悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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僅かな休息

 端末の画面に浮かんだ文字は、ほんの一瞬だった。

 

 ――受信確認。

 

 それだけだ。

 

 たった四文字。

 

 けれど、その文字が消えた後も、解析スペースの空気はしばらく元に戻らなかった。魔法陣の光が床の上で淡く揺れ、機械の低い駆動音だけが耳に残る。さっきまで誰かが喋っていたはずなのに、室内から声だけが切り取られたみたいだった。

 

 イータの指先が、端末の上で止まっている。

 

 はやては魔法陣を展開したまま、画面の消えた箇所を見つめていた。なのははレイジングハートを握ったまま、半歩だけ前に出ている。フェイトは出口側に立っていた。いつ移動したのか分からないくらい自然に、俺の退路を塞ぐ位置だ。

 

「……今の、見えた?」

 

 イータがぽつりと言った。

 

 声は小さい。けれど、部屋の全員に届いた。

 

「受信確認……やな」

 

 はやてが短く答える。

 

 魔法陣の上に、細い光の線が走る。信号の痕跡を追おうとしているのだろう。だが、光は途中でぷつりと切れ、そこから先は何も映らなかった。

 

 なのはが眉を寄せる。

 

「場所は?」

 

「追えない。消えるのが速すぎる」

 

 イータの指が何度か画面を叩く。投影された光の線が伸び、折れ、また途切れる。そのたびにイータの唇が少しずつ細くなっていった。

 

 フェイトが出口側から言う。

 

「つまり、誰かがこちらを見ていた可能性があるんですね」

 

「見ていた、か。随分趣味が悪いな」

 

 俺は椅子の背もたれから体を起こした。

 

 途切れた信号の向こう。

 

 そこに誰かがいる。衛星砲を失った直後に、イリスの中から送られた記録を受け取った何かが。

 

 場所が分からないなら、探すしかない。

 

 俺は立ち上がりかけた。

 

「なら、消えた先を――」

 

「先生」

 

 なのはの声が、俺の足元に釘を打った。

 

 動きが半分で止まる。

 

「まだ何も言ってないだろ」

 

「言う前に止めています」

 

 なのはは俺の前に立った。小柄な体なのに、真正面に立たれると意外と邪魔だ。レイジングハートを握る手にはまだ力が残っている。けれど、さっきより指先の白さは少しだけ引いていた。

 

 フェイトが出口側で静かに言う。

 

「ツカサ先生、駄目です」

 

「フェイトまでか」

 

「はい。先生は今、確実に外へ出ようとしていました」

 

「少し空気を吸いに行くだけだ」

 

「先生の言う“少し”は信用できません」

 

 はやてが魔法陣を閉じて、こちらへ振り返る。

 

「ツカサ先生、座り直し」

 

「俺はお前の部下じゃない」

 

「ほな、生徒からのお願いです」

 

 笑っているように見えるのに、はやての目は笑っていない。

 

 デルタが横から椅子の背を叩いた。

 

「ツカサ、今立ったら面倒だから座りなさいよ」

 

「お前は命令する側だったか?」

 

「命令じゃないわよ。身内からの忠告」

 

 ゼータが腕を組む。

 

「今の状態で動いても、足跡も掴めないよ」

 

「追わなければ消える」

 

「今追っても、ツカサが倒れるだけ」

 

 イータが端末をこちらへ向けた。

 

 そこには、俺の戦闘後のバイタルらしき数値と、ロケットドリルゴーバスターオーの損傷ログが並んでいる。赤い表示がやけに多い。

 

「ツカサ、データ不足。動く理由にならない」

 

「俺の状態まで監視してるのか」

 

「ツカサが誤魔化すから」

 

「信用がないな」

 

「積み重ね」

 

 イータは即答した。

 

 部屋の隅で、イリスがそれを見ていた。

 

 隔離結界の中で横たわる彼女は、まだまともに動けない。壊れた背部ユニットは封じられ、武装系の反応も沈黙している。けれど、その瞳だけは、なのはからフェイトへ、フェイトからはやてへ、はやてからデルタ達へとゆっくり動いていた。

 

 観察。

 

 自分でそう言っていた通り、彼女は見ている。

 

 命令もなしに動く連中を。

 

 俺を止めるためだけに、妙に息の合った連中を。

 

「……命令系統が統一されていません」

 

 イリスが掠れた声で言った。

 

 デルタが肩をすくめる。

 

「そりゃそうでしょ。軍隊じゃないんだし」

 

「ですが、行動目標は一致しています」

 

「ツカサを休ませる、って意味なら一致してるね」

 

 ゼータが淡々と言う。

 

「ツカサがまた無茶する前に止める。優先度高め」

 

 イータが続ける。

 

「勝手に優先度を付けるな」

 

「必要です」

 

 なのはが即座に言った。

 

