作戦室を出る足を止め、俺は腰のカードホルダーに視線を落とした。
指先で一枚ずつカードの端を弾く。マゼンタ色の背表紙が並ぶ。歴代のライダーたち。その力を借りれば、空を飛ぶ魚程度、落とせないことはない。だが、問題は「どう落とすか」だ。
あの雷雲の中へ飛び込んで、尚且つ原種の動きに追随できるか。あいつの飛行速度は、あの魚の泳ぐ速度に比べれば遅いかもしれない。電王なら電撃への耐性はある。だが、耐えることと攻撃することは別だ。あの電撃フィールドの中で有効打を放てるかは未知数だ。龍騎なら空中戦の適性は高い。だが、雷雲という相手のホームグラウンドで戦うには、リスクが大きすぎる。
どれも決定打に欠ける。
単独で近づき、単独で仕留める。それが俺のやり方だが、今回はそれが裏目に出る可能性が高い。あの浮遊器官を正確に破壊し、尚且つ再生を許さないほどのダメージを与えるには、リアルタイムでの照準補正と、敵の動きの予測が必要だ。
「イータ」
俺は振り返らずに呼んだ。コンソールに向かっていた彼女が、指を止めてこちらを見る。
「お前、現地へ来い」
部屋の空気が変わった。ゼータが微かに眉を動かし、シイナが息を呑む。
「現地? あの原種がいるところ?」
「ああ。解析はここまでだが、動いてる相手のデータは動いてる状態じゃないと取れないだろ。お前の目と端末で、あの浮遊器官の正確な位置と、電撃の周期を割り出してくれ。俺とシイナが攻撃するための照準を合わせるんだ」
俺の言葉に、イータは瞬きを一つだけした。眠そうな瞳の奥に、強い光が灯る。
「リアルタイムでの照準補正…。それは、面白いデータが取れるね」
彼女は手元の端末を握りしめた。その指先が、微かに震えているのが見えた。恐怖じゃない。武者震いだ。未知の生物の生態を、生きたまま観察できる。研究者としての好奇心が、彼女を動かしている。
「いいよ。行く。その代わり、解析中は私の指示に従って。タイミングがずれたら、データも命も無駄になるから」
「わかってる。お前の指示がない限り、深追いはしない」
俺は頷いた。これで、攻略の糸口が見えた。俺が前に出て、イータが後ろで支える。役割分担は明確だ。
「ツカサさん…」
シイナが、不安げな声を上げた。
「イータちゃんを連れて行くの? 危ないよ、あそこ…」
彼女の懸念はもっともだ。前線へ出るわけではないとはいえ、戦場へ変わりはない。一歩間違えれば、巻き込まれる。
「大丈夫。イータは前に出ない。俺が守る。お前も守る。だから、お前は炎を届かせることだけを考えろ」
シイナは唇を噛み、それからゆっくりと頷いた。
「…うん。わかった。イータちゃん、よろしくね」
「こちらこそ。シイナの炎のデータも、まだまだ不足してるから。楽しみだね」
イータはそう言って、ふにゃりと笑った。その笑顔は、どこか無邪気で、そしてどこか恐ろしかった。
「よし。編成は決まった。俺とシイナで攻撃、イータがサポート、ゼータは遊撃と逃走経路の確保だ。デルタは…」
俺は少し言葉を切った。
「デルタには悪いが、今回は待機だ。あいつが空を飛べないのはわかりきってる。地上での残留組の警戒に当たらせる」
ゼータが短く頷く。
「了解。デルタには私から伝えておく。怒るだろうけど」
「怒られてもいい。生きてれば謝れる」
俺は再びモニターを見上げた。雲間を泳ぐ巨魚。雷鳴が遠くで響いている気がした。
「準備を整えろ。出撃は夜明け前だ。あいつが一番活発になる時間帯へ合わせる」
空中戦。電撃戦。そして、姉妹の炎。
最後の原種攻略へ向けて、俺たちは動き出した。
窓の外が、変わり始めていた。
作戦室の高い位置にある硝子越しに見える空が、鉛色に染まっていく。雲が渦を巻いている。ただの雨雲じゃない。あの渦の中心に、何かがいる。目で見えなくてもわかる。空気の密度が変わったのだ。湿気が重く、肌にへばりつく。雷鳴が遠くで鳴っている。まだ遠い。だが近づいている。
「来たな」
俺は窓際に立ち、空を見上げた。予測進路通りだ。原種が動き出した。雲の中を泳ぎながら、沿岸部へ向かっている。
「イータ、準備は」
