悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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石と唐揚げの天秤

街灯が瞬き、遅れて看板が小さく鳴った。砕けた路面の砂利が転がる音が、ようやく世界に戻ってくる。粉塵はまだ宙に残り、焦げた匂いと湿った夜気が混ざって喉に貼り付いた。白金の装甲――ケルビムはその中心に立ったまま、呼吸だけを整えていた。背中の翼を模したユニットは微かに震え、マンモスの重さとライオンの熱が抜けきらず、グリフォンの爪の感触だけが指先の奥に残る。

 

倒れている六道は、口元の笑みだけを残して気絶していた。あの「無限」とやらの薄い膜はもう見えない。代わりに、空間に走った一本の“線”だけが、デルタの目の裏で繰り返し点滅する。説明できない。再現もできない。だから気持ち悪い。なのにデルタは、それを表に出さない。出した瞬間、何かが揺れる気がして――本能が、黙れと命じていた。

 

デルタは六道の頭の横に落ちていた碧い宝石――ジェルシードを拾い上げた。街灯を吸い込むみたいに澄んだ色で、見た目だけなら綺麗な石だ。デルタは首を傾げる。匂いはしない。熱くもない。噛めそうにもない。戦いの役にも立たない。つまり、よくわからない石。よくわからないものは、面倒。ボスに渡す? でも今ここにはいない。だったら――いらない。デルタの中で結論が丸まって落ちる。

 

遠くで足音が一つ、慎重に近づいてくる。デルタの姿勢が、獣のそれに変わった。重心が低くなり、翼のユニットが小さく鳴る。近づいてきたのは小柄な少女だった。怯えていないわけじゃない。けれど逃げる気配もない。目的がある歩き方だ。

 

「……あなた」

 

「なに?」

 

デルタの声は短い。威圧は装甲が勝手にやっているのに、中身は拍子抜けするほど素っ気ない。

 

「その石を……私に渡してほしいの」

 

デルタはジェルシードを見下ろし、それから少女を見た。視線が石に縫い付けられている。欲しい。隠していない。デルタは眉を動かしただけで、答えを出す。

 

「いいよ。石、いらない」

 

フェイトは一瞬だけ目を瞬かせた。説得が必要だと思っていたのか、肩の緊張が僅かに解ける。それでも油断はしないまま、手を伸ばす前に確かめる。

 

「……本当に? 危険かもしれないのに」

 

「デルタ、知らない。だからいらない。めんどい」

 

理屈というより、子供の判断だ。フェイトはそのまま受け止め、言葉の方向を変えた。危険性を語って刺激するより、今の「不要」に乗った方が早い。そういう冷静さが、少女の目に宿っている。

 

「……ありがとう。代わりに、これ」

 

フェイトが差し出したのは小さな袋だった。揚げ油と香辛料の匂いが、粉塵の焦げ臭さを押しのけて鼻を刺す。

 

デルタの顔が、ほんの一瞬で変わった。目が袋に吸い寄せられ、鼻がひくひくと動く。白金の天使装甲のまま、獣の反応を隠せない。翼のユニットが、がちゃりと鳴った。

 

「……それ、なに」

 

「唐揚げ。さっき落ちてしまったみたいだったから。新しいの」

 

デルタはジェルシードを握った手を、無意味に握り直した。いらない石。いい匂いの袋。価値の天秤は最初から決まっている。決まっているのに、いま反応した自分が悔しくて、デルタはわざとそっぽを向いた。

 

「べつに、デルタ、おなか、すいてない」

 

「……でも、あなたはさっき戦っていた。体力を使う。食べた方がいい」

 

デルタはフェイトを睨む。睨むのに、視線は袋へ戻りそうになる。子供っぽい葛藤が、そのまま表に出た。

 

「……取引?」

 

「ええ。取引でいい」

 

デルタの中で、単純な算数が始まる。石=わからない。唐揚げ=わかる。わかる方が強い。わからないのはボスに投げればいい。でもボスがいないなら、いま手放すのが一番楽。デルタは即決した。

 

「石、やる。唐揚げ、くれ」

 

フェイトは小さく頷き、袋を差し出す手を動かさず待つ。デルタが乱暴に投げる可能性まで読んでいる。デルタは一瞬だけフェイトの慎重さに気づき、鼻で笑った。

 

「おまえ、石、こわいの?」

 

「……慎重にしたいだけ」

 

「へー」

 

デルタはジェルシードを軽く放った。投げるほど乱暴じゃないが、丁寧でもない。フェイトは即座に両手で受け止め、布を取り出して包み、距離を取る。その手つきの速さは、慣れというより、危険に慣れさせられた人間の所作だった。

 

デルタは唐揚げ袋を掴んだ瞬間だけ、露骨に機嫌が良くなる。装甲の威圧と中身の喜びが噛み合わず、変な空気が生まれた。デルタはそれをごまかすために、わざと偉そうに顎を上げた。

 

「デルタ、得した」

 

「……そうね。あなたが得した」

 

フェイトがあっさり肯定するので、デルタはむしろ拍子抜けして黙った。勝ち負けを争っていない。目的を達しただけ。そういう大人の割り切りが、デルタはあまり好きじゃない。

 

デルタの視線が、気絶した六道に落ちる。さっきの獰猛さが戻った。ここで折れば、面倒が減る。デルタの足が一歩、六道へ向く。爪が鳴り、マンモス装甲が地面を軋ませた。

 

フェイトが、静かに一歩前へ出た。止めるための手は出さない。けれど立ち位置だけで「これ以上やると街が壊れる」と言っている。デルタは舌打ちし、足を止めた。胸の奥に、ボスの声が短く刺さる。余計な被害を出すな。必要なだけで終わらせろ。腹立たしいほど正しい。

 

「……今日は、終わり」

 

「ありがとう」

 

「勘違いするな。デルタ、唐揚げのため」

 

フェイトは小さく息を吐いた。安堵を見せないようにしながら、それでもほんの僅かに肩の力が抜ける。その変化をデルタは見逃さない。弱い。だけど、逃げない。変なやつだ。

 

デルタは唐揚げを一つ口へ放り込み、噛みしめた。油と塩気が広がる。胸の奥のざわつきが、一瞬だけ静まる。――あの“線”の感触が、舌の上の熱に押し流される気がしたのに、指先の奥ではまだ残っている。

 

フェイトはジェルシードを抱えるようにして距離を取り、夜の端へ下がっていく。去り際に一度だけデルタを振り返った。言いたいことがある顔だ。でも言わない。言えば面倒が増えると分かっているからだ。

 

デルタは唐揚げ袋を握りしめ、わざと乱暴に匂いを吸い込んだ。石はもうどうでもいい。だけど、どうでもいいはずなのに――あの切れた感触だけが、まだ気持ち悪い。

 

「……ボス、あとで、知らないって言う」

 

誰にでもなく呟き、デルタは六道を最後に見下ろす。最強の顔で倒れているのが滑稽で、少しだけ気が晴れた。笑いと余韻が同居したまま、夜はまだ終わらない。

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