悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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見つめる少女

 怪物の爪が、目の前まで迫っていた。

 

 閉じたシャッターの列。折れた標識。人気の消えた通り。さっきまで春の光に照らされていた街は、ほんの数秒で別の顔になっていた。

 

 俺は一歩、足を引く。

 

 爪が空を裂いた。

 

 風が仮面の横を掠め、背後の電柱に深い傷を刻む。金属が嫌な音を立てて歪み、標識の残骸がアスファルトの上で跳ねた。

 

 蜥蜴のような怪物は、俺より遥かに大きい。

 

 灰黒い鱗。長い尾。壁に食い込む爪。裂けた口から揺れる細い舌。人間の形から遠いはずなのに、こちらを測る目だけは妙に生々しかった。

 

「一匹だけじゃなかったか」

 

 路地の奥で、また影が動く。

 

 一体。

 

 二体。

 

 三体。

 

 壁を這い、地面を蹴り、濡れた音を立てながら通りへ出てくる。さっきまでコンビニの看板が揺れていた場所に、灰黒い巨体が並んでいく。

 

 閉じたシャッターの向こうで、小さな息が漏れた。

 

 誰かが見ている。

 

 住民か。

 

 それとも――。

 

「繁殖力の強そうな世界だな」

 

 ライドブッカーを抜く。

 

 剣形態。

 

 正面の一体が低く沈んだ。

 

 次の瞬間、巨体が弾丸みたいに飛び出す。爪は真っ直ぐ。速い。だが、動きは読みやすい。

 

 俺はライドブッカーの刃を斜めに構えた。

 

 衝撃。

 

 腕に重さが乗る。力で受ければ押し潰される。だから受けない。刃を滑らせ、爪の軌道を横へ逃がす。

 

 怪物の巨体が俺の横を流れた。

 

 尾が遅れて襲ってくる。

 

 低く潜る。

 

 頭の上を尾が薙ぎ、シャッターを叩き潰した。鉄板が凹み、奥から押し殺した悲鳴が聞こえる。

 

「図体がでかい分、曲がるのは苦手らしい」

 

 俺は身を起こしながら、ライドブッカーで怪物の脚を斬る。

 

 浅い。

 

 鱗が硬い。刃は通るが、決定打にはならない。

 

 なら、削るより崩す。

 

 横から別の一体が飛びかかってきた。

 

 俺はライドブッカーを銃形態へ切り替え、足元へ撃つ。弾丸がアスファルトを抉り、細かな破片が怪物の爪の下へ散った。

 

 滑る。

 

 巨体がわずかに傾く。

 

 そこへ最初の一体が突っ込み、二体の体がぶつかった。鱗と鱗が擦れ合い、耳障りな音が通りに響く。

 

 その隙間を、俺は抜けた。

 

 マゼンタの装甲が、灰黒い巨体の間を走る。

 

 背後ではデルタ達が動いていた。

 

「ほら、そこ入って! 扉閉めて!」

 

 デルタの声が通りに飛ぶ。

 

 ゼータは逃げ遅れた学生を抱えるようにして、建物の陰へ押し込んでいる。イータは端末を片手に、開いている避難口を指差す。イリスは黙ったまま、子供と怪物の間へ立っていた。

 

 命令もなしに、自然に分かれている。

 

 数年前なら、少し違っただろうか。

 

 いや、考えるのは後だ。

 

 怪物が三方向から来る。

 

 右から爪。

 

 左から尾。

 

 正面から裂けた口。

 

 俺はライドブッカーを剣へ戻し、右の爪を弾く。反動を利用して体を回し、左の尾を紙一重で避ける。正面の口が迫る。

 

 仮面の奥で、怪物の濁った瞳が見えた。

 

 俺はライドブッカーを横に押し込み、牙と牙の間へ刃を噛ませる。

 

 金属が軋む。

 

「近いな」

 

 そのまま銃形態へ切り替え、口の中へ一発撃つ。

 

 怪物が仰け反った。

 

 だが倒れない。

 

 喉の奥から、湿った音が漏れる。血なのか、体液なのか、黒いものがアスファルトに落ちた。

 

 こいつらは硬い。

 

 それに、数が多い。

 

 時間をかければ住民の避難にも穴が出る。

 

 なら、こっちも手札を変える。

 

「なら、軽くいくか」

 

 ライドブッカーの中からカードを抜く。

 

 怪物が一斉に動いた。

 

 カードを抜く一瞬を狙ったのか、それともたまたまか。どちらでもいい。爪と尾と牙が、同時にこちらへ迫る。

 

 俺はカードを指に挟んだまま、ライドブッカーで一体の爪を受け流す。足元を滑らせ、尾の下を潜る。背後の壁を蹴り、宙で体をひねった。

 

 その間に、カードをドライバーへ装填する。

 

「噛み砕く相手を間違えたな」

 

 ドライバーを閉じる。

 

『KAMEN RIDE KIVA!』

 

 音声が通りに響いた。

 

 マゼンタの装甲が揺らぎ、黒と銀、そして血のような赤を帯びた姿へ変わる。空気が一段低く沈む。閉じたシャッターの奥で、誰かの息が止まった。

 

 仮面の視界が変わる。

 

