俺は縁側に腰を下ろし、温くなった茶を啜った。
庭先では、二つの影が向き合っている。
片方は右手を包帯で巻かれた獣人の少女。もう片方は左手のリングを握りしめた島のハンター。どちらも今のところ本調子じゃないが、だからこそちょうどいい。
「いいかシイナ。デルタは手加減ができない奴だ。だからお前が火力を調整して制御するんだ。向こうが来る前に、お前が止めろ」
「えっ、あたしが制御するの?」
「あたりまえだ。お前が炎を散らかすと俺の家が燃える」
「燃やさないよ!」
「以前俺の旗を燃やしたのは誰だ」
「あれは不可抗力……」
「言い訳はいい。始めろ」
シイナは左手を掲げ、指先に小さな火球を灯した。橙色の光が夕暮れの庭を柔らかく照らす。サイズは野球球ほど。だが熱量はまだ荒い。火球の輪郭がぶれ、周囲の空気が陽炎のように揺れている。
「デルタ、軽く頼むぞ」
「軽く? ボス、デルタに軽くって無理でしょ」
「無理でもやれ。お前の爪が治るまではこれしかない」
「うーん……じゃあ、デルタ行くよ!」
叫ぶやいなやデルタが地面を蹴った。
速い。右手が使えなくても獣人の脚力は常人の比じゃない。三歩で距離を詰め左手を振りかぶる。手加減などという言葉は存在しないみたいな全力の一撃だ。
「ちょっと待っ――」
シイナが反応した。火球を前方へ押し出す。炎が展開し、デルタの左手を受け止めた。だが熱量が強すぎた。デルタの前髪が焦げる。
「あつっ! シイナ強すぎ!」
「ごめん! 加減わかんない!」
「わかんないってデルタに向かって言うな!」
二人が同時に叫んで離れる。シイナは左手を振って熱を散らし、デルタは焦げた前髪を右手で確認する。包帯がずれたが気にしてない。
「もう一回」
「うん、もう一回」
二度目はシイナが先に火球を作った。今度は小さくした。リンゴほど。凝縮。針で突いた時の技術を応用している。だが今度は逆に弱すぎた。デルタの手が炎を突き抜けてシイナの肩に届きそうになる。
「あ、ごめん」
「ごめんじゃなくて当ててよ」
「当てたら火傷するでしょ」
「火傷上等」
「いや上等じゃないでしょ」
「上等だし」
「上等じゃないの!」
俺は縁側で茶を啜った。口元が少しだけ緩むのを自覚した。こいつら似た者同士だ。どちらも不器用で、どちらも自分が壊れることより相手が壊れることを気にする。
「三本目」
「三本目、行くよ」
デルタが少し離れた。今度は速度を落とす。歩幅を小さく、近距離で手を出す。軽く当てるつもりだ。だがデルタにとって軽いは普通の人間にとっては全力だ。
シイナは火球の大きさを調整した。リンゴより少し大きく、掌に収まる程度。熱量を保ったまま広げる。広げた分だけ衝撃を分散させる。火傷はしないが、押し返す力はある。
「もらった!」
デルタの左手が火球に触れた。
弾けた炎が二人の間で花火のように散る。デルタの手が止まった。火球は砕けたが衝撃は殺された。シイナの肩には届いていない。
「今の、いい感じじゃない?」
「そう? でも手が熱くなってきた」
「手が熱くなるのはデルタの問題でしょ」
「デルタの問題って何」
「耐熱性が足りない」
「あたしの耐熱性舐めないで」
二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。
昼間の戦闘で砕けた右手はまだ包帯の下で再生中だ。シイナの炎もまだ不安定だ。どちらも万全じゃない。だがこの数分で、二人の間には確実に何かが変わった。
「もう一回」
「うん。今度はデルタが引くから、シイナが当てて」
「えっ、あたしが?」
「さっき火球砕かれたでしょ。今度は崩さないで当ててみな」
「無茶だよデルタ」
「無茶はお互い様でしょ」
デルタが両手を挙げ構えを作った。右手は包帯で固まっているが左手は自由だ。左手一本でシイナの炎を受け止めるつもりだ。
シイナは深呼吸をした。肩が上下する。左手のリングが夕日を浴びて橙色に光る。火球が灯る。今度はもっと安定している。輪郭がぶれない。
「行くよ」
シイナが踏み込んだ。
火球が真っ直ぐに飛ぶ。凝縮された炎は広がらず、一つの塊としてデルタの左手へ向かう。
デルタは受けた。左手の掌で火球を押し返す。熱が伝わる。だが耐える。
「いい感じ!」
「え、本当?」
「うん。でもまだちょっと熱い」
「ごめん」
「謝るな。もっと絞れ」
「絞るって言われても」
「感覚でいいから」
二人は離れて、また向き合う。
俺は茶椀を置いた。中身はとっくに冷めている。構わない。見守るのが悪くない時間だ。
十回目くらいで、シイナの火球はようやく安定した。デルタの手が焦げることはなくなった。代わりにデルタが自分から踏み込む速度が少しずつ上がり始めた。手加減が苦手なのだ。我慢の限界が来たらしい。
「デルタ手加減できてない」
「してるもん」
「してないよ。だんだん速くなってる」
「してるのにシイナが弱いだけ」
「弱くないし」
「じゃあ受けてみな」
「受けるよ」
十一回目。デルタが本気に近い速度で踏み込んだ。シイナは反応したが火球が間に合わない。
「あっ」
デルタの左手がシイナの肩を掴んだ。
だが掴んだだけだ。爪は伸びていない。力も込めていない。ただ手を置いただけ。
「…捕まえた」
デルタがにやりと笑った。犬歯が夕日に光る。
シイナは一瞬だけ目を丸くしてから、呆れたように息を吐いた。
「あたしの負け?」
「負け。でも惜しかったよ」
「ほめ言葉にしては力度が足りない」
「何それ」
二人は向き合ったまま、しばらく笑い合った。庭の夕暮れが、二つの影を柔らかく包んでいた。
俺は立ち上がった。茶椀を手に持ったまま、二人の方へ歩く。
「終わりにするか。日が落ちる」
「あ、ツカサさん。見てた?」
「見てた。十一回目は悪くなかった」
「十回目も褒めてくれないの」
「十回目は火球が歪んでた」
「うぅ」
「でも十一回目は受けた。お前が踏み込む前に炎を送れた。踏み込まれた後に修正できた。成長だ」
シイナは目を丸くしてから、小さく笑った。デルタは胸を張っている。爪の再生はまだ先だが、今の練習が明日の実戦に繋がればいい。
「ボスもやる?」
「俺はパスだ。お前らの相手は夜で十分だ」
「えー」
「えーじゃない。飯にするぞ。腹が減った」
「肉!」
「ツカサさん、あたし今日お米研いでおいたから」
「偉い。じゃあ米を炊け。俺は肉を焼く」
「デルタも手伝う!」
「手は包帯だらけだろ。洗ってから来い」
「はーい」
二人が並んで家の中へ入っていく。包帯を巻かれた右手と、リングを光らせた左手が、並んで揺れる。
俺は縁側に一人残り、最後の夕日を眺めた。