玄関で靴紐を締めていると、後ろから衣擦れの音がした。
「ルート設定完了。ポイントは五箇所」
イータが小さな端末を差し出してくる。白衣のポケットから出したそれには海女取島の地図と赤い点がいくつか表示されていた。
「反応の強い順に並べてある。一番近いのは商店街の裏手」
「商店街か。人目が多いな」
俺は端末を受け取り画面を指でなぞった。昨日の研究室での話が頭をよぎる。侵略種と怪人。二つの異なる世界の影が重なる場所。そこに何があるのか。
「行くぞ」
デルタがすでにドアを開けている。尻尾を小刻みに振り外の空気を吸い込んでいた。ゼータは音もなく俺の背後に控えている。
「あれ? みんな出かけるの?」
リビングからシイナが出てきた。エプロンを外しながら不思議そうにこちらを見ている。
「ああ。近くで侵略種の痕跡が見つかったらしい。ちょっと確認してくる」
俺は何食わぬ顔で嘘をついた。完全な嘘じゃない。痕跡を見に行くのは事実だ。ただそれが何の痕跡かは言わないだけだ。
「そっか。気をつけてね」
シイナはあっさりと頷いた。彼女もハンターだ。こういう依頼や報告があるのは日常茶飯事なんだろう。
「あたしは今日はセツナと家にいるよ。この前ので少しセツナも怖がってるからさ」
シイナの視線が一瞬だけ奥の部屋へ向く。セツナのことか。あの夜のことが影を落としているのは間違いない。
「任せた。夕飯までには戻る」
「うん。気をつけてー!」
シイナの手を振る声を背に受け俺たちは外へ出た。
街への道中は静かだった。補強された家々と避難経路の標識が並ぶ風景は相変わらずだ。平和なふりをした街。そのふりの下に潜む違和感を探す。
「ツカサあっち」
デルタが鼻をひくつかせて路地裏を指差す。
「匂いする。嫌な匂い」
「イータのマップとも一致してるね」
ゼータが周囲を警戒しながらつぶやく。
商店街の裏手。人通りの少ない細い路地。壁にはスプレーの落書きと避難誘導のステッカーが混在している。
俺は端末を確認した。赤い点が点滅している。ここだ。
「イータ聞こえるか」
『感度良好。周辺の魔力反応に異常なし……と言いたいところだけど微細な歪みあり』
通信からイータの声が流れる。
「歪み?」
『残留思念みたいなもの。誰かがここで強い感情を吐き出した痕跡』
俺はライドブッカーに手をかけた。
通りすがりの仮面ライダーの仕事は世界を救うことじゃないただ通り道にあるものを片づけるだけだ。
だが今回は少しだけ勝手が違うらしい。
「探すぞ。この街に潜んでる影を」
夕暮れの路地裏は、影が濃くなり始めていた。
建物の隙間から差し込む夕日のオレンジ色が、濡れたアスファルトに不規則な模様を作っている。その模様の先、狭い通りの奥に数人の人影が見えた。イータの端末が示していた反応の中心は、そこだ。
俺は壁の陰に身を潛め、ネオディケイドライバーに手をかけたまま様子を伺う。
「……」
徳爾塔が喉の奥で低く唸った。耳が平らになり、背中の毛が逆立っている。敵意を感じ取っているのか。それとも、人間じゃないものの気配か。
ゼータは無言で俺の背後へ回り込んだ。足音はしない。ただ気配だけが、俺の背中に張り付く。暗がりに溶け込む猫のように、いつでも飛び出せる体勢だ。
路地の真ん中に立つ人影は、三つ。いや、四つか。男女の区別はつきにくい。重たい外套のようなもので身を包んでいるせいか、輪郭がぼやけて見える。
彼らは会話をしていなかった。
ただ、黙って同じ方向――路地の奥、廃ビルの入り口の方角を向いて立ち尽くしている。まるで待っているかのように。あるいは、何かに呼び寄せられているかのように。
人間なら、この沈黙は不自然だ。少なくとも、一人くらいは手持ち無沙汰に足を踏み鳴らしたり、携帯をいじったりするものだ。だが、彼らはピクリとも動かない。呼吸の起伏さえ見て取れない。まるで精巧に作られた彫像のように、そこに在るだけだ。
デルタの唸り声が少し大きくなる。尻尾が低い位置で揺れている。飛びかかる直前の獣の姿だ。
「待て」
俺は小声で制した。まだだ。こっちに気づいていない。
彼らの纏う空気は、間違いなく異質だ。侵略種の野性味とは違う。もっと粘着質で、ねっとりとした……「魔人」と呼ぶにふさわしい気配。イータの解析データが頭をよぎる。侵略種の因子を利用して人体を怪人へ近づける。魔人はただの変異体じゃなくて怪人としての性質を持つ。
目の前の連中は、その魔人か。それとも、魔人になりかけの人間か。答えは出ない。だが、少なくとも一般人の散歩ではない。
俺はライドブッカーのグリップを握りしめた。いつでもカードを装填できるように。彼らがこちらに振り向いた時、どう動くか。それ次第だ。
だが、一つだけ確かなことがある。
あれは、放っておいて良い相手じゃない。