銃口が、こちらを向いていた。
細い銃身だ。だが、構えに迷いはない。両手で握られたそれは、ただ脅すための道具ではなく、いつでも撃てる位置にある。
路地の奥に立つ少女は、俺を見ていた。
白い上着。黒系のスカート。淡い髪が風で少し揺れている。年齢だけ見れば、なのは達とそう変わらない。だが、目の置き方が違う。瓦礫を見る目。怪物の残骸を見る目。俺の足元を見る目。全部が、次に何が動くかを測っていた。
俺は数歩手前で止まった。
変身は解かない。
キバの姿のまま、ライドブッカーを下げる。刃先も銃口も、少女には向けない。だが、完全に手放すほどこの世界を信用してもいない。
少女の指が、引き金の手前で止まっている。
「それ以上、近づかないで」
声は固い。
けれど、震えてはいなかった。
「見物料は取らない」
俺が言うと、少女の眉が少しだけ動いた。
「だが、説明くらいはしてもらうぞ」
「説明が必要なのは、あなたの方」
「そうか?」
「そう」
短い返事。
その間にも、少女の視線は俺の肩、腰、手元、背後へと流れていく。デルタ達の位置も確認している。通りの奥の避難経路も。閉じたシャッターの隙間も。
訓練された動きだ。
ただの通行人ではない。
デルタが少し離れた場所で口を尖らせた。
「撃つ気なら、さっさと撃てばいいのに」
「デルタ」
ゼータが低くたしなめる。
「何よ。こっちが怪物を倒したのに、銃向けられてるのよ?」
「この世界じゃ、怪物を倒せる奴の方が怪しいのかもしれない」
イータが端末を抱えたまま呟いた。
少女の目がイータへ動く。
次にデルタ、ゼータ、イリス。
イリスは何も言わず、少女を見返していた。観察する者同士、妙な沈黙ができる。通りに残った黒い粒子が、風に吹かれて二人の間を流れた。
「あなた達は、何?」
少女が言った。
「通りすがりだ」
「通りすがりが、侵略種を蹴り殺すの?」
その言葉で、俺は足元の残骸へ視線を落とした。
侵略種。
蜥蜴のような怪物は、黒い粒子になりかけていた。鱗の欠片がアスファルトに貼りつき、日差しを鈍く反射している。少女はそれを見ても顔をしかめない。
慣れている。
この街の住民がシャッターを閉めた時と同じだ。
「侵略種、か」
俺は言葉を舌の上で転がす。
「さっきの蜥蜴のような怪物の名前か」
「名前じゃない。分類」
「便利な呼び方だな」
「便利じゃない。必要なだけ」
少女は銃口を下げないまま、残骸へ一歩近づいた。
膝を折ることはしない。腰も落としきらない。片足はいつでも後ろへ下がれる位置に置かれている。銃を構えながら、視線だけで残骸を確認する。
「群れで出るタイプにしては、動きが浅かった」
「詳しいな」
「知らないと死ぬ」
短い。
それで十分だった。
シャッターの向こうで、誰かが息を潜めている。街はまだ動き出さない。さっきまでの春の音楽も止まったままだ。風だけが折れた標識を揺らしていた。
――危険生物出没時は屋内へ退避。
折れた文字が、地面の上で半分だけ読めた。
「で、お前はこいつらを狩る側か」
少女の目がこちらへ戻る。
「質問する立場だと思ってる?」
「銃を向けられている割には、口は動く」
「撃たれたいの?」
「撃つなら早くしろ。説明を聞く時間がなくなる」
少女の指が、ほんの少しだけ引き金に触れた。
だが、撃たない。
俺はドライバーへ手を伸ばし、変身を解除した。
装甲がほどける。
キバの姿が消え、いつもの俺の体に戻る。春の空気が直接肌に触れた。獣じみた感覚が薄れ、代わりにアスファルトの熱と粉塵の匂いが戻ってくる。
少女の銃口が、一瞬だけ上がった。
無理もない。
怪物を蹴り倒した鎧が、目の前で人間になったのだから。
「……今のは」
「見た通りだ」
「人間?」
「少なくとも、侵略種ではない」
「自分で言うことじゃない」
「なら、お前が判断しろ」
少女は俺を見た。
頭から足元まで。
次にドライバーへ。
ライドブッカーへ。
それから、俺の背後にいる連中へ。
デルタが手を振った。
「怪しくないわよ」
「怪しさが増したね」
ゼータが呟く。
「ゼータ、そういうこと言わない」
「事実だから」
イータは端末に何かを入力しながら、少女を見た。
「敵対意思はない。今のところ」
「余計な一言を付けるな」
俺が言うと、イータは顔を上げずに答えた。
「正確性は大事」
少女はそのやり取りを見ていた。
銃口はまだこちらに向いている。だが、さっきより少しだけ角度が落ちた。胸ではなく、腹。そこからさらに、地面との間で迷っている。
「あなた達は、この街の人間じゃない」
「そうだな」
「この国の人間でもない」
「たぶんな」
「たぶん?」
「国境を確認する前に蜥蜴が出た」
少女の目が細くなる。
冗談が通じたわけではないらしい。
