炎が、渦を巻いていた。
シイナの身体から溢れ出る赤と橙の炎が、彼女を中心に庭を照らしている。髪は燃えるような赤に変わり、閉じられたまぶたの奥からも淡い光が漏れている。彼女はまだ意識を取り戻していない。なのに、身体は勝手に動いていた。
右手が、ゆっくりと上がる。
その動きに合わせて、炎が意思を持つみたいに男へと殺到した。
「な、に…」
男の声から、初めて平坦さが消えた。黒い外套が炎に舐められ、端から灰になっていく。腕から伸ばした触手は、触れるそばから焼け爛れた。さっきまでセツナを捕まえようとしていたあの触手が、今度は守勢に回っている。
シイナはまだ目を閉じている。なのに、彼女の周囲だけはまるで別の空間みたいに、炎が秩序立って動いていた。燃やすべき敵と、燃やしてはいけないもの。それをきちんと区別している。
これは、シイナだけの力じゃない。彼女の指で輝くエンゲージリング、その内側に宿ったセツナの意思が、姉を守るために炎を操っているんだ。
男が雄叫びを上げた。
外套の奥から、無数の触手が溢れ出る。さっきまでとは比べ物にならない数だ。地面を這い、空中を走り、四方八方からシイナへ殺到する。数で押し切るつもりか。彼女の炎が防ぎきれる量じゃない。
俺は手元のライドブッカーを見た。そして、シイナを見た。
あの炎は、弾丸にできる。
「シイナ」
返事はない。でも、彼女の耳には届いているはずだ。
俺はライドブッカーを、逆手に持ち替えて投げた。回転しながら夜の庭を横切る銀の軌跡。それが、炎に包まれたシイナの右手へ、ぴたりと収まる。
彼女の指が、引き金に掛かった。
シイナの目が、ゆっくりと開く。青緑色の瞳の奥で、セツナと同じ色の炎が揺らめいていた。彼女はまだ、自分が何をしているのか全部は理解していないかもしれない。それでも、やるべきことはわかっている。
「――これで、終わりだ」
シイナが引き金を引いた。
ライドブッカーの銃口から放たれたのは、ただの光弾じゃない。シイナの全身を包んでいた炎が、一点に収束し、巨大な火炎弾となって男へと迫る。熱で空気が歪み、地面の砂利が赤く輝く。
男の触手が、火炎弾を止めようと壁を作る。無駄だ。触手は触れた端から蒸発し、火炎弾は速度を緩めずに突き進む。
「ば、かな…この私が…!」
男の声が、夜の庭に響いた。それが、最後の言葉になった。
火炎弾が炸裂し、男の身体を丸ごと飲み込む。黒い外套も、無数の触手も、すべてが炎に包まれて消えていく。断末魔の叫びすら、爆炎の轟きにかき消された。
夜の庭に、静寂が戻る。
炎が消えたあとには、焼け焦げた地面と、かすかに揺らめく残り火だけが残っていた。男の姿は、もうどこにもない。
シイナはライドブッカーを握ったまま、しばらく動かなかった。彼女の髪が、ゆっくりと元の茶色へ戻っていく。身体を包んでいた炎も、静かに消えていった。
「…あたし、今…」
シイナは自分の手を見つめている。ライドブッカーを握る右手と、エンゲージリングが輝く左手。その両方を、まるで初めて見るものみたいに。
俺は彼女の元へ歩み寄った。
「自分で引き金を引いたんだ。お前が、自分の意思でな」
シイナは顔を上げた。青緑色の瞳の奥で、まだかすかに炎の名残が揺れている。でもそれは、さっきまでの暴力的な熱じゃない。もっと静かで、あたたかいものだ。
「セツナが、あたしの中にいる」
「ああ。あいつは、お前を助けるために自分を選んだ。お前の中から、お前を守るために」
シイナは左手のリングにそっと触れた。指先が、ガラス細工に触れるみたいに優しかった。