 街の匂いが濃くなる。灰。鉄。獣の粘液。シャッターの奥の人間の汗。路地の奥に立つ、別の気配。

 

 銃を持つ誰か。

 

 見ている。

 

 怪物が吠えた。

 

 いや、吠えたというより、喉の奥の泥を吐き出すような音だった。

 

 一体目が正面から突っ込んでくる。

 

 俺は地面を蹴った。

 

 体が軽い。

 

 跳躍。

 

 空中で膝を引き、落下に合わせて蹴りを叩き込む。足裏が怪物の頭部にめり込んだ。鱗が割れ、巨体が地面に叩きつけられる。

 

 着地。

 

 振り向きざまに回し蹴り。

 

 二体目の顎が跳ね上がる。牙が砕け、黒い破片が宙に散った。

 

 三体目が壁を這って上から来る。

 

 俺は逆に壁を蹴った。

 

 上へ。

 

 怪物の背中を踏みつけ、落下の勢いを乗せてかかとを叩き込む。巨体がアスファルトへ沈み、地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。

 

 残りが距離を取る。

 

 さっきまで距離を測っていた舌が、今度は忙しなく揺れていた。

 

「どうした。挨拶はもう終わりか」

 

 背後から尾が来る。

 

 俺は振り返らずに身を沈める。尾が頭上を通過した瞬間、片足を軸に回転し、脚を振り抜いた。

 

 蹴りが尾の根元に入る。

 

 怪物の体勢が崩れる。

 

 そこへ踏み込む。

 

 一撃。

 

 二撃。

 

 三撃。

 

 蹴りだけで押し込む。爪を出す暇を与えない。巨体が後退し、壁にぶつかる。コンクリートが砕け、粉塵が舞った。

 

 別の一体が横から来た。

 

 俺は壁を蹴り、宙で体を反転させる。二体の間に落ち、両足で連続して蹴りを入れた。

 

 片方は腹へ。

 

 片方は喉へ。

 

 怪物達の体が左右へ吹き飛ぶ。閉じたシャッターの前で止まり、黒い粒子を散らしながら動かなくなった。

 

 通りに静けさが戻っていく。

 

 残った最後の一体が、路地の入口で身を低くしていた。

 

 逃げるつもりか。

 

 あるいは、まだ狙うつもりか。

 

 その目が一瞬、シャッターの隙間へ向いた。

 

 中には人がいる。

 

「そっちは駄目だ」

 

 俺は地面を蹴った。

 

 怪物も同時に動く。

 

 シャッターへ向けて跳ぶ巨体。その横腹へ、俺は斜めから飛び込んだ。空中で体をひねり、蹴りを叩き込む。

 

 衝撃で怪物の軌道が曲がる。

 

 そのまま壁へ激突。

 

 まだ終わらない。

 

 俺は着地と同時に再び跳ぶ。

 

 今度は真正面。

 

 怪物が口を開く。

 

 牙が見える。

 

 俺はその牙の間へ、最後の蹴りを突き刺した。

 

 鈍い音。

 

 巨体が路地の奥へ吹き飛び、壁を砕いて止まった。

 

 数秒。

 

 動かない。

 

 やがて、灰黒い体が崩れ、黒い粒子になって風に散っていった。

 

 通りには、砕けたアスファルトと折れた標識だけが残った。

 

 シャッターの向こうで、誰かが小さく息を吐く。

 

 デルタがこちらへ歩いてくる。

 

「終わり?」

 

「見える範囲ではな」

 

 ゼータが通りの奥を確認する。

 

「逃げた個体はいないみたい」

 

 イータが端末を見下ろす。

 

「反応、消失。残留成分だけ残ってる」

 

 イリスは子供を建物の中へ押し込んだ後、こちらへ視線を向けた。

 

「戦闘終了と判断します」

 

「ああ」

 

 俺は変身を解かなかった。

 

 理由は一つ。

 

 ずっと見られていたからだ。

 

 路地の奥。

 

 壊れた非常階段の陰。

 

 そこに、少女が立っていた。

 

 白い上着。黒系のスカート。淡い髪が肩の辺りで揺れている。両手には銃。こちらへ向けてはいないが、下ろしきってもいない。

 

 目が合った。

 

 少女は動かない。

 

 怪物を見ても、俺を見ても、足は一歩も退いていなかった。呼吸は乱れていない。銃を握る指だけが、引き金の手前で静かに止まっている。

 

 この世界の住民ではない。

 

 少なくとも、ただ隠れて震える側ではない。

 

 俺は彼女の方へ歩き出した。

 

 砕けたアスファルトを踏むたび、足元で小さな石が鳴る。少女の銃口が、ほんの少しだけ上がった。

 

 警戒している。

 

 当然だ。

 

 怪物を蹴り倒した通りすがりの仮面ライダーなど、信用する方がどうかしている。

 

 俺は数歩手前で止まった。

 

「見物料は取らない」

 

 少女の目が細くなる。

 

 俺は肩をすくめた。

 

「だが、説明くらいはしてもらうぞ」

 

 少女は答えなかった。

 

 代わりに、銃口がわずかにこちらへ向いた。

 

 春の空は、さっきと同じように青い。

 

 だが、その青の下で、この世界はもう普通の顔をしていなかった。

 

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