「とても必要です」

 

 フェイトも続く。

 

「最優先事項やな」

 

 はやてまで乗る。

 

 俺は全員を見回した。

 

「お前ら、こういう時だけ連携が良すぎるだろ」

 

「先生を止める時だけ、妙に噛み合うんです」

 

 なのはがまっすぐ言う。

 

 その言い方に、誰も笑わなかった。

 

 イリスはまばたきを一つした。

 

「これは、防衛行動ですか」

 

「んー……身内の世話?」

 

 デルタが軽く答えた。

 

「身内」

 

 イリスがその言葉を繰り返す。

 

 機械的に記録しただけの音に聞こえる。だが、その瞳はデルタの方で止まっていた。デルタは一瞬だけ口を開きかけ、何も言わずにそっぽを向く。

 

「分からないなら見てろ」

 

 俺は椅子に腰を下ろした。

 

 わざと音を立てて座ったのに、誰も勝ち誇った顔をしない。なのはの肩がほんの少しだけ下がり、フェイトが出口から一歩だけ離れる。はやては魔法陣を操作し直し、治療用の柔らかな光を床に広げた。

 

「命令じゃない動き方ってやつをな」

 

 イリスは答えなかった。

 

 ただ、視線だけが俺の方で止まった。

 

 はやてが手を叩く。

 

「ほな、現状確認するで」

 

 魔法陣の上に、今回の事件の項目が並ぶ。

 

 衛星砲。

 

 ミラージュ・アギト。

 

 イリス。

 

 謎の信号。

 

 どれも、ここ数時間で嫌というほど関わった名前だ。

 

「衛星砲は破壊済み」

 

 なのはが言う。

 

 項目の一つが光になって消える。

 

「ミラージュ・アギトも消滅確認済み」

 

 フェイトが続ける。

 

 次の項目が消えた。

 

「イリスの武装系は沈黙。生命反応は微弱だけど安定」

 

 イータの声に合わせ、イリスの項目だけが淡い青に変わる。消えはしない。監視継続ということだろう。

 

「謎の信号は受信確認のみ。追跡は不可」

 

 ゼータが言う。

 

 最後の項目は、赤いまま残った。

 

「つまり、今すぐ殴りに行く相手はいないってことね」

 

 デルタが腕を組む。

 

「そういうことや」

 

 はやてが頷く。

 

「随分と分かりやすくまとめたな」

 

 俺が言うと、はやてはにっこり笑った。

 

「ツカサ先生が勝手に動かんように、分かりやすくしたんです」

 

「本当に信用がない」

 

「積み重ねです」

 

 なのはが二度目の同じ言葉を返した。

 

 完全に同じ声色だった。

 

 俺は言い返す言葉を探して、やめた。

 

 この場で何を言っても、三方向から撃ち返されるだけだ。なら黙って座っていた方が体力の節約になる。そう判断した俺は、椅子の背にもたれた。

 

 その瞬間、はやての治療用結界が足元から立ち上がる。

 

「おい」

 

「逃げ防止も兼ねてます」

 

「治療用じゃないのか」

 

「治療用です。副次効果で逃げにくいだけです」

 

 フェイトが近くの台に飲み物を置いた。

 

「ツカサ先生、飲んでください」

 

「毒は入ってないだろうな」

 

「入れる理由がありません」

 

「眠らせる薬くらいはありそうだ」

 

 フェイトは一瞬だけ考える顔をした。

 

「その手がありましたね」

 

「今のは冗談だ。採用するな」

 

 なのはが俺の前に立つ。

 

「先生、ここで休んでください」

 

「命令か?」

 

「お願いです。でも、断ったら命令にします」

 

「随分強くなったな」

 

「先生がそうさせたんです」

 

 はやてが横から笑う。

 

「教育の成果やな」

 

「俺はそんな教育をした覚えはない」

 

「先生の背中から学びました」

 

 なのはは真面目に言った。

 

 俺は飲み物に手を伸ばし、途中で止める。

 

 蓋が閉まっている。

 

 逃げる隙を作らないためか、単にこぼさないためか。どちらとも取れる辺りがこの連中らしい。

 

 デルタが椅子を引き寄せて座った。

 

「じゃあ私、見張り役ね」

 

「デルタだけだと、ツカサと一緒に抜け出しそう」

 

 ゼータが即座に言う。

 

「失礼ね。面白そうなら止めるわよ」

 

「止める基準がおかしい」

 

 イータが端末を見ながら呟く。

 

「完全包囲だな」

 

「はい」

 

 なのはが頷く。

 

「勝てる気がしない」

 

「今日は負けといてください」

 

 はやての言葉に、フェイトが小さく笑った。

 

 負ける。

 

 その言葉が、妙に軽かった。

 

 戦闘で負けるわけじゃない。力でねじ伏せられたわけでもない。ただ、ここから動かないことを選ばされている。

 

