悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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天使の獣

夜の街は静まり返っていたが、その静けさは安堵ではなく、何かが起きる直前の薄い膜のように張り詰めていた。街灯の光が濡れた路面に滲み、風が吹くたびに看板が小さく鳴る。その音すら、次の瞬間にかき消される予感があった。

 

白金の装甲が立ち上がる。翼を模したユニットを備えたベルトが腰に固定された瞬間、空気の密度が変わった。背後から展開した無数の光翼が一枚ずつ重なり合い、羽根が散るというより、空間そのものが細かく裂けて舞っているように見える。変身という行為が、衣を纏う儀式ではなく、罪を裁くために現実を上書きする操作に近い。その中心に立つケルビムは、動かずにいるだけで周囲の温度を下げ、視線を向けられた者の呼吸を乱す圧を放っていた。

 

「おいおい、何その天使ごっこ。カッコつけても無駄だぞ?」

 

六道は笑っていた。余裕。いや、慢心だ。自分が傷つかないと信じ切っている人間特有の軽さが、声と姿勢に滲んでいる。

 

「俺は最強なんだよ。触れられない、当たらない、尽きない。努力? 修行? いらねぇ。才能を“もらった”時点で勝ちは決まってんだ」

 

武装の展開は速い。背中から滑り出すように現れるオーインバスター50とオストデルハンマー50は、質量感を伴って落ち着き、構えという予備動作を省いて即座に戦闘姿勢へ移行できる配置を取る。握りの角度は無駄がなく、重心は低い。どれだけ装甲が重厚でも、動きの初速を殺さないように設計されている。本人の気質と同じだ。考えず、迷わず、最短距離で叩き潰すために整えられた機体。

 

「しゃべりすぎ」

 

デルタの声は短い。怒鳴らない。感情を撒き散らさない。むしろ、静かだった。その静けさが、逆に危険を孕む。

 

「は? 何だよその態度。ビビってんのか?」

 

「ビビる理由、ない」

 

「強がり。無限って知らねぇの? 俺の前じゃ、何しても届か――」

 

「届かないなら、やり方を変える」

 

最初の踏み込みが街の空気を割った。人が走る速度ではない。加速の段階が二つほど抜け落ちたような前進で、路面の水膜が跳ね上がり、遅れて衝撃音が追いかけてくる。狙いは単純で、試し打ちに近い。相手がどんな理屈で身を守ろうと、まず一発当てて手応えを取る。その発想が、剥き出しの本能として動きに出ていた。

 

「ほらな! 止まっただろ! 届かねぇんだよ、俺の――」

 

拳が届くはずの距離で、何かが噛み合わない感触が走る。打撃が空を切ったのではない。確かに前方の“存在”に向けて衝撃をぶつけたのに、肝心の対象だけが、薄い透明な層の向こう側にいるような手応えになる。触れられない、当たらないというより、距離が永遠に挿し込まれていく感覚に近い。

 

デルタは足を止めずに、わずかに顎を上げた。

 

「そういうの、見たことある」

 

「は?」

 

「ボスが言ってた。理屈は知らないけど、結論は同じだって」

 

六道の眉が跳ねる。

 

「ボス? 誰だよ。強い奴の名前出せば、俺が引くと思ってんのか?」

 

「引かないの、知ってる」

 

「なら――」

 

「だから、折る」

 

言葉の温度は低い。だが、判断は冷静だった。感情で突っ込むのではなく、相手の手品を“性質”として捉え、次の一手を選ぶ。ツカサが旅の中で叩き込んだのは、格好いい台詞ではない。危険な相手ほど、余計な言葉を捨てて最短で詰めろという、無骨な教えだった。

 

「俺は最強なんだよ。お前みたいな脳筋が何か考えたって――」

 

「考えてない」

 

「は?」

 

「見てる」

 

デルタは六道の足運び、呼吸、視線の揺れを拾っていた。防御に胡座をかいている奴は、攻めの瞬間に必ず“雑”になる。その雑さを狙うのが、旅の中で自然に身についた戦い方だ。

