悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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原種、討伐戦

湖面は、鏡みたいに凪いでいた。

朝霧が水面を覆い、対岸の輪郭すら暧昧になっている。静かだ。鳥の声も、虫の音もしない。ただ、湿った空気が肺にへばりつくような、重苦しい沈黙だけがある。

 

俺は湖畔の茂みに身を潛め、息を殺していた。右隣にはゼータが、さらにその先にはシイナがうずくまっている。シイナは散弾銃を抱き込み、左手のエンゲージリングを胸元で握りしめていた。緊張しているのが、背中の筋肉の硬さだけでわかる。

 

対岸。

霧の向こうに、そいつは立っていた。

 

いや、立っているという表現は正しくない。あれは、木だ。

高さは優に五十メートルを超えているだろう。太い幹が水面から隆起し、無数の枝を空へ向けて伸ばしている。一見すれば、ただの巨木だ。だが、よく見ればわかる。樹皮の表面が不規則に脈打ち、枝の先端が蛇のようにうねっている。根が湖底を掻き回し、水面を波立たせている。

 

植物型の侵略種。いや、植物そのものを食らい尽くし、その姿を奪ったような冒涜的な擬態。

 

「…あれが、原種」

 

シイナが、絞り出すような声で呟いた。

俺は頷かない。頷く余裕なんてない。ただ、忌々しいものを見る目で、あの巨体を睨みつけていた。

 

「まだ動かない方がいい」

 

ゼータが、俺の袖を軽く引いた。彼女の金色の瞳が、原種の枝の先を凝視している。

 

「枝の先、見て。胞子が出てる」

 

言われて目を凝らすと、枝の節々から、薄緑色の霧のようなものが噴き出しているのが見えた。胞子だ。風に乗って湖面を這うように広がっていく。霧と混ざり合い、視界をより悪くしていく。

そして、湖面の下。

胞子が落ちた水面から、無数の気泡が沸き上がっていた。ボコボコと、まるで湖全体が煮え立っているみたいに。

 

「大繁殖の前触れ、か」

 

はやての言葉が脳裏をよぎる。原種は親だ。そして親は、子を産む。このまま放置すれば、あの胞子が周辺一帯を侵食し、この湖を侵略種の巣窟に変えてしまう。

 

俺はカメラを構えなかった。こんな光景、写真に収めたところで何になる。ただの悪夢だ。それも、現実に起きている最悪の悪夢。

 

「シイナ」

 

俺は小声で呼びかけた。彼女が顔を上げる。青緑色の瞳が、不安と決意の色で揺れている。

 

「あいつの懐に飛び込むぞ。針は研げたな?」

 

シイナは、一瞬だけ左手を見て、それから俺を真っ直ぐに見返した。

 

「…うん。やるよ」

 

強い言葉だった。二ヶ月前の、ただ守られるだけだった少女の声じゃない。

 

俺は腰のネオディケイドライバーに手をかけた。冷たい金属の感触が、火照った指先を冷静にしてくれる。

 

「よし。なら、行くぞ」

 

湖面の気泡が、いっそう激しく沸き上がった。始まる。

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