俺は報告書を閉じた。薄いタブレット端末の画面が、指先の動きで暗転する。机の向こうでは、ゼータが静かにこちらの様子を窺っていた。猫の耳が、かすかに動く。
「シイナには、この件は伝えない」
ゼータは何も言わない。ただ、金色の瞳をわずかに細めて、俺の言葉を待っている。
「魔人の存在は知ってる。だが、これは別だ」
報告書には、いくつかの案件が並んでいた。魔人の力を使った組織間の抗争と殺害。捕らえた人間を食わせるための人身売買。そして、人肉を提供する違法な店の存在。どれも、単なる侵略種災害とは質が違う。人間が、人間を喰うために動いている。それも、組織的に。計画的に。
「シイナは、侵略種を相手に戦ってきた」
俺は背もたれに体重を預けながら、天井を見上げた。薄暗い部屋に、空調の低い唸りだけが響いている。
「あいつにとっての敵は、生活圏を奪う生物だ。駆除すべき相手だが、憎む相手じゃない。それが、あいつのハンターとしての芯だ」
「でも」
ゼータが口を開いた。声は相変わらず淡々としているが、その中にほんの少しだけ、疑問が滲んでいる。
「シイナはもう、自分の力と魔人の力が似ているって気づいてる。なら、隠さなくても」
「わかってるから、だ」
俺はゼータの言葉を遮った。
「あいつは自分の炎が、倒した侵略種の力を吸収して強くなるって知ってる。それがあのヤクザどもと原理が似ているってことも、気づいているかもしれない。だからこそ、見せるわけにはいかない」
俺の脳裏に、シイナの左手が浮かぶ。薬指のエンゲージリング。セツナが残した炎の欠片。あいつは今、妹と再会するために、その力と向き合っている。
そこに、同じような力を持った人間たちが、人を喰らい、売り買いし、料理にして出す店があるなどと、どうして伝えられる。
「同じ力を、別の人間がどう使っているか。それを知って、シイナは自分の力をどう思う」
ゼータは答えない。彼女にも、わかっているのだろう。
「あいつは、あの力でセツナを守ろうとした。セツナも、その力でシイナを助けた。どちらも、誰かを守るためだ。それがあいつたち姉妹の力の使い方だ」
俺は机の上に置いたライドブッカーを見つめた。柄に手を伸ばす。金属の冷たさが、指先に伝わる。
「食い物にするために人を狩る連中と、同じ土俵に立たせるな。情報は必要な分だけ渡す。それでいい」
「…わかった」
ゼータは短く返事をすると、静かに立ち上がった。尾が一度だけ揺れて、それから動かなくなる。
「報告書には載せるの?」
「ああ。はやてたちには伝える。裏で動く組織の全体像を掴むには、こいつらの動きを追うのが近道だ」
「危ない橋を渡るなら、私も行く」
「最初からそのつもりだ」
俺は短く息を吐き、立ち上がった。窓の外では、夜がまだ深い。街の明かりは、ここからは見えない。見えるのは、闇だけだ。
「行くぞ。夜の街が、まだ俺たちを待ってる」
俺はライドブッカーを腰に戻し、部屋を出ようとした。ゼータが無言で後ろに続く。