まあ、この状況で通じる方がおかしい。
俺はカードを一枚取り出した。
少女の銃口がまた上がる。
「撃つな。ただのカードだ」
「ただのカードで、さっきの姿になった」
「よく見てるな」
「見ないと死ぬって言った」
俺はカードを指先で揺らした。
マゼンタの縁が、日差しを受けて光る。
「俺達は別の世界から来た」
少女の表情は変わらなかった。
だが、風で揺れていた髪が頬にかかったまま、払われなかった。
「別の、世界」
「ああ」
「外国じゃなくて?」
「違う」
「別の星でもなくて?」
「違う」
「別の世界」
「そうだ」
少女は黙った。
閉じたシャッターの奥で、金具が小さく鳴る。誰かが中から様子をうかがったのだろう。すぐにまた静かになった。
少女は俺のカードを見て、ドライバーを見て、さっきまで怪物が転がっていた場所を見た。
そこにはもう、ほとんど残骸はない。
黒い粒子だけがアスファルトの溝に残っている。
「普通なら、信じない」
少女が言った。
「普通の世界ならな」
俺は肩をすくめる。
「ここは普通か?」
少女は答えない。
代わりに、折れた標識へ視線を向けた。
危険生物。
屋内退避。
その文字が、春の光の中でやけに白く浮いている。
「この世界では、侵略種が人間の生活圏に入り込む」
少女の声は、さっきより低かった。
「森にも、海にも、街にも。出る場所を選ばない。見つけたら駆除する。逃げ遅れた人間がいれば助ける。そうしないと、すぐに増える」
「さっきの群れも、その一部か」
「たぶん、斥候か小型群れ。あれで終わりとは限らない」
デルタが顔をしかめる。
「最悪。蜥蜴が増えるとか聞きたくない」
「蜥蜴じゃない」
少女が即座に言う。
「侵略種」
「はいはい、分類ね」
デルタが両手を上げる。
少女はデルタを見たまま、銃口を少しだけ下げた。
完全には下げない。
それでいい。
すぐ信用される方が薄気味悪い。
「あなた達が別の世界から来たという話は、普通なら信じない」
少女はもう一度言った。
同じ言葉。
だが、今度はその後に続きがあった。
「でも、あなたの力は普通じゃなかった」
銃口が、さらに下がる。
地面を向いた。
ただし、指はまだ銃から離れていない。
「だから、今は信じる」
「随分あっさりしてるな」
「信じることと、信用することは違う」
「なるほど」
俺は笑った。
「話が早い」
「早くしないと、次が出る」
少女は路地の奥を見た。
そこにはもう怪物はいない。だが、彼女の視線は暗がりのさらに向こうを探っていた。通りの端、排水溝、屋根の影。どこから次が来てもおかしくないという目だ。
この世界では、それが普通なのだろう。
普通の街。
普通の青空。
普通の卒業式とは違う、普通。
俺はカメラを持ち上げた。
「この世界のことを知りたい」
少女がこちらを見る。
「あなた達には関係ない」
「通りすがった」
「それだけで首を突っ込むの?」
「俺はそういう奴らしい」
背後でデルタが笑った。
「自覚あるじゃない」
「黙れ」
ゼータが少女へ目を向ける。
「少なくとも、今は敵じゃない。侵略種を倒したのは見てたでしょ」
「見てた」
少女は短く答える。
イータが端末を閉じた。
「この世界の情報が必要。侵略種の再出現確率も不明」
イリスが少女を見たまま言う。
「案内役の存在は有用です」
「本人の前で有用とか言うな」
俺が突っ込むと、イリスは少しだけ首を傾けた。
「不適切でしたか」
「たぶんな」
少女の口元が、ほんの一瞬だけ動いた。
笑ったのか、呆れたのかは分からない。すぐに元の硬い顔へ戻った。
「……久瀬シイナ」
少女が言った。
「何?」
デルタが聞き返す。
「私の名前」
彼女は銃を完全には下ろさないまま、こちらを見た。
「侵略種のことを知りたいなら、ここで立ち話を続けるのは危険。移動する」
「案内してくれるのか」
「監視するだけ」
「似たようなものだろ」
「違う」
即答だった。
俺は肩をすくめる。
「俺はツカサ。通りすがりの仮面ライダーだ」
「その名乗り、本気で言ってる?」
「毎回な」
シイナはしばらく俺を見ていた。
それから、銃を持ったまま背を向ける。
完全に背中を預けてはいない。半身のまま、いつでもこちらを視界に入れられる角度で歩き出す。
「ついてきて」
「監視じゃなかったのか」
「逃げるなら撃つ」
「案内より物騒だな」
俺達は、砕けた通りを歩き出した。
シャッターの隙間から、街の人々がこちらを見ていた。俺を見る目。シイナを見る目。デルタ達を見る目。それぞれに色が違う。
風が吹く。
黒い粒子が足元から舞い上がり、春の光の中で消えていく。
普通の顔をした街は、まだ静かに息を潜めていた。
そしてその奥で、侵略種という名前だけが、こちらを待っているように残っていた。