えてなかった」

 

「追えるんか?」

 

「途中までは。でも、その先が……変」

 

「変?」

 

 フェイトが問い返す。

 

「一回、どこかで反射してる。送信先に直行したんじゃなくて、別の中継点を通ってるみたい」

 

 イータが画面を空中に投影する。

 

 細い光の線が伸び、途中で折れ、不自然に途切れていた。その先は黒い空白になっている。地図にも、座標にも、既存の魔力反応にも重ならない場所。

 

「つまり、向こうはこっちを見た可能性がある」

 

 ゼータの声が落ちる。

 

「それで、こっちは向こうを見失ってるわけね」

 

 デルタが腕を組む。

 

「面白くないわ」

 

「面白がるな」

 

 俺は画面を見た。

 

 信号の残滓は細い。だが、消えていない。衛星砲を壊した直後に送られたものだ。戦闘記録か、救難か、報告か。どれにせよ、こちらに都合のいいものではない。

 

「まだ終わりじゃないってことか」

 

 口にした瞬間、三つの視線が刺さった。

 

 なのは、フェイト、はやて。

 

 生徒三人が、まるで示し合わせたみたいにこちらを見ている。

 

「何だ」

 

「先生」

 

 なのはが言う。

 

「今、どこか行こうとしましたよね」

 

「まだ足は動かしてない」

 

「心が動いてました」

 

「便利な読心術だな」

 

 フェイトが出口側へ移動した。音もなく、しかしはっきりと退路を塞ぐ位置だ。

 

「ツカサ先生。今日は休んでください」

 

「俺はそこまで疲れてない」

 

 はやてが魔法陣を閉じ、こちらへ向き直る。

 

「ツカサ先生、さっき着地で膝揺れとったやん」

 

「地面が悪い」

 

「地面のせいにした」

 

 デルタが笑う。

 

「ツカサ、往生際悪いわよ」

 

「お前はどっちの味方だ」

 

「面白い方」

 

「最悪だな」

 

 ゼータが淡々と続ける。

 

「ツカサ、今動いたら追いかける人数が増えるだけだよ」

 

「それは脅しか」

 

「事実」

 

 イータが端末を抱えたまま、こちらを見上げる。

 

「ツカサ。今行っても、信号の先は見つからない。データが足りない」

 

「データが揃うまで待てと?」

 

「うん」

 

 即答だった。

 

 俺は出口を見る。

 

 フェイトがいる。

 

 なのはは正面。

 

 はやては魔法陣をいつでも張れる位置。

 

 デルタ、ゼータ、イータは、こちらを止めるというより、俺が何をするか最初から分かっている顔をしていた。

 

 まったく。

 

 面倒な連中だ。

 

 俺は一歩、出口とは逆方向へ歩いた。

 

 近くにあった椅子を引き、乱暴に座る。

 

「今日は負けておいてやる」

 

「勝ち負けの話じゃありません」

 

 なのはが即座に返す。

 

「先生、座るならもっと普通に座ってください」

 

「座っただけありがたいと思え」

 

「それは、ちょっと思ってます」

 

 なのははそう言ってから、慌てて口を閉じた。

 

 フェイトが小さく笑う。はやては肩を震わせている。デルタは遠慮なく吹き出した。

 

「今のはなのはの負けね」

 

「負けてないよ!」

 

「ツカサが座ったから勝ちでいいんじゃない?」

 

 ゼータが言う。

 

「勝ち負けの話じゃないって、なのはが言ったばかり」

 

 イータが淡々と突っ込む。

 

 部屋の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

 イリスはそれを見ていた。

 

 命令もないのに動く者達。止められて座る俺。出口を塞ぐ生徒。茶化すデルタ。呆れるゼータ。淡々と正論を刺すイータ。誰も同じ命令で動いていないのに、なぜか一つの場所に集まっている。

 

 イリスの瞳が、ゆっくりとそれらを追っていた。

 

「自分で、決める……」

 

 掠れた声が落ちる。

 

 誰も聞き逃さなかった。

 

 なのはが振り返る。フェイトが息を止める。はやての指が魔法陣の上で止まる。

 

 イリスは天井ではなく、こちらを見ていた。

 

「観察を、継続します」

 

「そうしろ」

 

 俺が答えると、イリスは一度だけ瞬きをした。

 

 それが頷きだったのか、ただの反応だったのかは分からない。

 

 だが、魔法陣の光の中で、彼女の瞳に映っていたのは、もう衛星砲ではなかった。

 

 その数分後。

 

 イータの端末の隅で、途切れたはずの信号が一瞬だけ青く点いた。

 

 誰も声を上げなかった。

 

 ただ、画面の中で小さな文字が浮かび、すぐに消えた。

 

 ――受信確認。

 

 その信号がどこで読まれたのか、この時の俺達はまだ知らなかった。

 

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