振り返ると、彼女はコンソールの前で膝を折り、抱え込んだ装置の配線を指先で確認していた。携帯用の解析ユニット。いつもの端末より大きいが、背負えば移動できる。耳の先が微かに動いている。集中している時の癖だ。
「最終チェック中。センサーの感度、問題なし。通信回線、問題なし。バッテリー、満タン」
ふにふにした声で淡々と報告しながら、指は止まらない。ケーブルの接続を一本ずつ確かめ、画面の数値を追い、時々鼻を鳴らす。
「イータ、それ肩に食い込むぞ」
「大丈夫。これくらい」
彼女は装置のストラップを肩へ掛け直し立ち上がった。小柄な身体には少し大きい。だがその目は眠たげな半開きのまま、確かに前線へ行く人間の目をしていた。
「現地でデータを取る。リアルタイムで解析する。ツカサとシイナの照準を合わせる。それが私の役割」
「そうだ。無茶はするなと言ったが、お前に限って無茶はしないだろうな」
「ツカサが言う?」
「…俺が言うと説得力がないか」
「ないね」
イータはふにゃりと笑って装置を背負い直した。笑っているが手元は止まらない。空いた片手で端末を操作し、現地の気象データを取り込み始めている。未知の生物を前にする研究者の目だ。好奇心が恐怖を上回っている。それは良いことだ。怖がっていてはデータは取れない。
「ツカサさん」
シイナが作戦室の隅から歩いてきた。散弾銃を背負い、腰にはハンドガン。対物狙撃銃は今回持ってきていない。空中の敵に狙撃銃は意味を成さない。代わりに彼女の武器は、左手だ。
エンゲージリングを見つめている。深呼吸をした。一度、二度。肩が上下し、呼吸が整っていく。瞳の奥に青緑色の光が揺れている。不安はある。だがそれ以上に覚悟があった。
「あたしの炎、空まで届くかどうかわかんない。でもやるよ。やるしかないでしょ」
「ああ。届かなければ届くまで撃て。俺が道を開ける」
「ツカサさん、また無茶して」
「無茶はしてない。最短距離を行くだけだ」
「それを無茶って言うんだよ」
シイナは呆れたように笑った。だが笑った後、左手を握りしめ前を見据えた。青緑色の瞳が窓の外、渦巻く雲を捉える。
「セツナ、一緒に行こう。空の魚を焼くぞ」
リングがかすかに光った。セツナの応答があるのかないのか、俺にはわからない。だがシイナの表情が少しだけ引き締まった。応答はあったのだろう。
「ゼータ」
俺は壁にもたれて目を閉じていた相棒を呼んだ。金色の尾がぴくりと動く。
「準備は」
「最初からできてる。移動するなら今がいい」
ゼータは壁から背を離し音もなく着地した。装備は最小限だ。彼女の武器は爪と速度と気配を消す技術。それで十分だ。空中戦では遊撃と退路の確保が役割だ。
「よし。行くぞ」
俺は腰のネオディケイドライバーに手を当てた。冷たい金属の感触。指先でバックルの縁をなぞる。カードは全て揃っている。空を飛べるライダー、電撃に耐えられるライダー、空中で戦えるライダー。どれを選ぶかは現場で決める。だがどれを選んでも、このバックルが俺を支える。
作戦室を出る。廊下を歩く四人の足音が重なる。俺とシイナの重い足音、ゼータのほぼ無音、イータの装置がかすかに揺れる音。
転送ポートの前で足を止めた。円形の台座が淡く光っている。目的地は沿岸部の高地。原種の予測進路上に設定済みだ。
「気をつけて。はやてが通信で支援してくれる」
通信モニターのはやてが静かに言った。白いコートの襟を直しながら、四人の顔を一人ずつ見ている。
「先生、無茶あかんよ。でも、任せた」
「ああ。任せとけ」
俺は振り返らずに手を挙げた。
「行こう」
台座へ足を踏み入れる。光が四人を包み込む。視界が白に染まり、身体が浮く感覚。次の瞬間、目の前の景色が切り替わる。
高地の崖。風が強い。雲がすぐそこまで迫っていた。雷鳴がさっきより近い。空の色はもはや鉛色ではない。黒に近い。あの黒の奥に、原種がいる。
上空を見上げた。雲の切れ間を、巨大な影が横切った。鱗が光る。ひれが空を裂く。あいつだ。飛行魚型の原種。空の海を支配する王者。
俺はネオディケイドライバーに手をかけた。
「来たか」
風が頬を叩く。冷たい。だが内側は熱い。戦う前の高揚だ。もうすぐ始まる。