俺は、拳を握りしめていた。
ライドブッカーの柄を握る指が、自分のものじゃないみたいに硬くこわばっている。怒りを抑えようとしている自覚はある。けれど、抑えきれるものでもなかった。
セツナはもういない。
自分の身体を炎に変えて、シイナを助けることを選んだ。自分は人間じゃないと知られるかもしれないのに。シイナと一緒にいられなくなるかもしれないのに。それでも、迷わなかった。
そのセツナを、こいつは捕食しようとした。
「――何者だ、貴様」
男の声は相変わらず平坦だった。外套の奥の闇が、じっと俺を見ている。右手はまだ、さっきセツナを掴もうとした形のままだ。あの腕が、あの指が、セツナに触れた。
俺は答えない。代わりに、一歩踏み出した。
「その少女は、もはや人ではない。ならば我らが回収するのが理というもの」
「理、だと」
俺の声は、我ながら低すぎた。
「あいつは、自分が何者かわかっていて、それでも人間でいようとした。姉を守るために、自分のすべてを差し出した。そんなやつを、お前は理で片づけるのか」
男は答えない。ただ、外套の奥の闇が、かすかに揺らいだ。
俺はもう一歩、踏み出す。地面を踏む足音が、やけに大きく響いた。
「あいつは、俺に言ったんだ。『わたしはいいから、しーちゃんを助けて』ってな。十一歳の子供が、自分より誰かを選んだんだ」
ウィザードの装甲越しでも、自分の声が震えているのがわかった。怒りか、悔しさか、どちらでもない。これは、ただの。
「お前は、それを食おうとした」
俺はライドブッカーを抜いた。剣形態。刃が月明かりを反射して、白く光る。
「理屈なんざ、どうでもいい。お前がセツナに手を出した。それだけで十分だ」
男が、かすかに後ろへ下がった。初めて見せた動揺だった。
「貴様、何を怒っている。たかが一体の――」
「それ以上、言うな」
俺は地面を蹴っていた。距離を詰める。ライドブッカーを振りかぶり、男の外套めがけて斬り下ろす。
「たかが一体だと思うなら、お前は何もわかっちゃいない」
刃が、黒い外套を切り裂いた。
俺の斬撃をかわした男の腕から、また黒い触手が伸びた。狙いは、地面に横たわるシイナだ。
「させるか!」
俺はライドブッカーを振るった。刃が触手の先端を弾く。だが、硬い。さっきまでとは違う。手応えが重くなっている。
次の触手が、シイナの肩を掴もうとした。その瞬間――。
炎が、噴き上がった。
シイナの身体から溢れ出るように、赤と橙の炎が燃え上がる。触手が炎に触れた途端、黒い表面が焼け爛れ、男が苦鳴を上げて腕を引っ込めた。
「なに…?」
俺は思わず呟いていた。
シイナはまだ意識を失っている。なのに、彼女の身体を守るように炎が渦を巻いている。髪が、変わっている。元の明るい茶色じゃない。燃えるような赤だ。まるでセツナが最後に見せた、あの炎の色。
エンゲージリングが、シイナの指で強く輝いている。
炎は彼女を中心に渦を巻き、倒れたままの身体を包み込んでいく。熱いはずなのに、俺の装甲越しでも感じるその熱は、不思議と敵意を感じさせなかった。怒りでも憎しみでもない。これは、もっと別のものだ。
シイナの指が、かすかに動いた。
まだ意識は戻っていない。けれど、彼女の中で何かが目覚めようとしている。セツナが残した何かが、姉を守るために燃えている。
「…セツナ、お前」
俺は炎を見つめながら、小さく呟いた。
自分が消えてでも、姉を助ける。その想いが、今もまだ燃え続けている。シイナの中で、彼女を守るために。
男が、後ろへ下がる。外套の奥の闇が、初めて明確に揺らいでいた。
「ツカサさん。こいつは、私がやる」