 

「当たらないって言ってる割に、近いと落ち着かない顔してる」

 

「は? 余裕だし。むしろ――」

 

六道はわざと一歩踏み出し、挑発するように上体を傾けた。

 

「もっと来いよ。どうせ届かねぇんだからさ」

 

その瞬間、街の空気がひとつ、重くなる。デルタが“次”に移る合図だった。

 

観察していたフェイトは、二人の会話から状況の形を掴む。自分が向き合ってきた魔導師同士の戦闘とは質が違う。魔力の圧や術式の構築ではなく、個としての暴力が、装甲と武装を媒介にして露骨に表に出ている。六道の防御は確かに厄介だ。けれど、その厄介さは「完成された技術」というより「手にした機構を過信しているだけ」に見えた。言葉が多いのは余裕の証明ではなく、揺らぎを塗り潰すための自己暗示に近い。

 

対照的に、ケルビムは静かだった。静かであることが、そのまま制圧力になっている。動かずとも圧があり、動けば速度と重量の両方がついてくる。武装の展開と姿勢の移行が一切淀まない。訓練された魔導師の動きとは別の、戦闘そのものに特化した身体の使い方。フェイトはそこに、単純な強弱では測れない差を感じ取った。

 

自分がこの場でケルビムを止められるか。結論は早い。止められない。止めようとする選択自体が危険だ。魔力で押し返せば押し返すほど、相手は「もっと強く叩く」方向へ迷いなく舵を切る。しかも、こちらが意図した範囲に収めてくれる相手ではない。だから、フェイトが取れる最善は、争うのではなく、被害を減らすことだ。

 

フェイトは足音を殺して半歩、戦闘域の外縁へ移る。相手の死角に入るためではない。街の端に被害を逃がし、巻き込まれる可能性のある場所から人の気配を遠ざけるための移動だった。視線はジェルシードにも向く。碧い宝石が、まるで瞳のように街灯を反射し、手の中で不穏に脈打っている。あれは回収すべきだ。だが、今ここで奪いに行けば、ケルビムの注意を自分に向けてしまう。注意が向いた瞬間、この場は終わる。自分の命が、ではない。街が、だ。

 

フェイトは息を整え、判断を積み重ねる。六道の防御は「当たらない」ことを保証しているようで、実際は六道本人の精神に依存している。怒りや焦りが混じれば混じるほど、防御の精度は落ちる。その落ちた瞬間を、ケルビムは逃さない。恐ろしいのは、ケルビムがその理屈を理解しているかどうかではない。理解していなくても、嗅ぎ取れるということだ。獣のように、相手の乱れを“匂い”で捉えている。

 

「……結局さ、お前らみたいなのって、“当たれば勝てる”って思ってんだよな」

 

六道は笑い、指先を揺らした。

 

「無理だって。無限の前では、全部止まる。お前の拳も、剣も、弾も、熱も――」

 

「全部、止める?」

 

「止めるに決まってんだろ。俺は最強――」

 

「じゃあ」

 

デルタが、ほんの少しだけ首を傾けた。

 

「止めるもの、増やす」

 

六道の笑みが一瞬だけ固まった。理解が追いつかなかったのか、それとも本能が危険を察したのか。

 

「……は?」

 

デルタは答えず、武装の角度を変える。重心が落ちる。肩が前に出る。ここから先は理屈ではない。街ごと巻き込む暴力の扱い方になる。フェイトは目を逸らさず、足の位置をもう一度だけ確認した。逃げるためではない。万が一の飛来物から、この場に残るべきものを守るための位置取りだ。

 

自分よりも遙かに強い。フェイトはそう結論づける。六道ではなく、ケルビムが。強さの種類が違う。魔力の量でも、術式の完成度でもない。戦うという行為における、躊躇のなさと、破壊を選べる胆力。その差は埋まらない。ならば、賭けるべきは一つ。ケルビムがこの場を短く終わらせること。

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