月明かりが、補強板の隙間から細く差し込んでいた。
昼間、シイナが説明したとおりだ。この家にも避難経路や防護設備が組み込まれている。窓という窓には装甲板が仕込まれ、壁には警戒灯の配線が走っている。平和な日常を装いながら、いつ侵略種が来てもおかしくない。そんな世界の住居だった。
俺は廊下の壁に背を預け、窓辺に座る小さな影を見やった。
「……よぅ、良いか」
声をかけると、セツナの肩がわずかに跳ねた。振り返った顔には、昼間の明るい笑みはない。けれど敵意もない。ただ、何かを測るような目で俺を見ている。
「あっ、えっと、ツカサさん」
声は柔らかい。けれど、その柔らかさは意識して作ったものだ。俺は壁から離れず、距離を保ったまま口を開く。
「ちょっと聞きたい事があってな」
セツナは答えない。膝の上で指を絡め、ほどき、また絡める。月明かりが彼女の顔を横切る補強板の影で、細かく分断していた。
「……わたしのこと、ですよね」
小さな声だった。シイナを起こさないための小声。けれど、それだけじゃない。言葉そのものが、外に出すのをためらっている。
「少しな」
俺は肯定も否定もしない。ただ、それだけ言った。
セツナはうつむいた。編み込まれた淡い桃色の髪が、肩の前で揺れる。
「……いつから、気づいてましたか」
「会った時からだ。人間の気配じゃない」
指が止まった。セツナは膝の上の自分の手を、じっと見つめている。まるでそれが、もう自分のものじゃないみたいに。
「お姉ちゃんには、言わないでください」
「言うつもりはない」
即答だった。セツナが顔を上げる。琥珀色の瞳が、わずかに揺れている。
「俺が口を出すことじゃない。言うなら、お前が言え」
「……言えないから、黙ってるんです」
「言えないのか。言わないのか」
セツナは答えなかった。ただ、絡めた指に力を込める。細い指が白くなる。
俺は壁にもたれたまま、窓の外を見た。月明かりに照らされた庭には、セツナが世話をしているという菜園がある。小さな畝が、規則正しく並んでいた。
「シイナは、お前のことを妹だと言った」
「……はい」
「あいつは、お前が何者でも関係なく、お前を妹だと思ってる。違うか」
セツナの唇が、わずかに開いた。何かを言おうとして、けれど言葉は出てこない。代わりに、ぎゅっと目をつむる。
「……わたしが、普通の人間じゃないって知ったら。しーちゃん、困るかもしれない。それに」
声が途切れた。喉の奥で、言葉がつかえている。
「それに?」
「……一緒に、いられなくなる」
ほとんど息だけの声だった。
俺は壁から背を離す。けれど近づきはしない。ただ、少しだけ体の向きを変えた。
「お前がいなくなったら、シイナはもっと困るぞ」
セツナが顔を上げる。月明かりに、目のふちが光って見えた。
「あいつは、お前の将来のためにハンターをやってる。お前を誰かに預けるためじゃない。自分の手で育てるためだ」
「……わかってます。わかってるけど」
「わかってるなら、勝手にいなくなるな」
俺の声は、自分でも驚くほど平坦だった。励ましているのか、突き放しているのか、たぶんどちらでもない。ただ、事実を言っただけだ。
「お前が黙って消えても、シイナは探す。見つけるまで探す。あいつはそういう奴だ」
セツナはうつむいた。肩が小さく震えている。泣いているのかもしれない。けれど声は出さない。シイナを起こさないためだろう。
俺はそれ以上、何も言わなかった。言うべきことは言った。あとは、こいつが自分で決めることだ。
「……ツカサさん」
しばらくして、セツナが顔を上げた。涙の跡は残っているが、声はさっきよりしっかりしている。
「わたし、ちゃんと話します。しーちゃんに」
「そうしろ」
「でも、今はまだ……もう少しだけ、考えさせてください。どうやって話せば、しーちゃんが一番、傷つかないか」
俺は小さく息をついた。ため息というより、笑いに近い。
「難しいことを考えるんだな」
「……しーちゃんの妹ですから」
セツナが、ほんの少しだけ笑った。昼間のような明るい笑顔じゃない。けれど、作り物でもない。
俺は壁から離れ、来た道を戻り始める。
「俺は何も聞いてない。お前が何者でも、どうでもいい」
「……ありがとう、ツカサさん」
「礼を言われることはしてない」
振り返らずに言うと、背後で小さな笑い声が聞こえた。今度は、さっきよりも少しだけ、十一歳らしい声だった。
月明かりが、廊下に細く伸びている。補強板の影が、床に幾筋もの線を描いていた。この世界は、どこまで行っても普通のふりをしている。平和な夜のふりをして、家族のふりをして、人間のふりをして。
けれど、そのふりを守ろうとする奴がいるなら、それも悪くない。
俺は客間に戻り、音を立てずに布団へ潛り込んだ。隣ではデルタが、寝相悪く布団を蹴飛ばしている。
明日には、また新しい面倒事が待っているだろう。
いつものことだ。