国内で確認されている最後の原種が動いた。
最初の木、次の岩に続く三体目。そいつは海を選んだらしい。
沿岸の街へ向かう国道沿いには避難警報が鳴り響き人の姿はすでにない。海側から押し寄せる湿った風が、生臭さと潮の匂いを泥のように混ぜて運んでくる。空は曇っていた。雨が近い。最悪の条件だ。
「ツカサさん、あれ」
シイナが指を差す。
防波堤の向こうから、そいつは現れた。
頭部は深海魚のように扁平で、半透明の甲殻が露出した内臓を覆っている。背中からは無数の触手が生え節ごとに海水を滴らせていた。四本の脚で陸を踏みしめるたび、地面に水が広がる。体長は堤防の高さを軽く超えている。
水生型。それも、水を操るタイプだ。
俺はライドブッカーを握る手に集中する。触手の動きが、海流に揺れる藻のように優雅に見えるのはあれが先の二体より制御系の攻撃を得意とする証拠だ。油断はできない。
「まずは足元からだ」
俺はカードを抜く。
「変身」
『KAMEN RIDE DECADE!』
マゼンタの装甲が展開する。シイナが左手に炎を灯しなのはとフェイトが結界を敷く。デルタは包帯の取れた右手を鳴らしながら、獣の笑みを浮かべていた。
「行くぞ」
最初に仕掛けたのはシイナだった。
炎の杭が夕暮れの空を割り、原種の甲殻へ突き刺さる。だが甲殻に触れた瞬間、表面の水膜が膨張して炎を押し戻す。蒸気が間近で爆ぜシイナの髪と服を湿らせた。
「蒸発しきれない…!」
俺は砕けるアスファルトを蹴り、左から回り込む。
ライドブッカーの斬撃を触手の一本に叩き込む。感触が濡れた布のようだ。斬れた手応えはあるのに、傷口が水を吸い寄せて塞がっていく。再生力が高い。しかも周囲の湿気を利用している。
「お前の炎じゃ水分量に押し負ける。一旦引け」
俺はシイナの前に出ながら攻撃をライドブッカーの銃形態で散らす。後方では、なのはが結界を二重に張り触手の侵入を防いでいた。フェイトが雷撃を落とす。帯電して水分が蒸発し、原種の動きがほんの一瞬止まる。
「今だ、シイナ!」
「っ…!」
シイナが地を蹴り掌に燃え盛る火球を集める。狙いは胴部。甲殻の継ぎ目。放たれた炎の塊が、這う触手の間を縫って命中する。
だが。
「嘘…!」
原種の中核で炸裂した炎が、白い水柱に包み込まれる。あれは再生じゃない。内部の水分を一気に使って熱を殺しに来ている。内側まで水だ。
シイナが、二歩、後ろへ下がった。
呼吸が荒い。リングの光が不安定に明滅している。
「しーちゃん」
声がした。
シイナじゃない。それなのに、彼女の口が、動いた気がした。
俺は手を止めた。敵を視界に入れたまま、半歩だけ彼女に近づく。
「セツナ…か?」
返事はない。
シイナの瞳の色が、青緑から琥珀色へ変わっていく。左手のリングが回転するように光を強め、腕の周囲に炎の粒を漂わせる。それらは渦を巻き彼女の髪を内側から燃やすように浮かび上がらせる。
「大丈夫。あたしもいるよ。痛くない。怖くないよ」
声が重なっていた。シイナの声にもう一人の声が、ぴたりと寄り添うように。
原種が、触手を伸ばした。
「させるかよ」
俺は舌打ちし、カードをドライバーへ撃ち込む。
『KAMEN RIDE RYUKI!』
赤い龍の騎士がその身に宿る。俺は炎を呼び出すように右腕を引き、龍騎の装甲のまま原種の触手へ組みついた。帯電した水蒸気が敵の間合いを鈍らせる。数秒でいい。あいつが立ち上がるまでの時間を作れれば。
「シイナ、無理に抑えるな。好き勝手に燃えろ。ただし俺と、そこにいる奴らを焼くな。それだけで全部だ」
「ツカサさん、今度は私が――」
「まだだ」
なのはの言葉を遮る。アイツはまだ中にいる。セツナが目を覚ましかけているのに、援護以上を被せて邪魔だけはできない。
「あと五秒、もたせる。その間に自分のタイミングで撃て」
触手が俺の足を絡め取ろうとする。剣で払い間合いを詰める。龍騎の身体能力でも、この触手全部はさばき切れない。いやさばく必要はない。遅らせればいい。
「しーちゃん」
まただ。
重なった声が、風を裂いた。
「一緒に、燃やそう」
その瞬間、シイナの手から溢れた炎が雨上がりの夕焼けみたいに世界を染め上げた。
赤じゃない。橙でもない。白に近い金色が触手を、水を、次の一瞬を包み込む。
「っ!」
俺は反射的に跳んで距離を取った。
原種が、悲鳴を上げた。
水の甲殻が、外からではなく内側から干からびていく。再生のために取り込んだ水が熱で全部、一瞬のうちに空へ消えていく。
体表がひび割れ、触手が丸まり脚が砕け散る。
シイナの長い髪が金色の粉をまき散らすたびに、世界から海の匂いが消えていった。
最後に残った頭部が、白い炎に包まれて黒い粒子になって消える。
静寂。
俺は変身を解除し舗装の上に落ちた水蒸気の粒を踏みながら、シイナの側へ歩いた。
彼女の瞳は、まだ琥珀色だった。声もまだ、どこか幼い響きが混じっていた。
「しーちゃんを、助けてくれてありがとう」
「礼なら、自分に言え。お前たちが自分で決めたことだ」
セツナの、笑ったような気配がした。
その直後、世界のどこかで何かがこちらを見ている気配があった。
ざらついた殺気。一人じゃない。複数だ。
港の方角、廃ビルの影、それに山の方からも。
蔵木製薬。魔人狩り。
どうやら、あの光は遠くにまで届いたらしい。
「ゼータ」
「わかってる。今の気配、七以上はいた。見られてる」
「だろうな。デルタ、シイナから離れるな」
「わかってる。でもボス、デルタも一緒に燃やしていい?」
「ダメだ」
俺は、重たくなった空を仰いだ。雨粒が一つ、頬に落ちた。