 少し前の俺なら、こんな包囲網は適当に抜けていた。言葉を濁して、煙に巻いて、気づいた時には一人で出ていたはずだ。

 

 なのに今は、椅子に座ったまま蓋つきの飲み物を手にしている。

 

 窓の外では、夕方の光が瓦礫の影を長く伸ばしていた。灰を含んだ風が窓を叩き、細かな粒がガラスに当たっては流れていく。昼間はあれだけ騒がしかった戦場が、今はゆっくり息を落としているようだった。

 

 イリスの声がした。

 

「命令なしで、対象の損耗を抑制している」

 

 イータが少しだけ顔を上げる。

 

「……たぶん、それは看病」

 

「看病」

 

「難しく言えば、面倒を見るってことよ」

 

 デルタが言う。

 

「デルタが言うと急に雑になるね」

 

 ゼータが肩をすくめる。

 

「分かりやすいでしょ」

 

「面倒を見る。守る、とは異なるのですか」

 

 イリスの瞳がこちらへ向く。

 

「似たようなものだろ」

 

 俺が答えると、なのはがすぐに突っ込んだ。

 

「先生、雑です」

 

「分からないなら、まずは雑に覚えろ」

 

「ツカサ先生らしい教え方ですね」

 

 フェイトの声に、はやてが頷く。

 

「正確さは後から補足するわ」

 

 イリスはそれを聞きながら、ゆっくり視線を動かした。

 

 俺の前に立つなのは。

 

 飲み物を置いたフェイト。

 

 結界を調整するはやて。

 

 椅子に座って見張るデルタ。

 

 壁際で腕を組むゼータ。

 

 端末を抱えて数字を追うイータ。

 

 誰も命令されていない。誰も同じ役職で動いていない。だが、全員が同じものを囲んでいた。

 

 面倒を見る。

 

 守る。

 

 止める。

 

 それぞれの言葉は違っても、手の伸びる先は似ている。

 

 イリスの瞳が、ほんの少しだけ遅く瞬いた。

 

 夜になった。

 

 戦闘区域の煙は薄くなり、遠くで応急処置の灯りがいくつも点っている。休憩室の窓から見える空には、衛星砲の破片が最後の流星になって流れていた。

 

 白い線が一つ、夜の端を滑る。

 

 なのはは窓際に立ち、それを見上げていた。レイジングハートを握る手は、昼間より少しだけ緩んでいる。

 

 フェイトは出口近くから視線を戻し、俺がまだ椅子に座っていることを確認した。確認するな。逃げない。たぶん。

 

 はやてが魔法陣の記録を閉じる。

 

「これで一旦、終わりやな」

 

「一旦、か」

 

 俺は窓の外を見る。

 

 流星はもう消えていた。あとには暗い空だけが残っている。

 

「まだ分からないことはあります。でも、今夜は終わりです」

 

 フェイトが言う。

 

「先生も、今日は終わりです」

 

 なのはが振り返る。

 

「はい、強制終了」

 

 デルタが手をひらひら振る。

 

「再起動は明日以降」

 

 ゼータが続ける。

 

「ツカサの活動制限、継続」

 

 イータが端末に何かを入力する。

 

「俺は機械か」

 

「たまに機械より言うこと聞かないわよね」

 

 デルタがあっさり言う。

 

「ひどい評価だ」

 

「でも、間違ってないです」

 

 なのはが真顔で言った。

 

 室内に小さな笑いが落ちる。

 

 俺は飲み物を手に取り、ようやく蓋を開けた。中身はただの水だった。少しぬるい。だが、喉を通る感覚が、さっきまでの焦げた空気を洗い流していく。

 

 イリスはまだ見ている。

 

 彼女の瞳には、窓の外の夜空と、こちらの灯りが小さく映っていた。

 

「観察を、継続します」

 

「ああ。そうしろ」

 

 俺が答えると、イリスは一度だけ瞬きをした。

 

 それが返事なのか、ただの反応なのかは分からない。

 

 だが、その目はもう衛星砲を探していなかった。

 

 その頃。

 

 どこか遠い、窓のない暗い部屋で。

 

 いくつものモニターが、青白い光を放っていた。

 

 画面の一つには、衛星砲を貫くロケットドリルゴーバスターオー。

 

 別の画面には、壊れたイリスを抱えて地上へ戻る俺の姿。

 

 さらに別の画面には、隔離結界の中で目覚めたイリスと、それを囲むなのは達が映っていた。

 

 映像はそこで止まる。

 

 声はない。

 

 命令もない。

 

 ただ、誰かの指先が、画面の端をなぞる。

 

 次の瞬間、映像ファイルに短い文字が刻まれた。

 

 ――観測継続。

 

 その文字だけが、暗闇の中で静かに点滅していた。

 

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