目の前にそびえるのは、無機質なガラスとコンクリートの塊だ。機能美だけを追求したような建物。国連危険生物調査機関EXCEEDS、極東支局。島の家とは対極にある、冷たい空気。
「着きましたよ、先生」
なのはが運転席から声をかける。俺は無言でドアを開け、外へ出た。潮の匂いが消え、代わりに排気ガスと整備された植え込みの匂いが鼻をつく。
エントランスホールへ足を踏み入れた瞬間、見慣れた気配を感じた。
広いロビーの中央。受付カウンターの手前。
白いロングコートを羽織った人物が、腕を組んで立っていた。
「お久しぶりやね、先生」
落ち着いた声。関西弁の響きは昔と同じだ。けれど、それ以外はすべて変わっていた。
濃い茶色の髪は腰近くまで伸び、青い瞳には幼さの残滓がない。制服の肩には階級章が光り、全体から滲み出る空気は、かつての保護される側の子供ではなく、組織を統べる者のそれだった。
八神はやて。
俺が教えた頃のはやては、まだ車椅子に乗っていて、俺の目線よりずっと下にいた。今の彼女は、俺とほぼ同じ高さで俺を見下ろしている。
「随分と急いで育ったもんだな」
俺は口を開いた。言おうとしたのは、もっと直接的な言葉だ。数ヶ月でここまで成長するわけがない、と。
「あかん、先生! その話はあかん!」
はやてが慌てて両手を振った。さっきまでの威厳はどこへやら、顔をしかめて俺を制止する。その必死な顔だけは、昔のままだ。
「えっと、その、いろいろ事情があってやね? ここでは言えんのや。な?」
彼女は視線を俺の後ろへ向けた。シイナが立っている。きょとんとした顔で、俺とはやてのやり取りを見ている。疑問符が浮かんでいるのが、ここからでもわかる。
「ほら、先生。こっち来て」
はやては俺の腕を掴み、強引にロビーの脇へ引っ張った。シイナから離れ、人目につかない廊下の角まで連れて行く。
「なんだ、一体」
俺は腕を振りほどきながら尋ねた。
「せやから、年齢の話やめてって言うたやん」
はやてはため息をつき、周囲を確認してから声を潛めた。
「先生、この世界の時間の流れは、私たちがいた世界とは違うんよ。それはわかっとるやろ?」
「ああ。なのはが言ってた。俺がいなくなって数ヶ月だとな」
「せや。私たちにとっても数ヶ月や。でも、見た目はこうや。なんでかわかる?」
俺ははやての顔を見た。化粧気のない素顔。けれど、肌の質感や骨格のラインは、明らかに二十代の女性のものだ。
「変身魔法か」
「正解や」
はやては少し誇らしげに笑った。
「管理外世界、つまりこの世界の人たちと折衝するためや。国連の総督が、子供の姿やったら話にならんやろ? 信頼も得られへんし、話も通らへん。せやから、公式の場ではこうして大人の姿をとっとるんよ」
なるほど。
組織の長として、大人の社会で戦うための装備か。彼女はまだ十代半ばの少女だ。その肩にどれだけの重荷がかかっているか、想像するまでもない。
「身体に無理はないのか」
俺は短く聞いた。
「バレてへんから大丈夫やろ」
はやては悪戯っぽく片目を閉じてみせた。でも、その目の下には隠しきれない隈があった。魔法で外見を誤魔化しても、疲労までは消せないらしい。
「そうか。なら、俺からは何も言わん」
「ありがと、先生。やっぱり話早いねぇ」
はやては安堵したように肩を撫で下ろし、ロビーへ戻ろうと促した。
俺は彼女の背中を見送りながら、ポケットの中のライダーカードに触れた。彼女もまた、自分の役割のために仮面を被っている。俺が仮面ライダーとしての顔を持っているように、彼女は大人の顔を持っている。
守るべきもののために、自分を偽る。
そういう生き方を選んだのか、はやて。
俺は小さく息を吐き、シイナが待つロビーへと歩き出した。