夕暮れの光が路地裏から消えかけていた。
壁の陰から覗く限り、人影たちに変化はなかった。同じ方向を向き、同じ姿勢で立ち尽くしたまま。呼吸の起伏すらない。人間ならあり得ない沈黙だった。
「イータ、反応は?」
「変動なし……いや、待って。波形が揺れてる」
通信の向こうでイータの指が止まった音がした。端末の画面を見なくてもわかる。あいつが指を止める時は、何かを見つけた直後だ。
「揺れてるって?」
「さっきまで静止してた波が、三つの塊になって動き出した。間隔が狭まってる」
間隔が狭まる。つまり、反応の源が活性化している。
俺は壁の曲面に背を預けたまま、ネオディケイドライバーのバックルに指をかけた。カードはまだ装填していない。だが、いつでも装填できる位置に手がある。それだけで頭の切り替えが変わる。
デルタが喉の奥で唸った。低い音だ。威嚇ではない。もっと原始的な、警戒の声。耳が平らに倒れ、背中の毛が服の上からでもわかるほど逆立っている。あいつの鼻が何かを捉えたのだろう。俺の目ではまだ見えないものを。
ゼータが無言で俺の背後へ密着した。気配が消えている。暗がりに溶け込んだ猫のように、いつでも飛び出せる体勢のまま動かない。ただ、袖口から爪がわずかに覗いているのだけが見えた。
路地の奥で、何かが変わった。
最初は輪郭だった。立ち尽くしていた人影の境界線が、ふやけるように滲み始める。衣服の皺が消え、その下から別の質感の何かが押し出されてくる。布地が裂ける音ではない。もっと重い、金属が関節の間で軋むような音。
一人目の頭部が変わり始めた。人の頭の形が崩れ、暗緑色の塊が隆起する。表面に円筒形の窪みが等間隔に並び、それがゆっくりと回転を始めた。弾倉だ。リボルバーの回転弾倉をそのまま頭部に埋め込んだような形状。回転音が路地に低く響く。両腕の輪郭が膨らみ、左腕の先が銃口の形へと変形していく。胴体には弾倉をたすき掛けにしたような装飾が浮き上がり、ガンベルトが腕に巻きつく。
二人目は、より静かに変わった。メタリックブルーの装甲が身体を覆い、銀と黒のラインが走る。顔の位置に単眼の照準器が嵌まり込み、赤い光が一点で点滅した。右腕が長い銃身と一体化し、ライフルの形へ伸びきる。動きがない。変身完了と同時にすでに狙撃体勢に入っている。
三人目は、単純に大きくなった。大柄で重厚な体躯が路地の幅を狭めるほどに膨れ上がる。全身にロケット砲の筒とガトリングガンの銃身が埋め込まれ、右腕の万能重火器が展開して銃口を前に向ける。軍隊の指揮官を模したような威圧感が、物理的に空間を押し迫ってくる。
三体の変身に、言葉はなかった。
叫び声もない。名乗りもない。ただ骨が軋み、金属が接合し、弾倉が回転する音だけが路地に充満した。変身というより、変貌。人間の皮を脱ぎ捨てて、下にあった本来の姿を現しただけのような。
俺は壁の陰で息を止めた。
三体の怪人が、同時に顔を上げた。
暗緑色の弾倉の頭部。メタリックブルーの単眼。重厚な軍装の顔。それぞれの視線が、異なる方向から同じ一点へ収束していく。
俺たちの潛伏位置だ。
気づかれていた。いや、最初からわかっていたのかもしれない。人間のふりをしながら、じっとこちらを観察していたのか。それとも、変身に伴う知覚の変化で位置を特定したのか。どちらにせよ、もう隠れていた意味はない。
ガンナイトメアの左腕銃口が、暗がりの中で俺の方へ向いた。トリガー・ドーパントの単眼の赤い光が、デルタの位置で固定される。リボルバグスターのガトリングが、低い回転音を上げ始めた。
三つの銃口が、三つの方向から俺たちを捉えていた。
「イータ」
「聞こえてる。反応、最大値」
通信の向こうで、イータの息が止まった。
俺はライドブッカーのグリップを握った。
最初に動いたのは、ガンナイトメアだった。
暗緑色の左腕が跳ね上がる。銃口から飛び出したのは弾丸じゃない。黒いチェーンだった。鎖の表面には細かい棘が並び、回転しながら空中で鞭のようにしなる。狙ったのは俺じゃない。デルタだ。
「デルタ!」
声が出るより早く、チェーンがデルタの右足に絡みついた。金属の棘が戦闘衣の表面をひっかき、脚関節を締め上げる。デルタが体勢を崩しかけた瞬間、二本目のチェーンが左腕を射出し、今度は右腕ごと胴体を縛りに来た。
デルタは咄嗟に後ろへ跳んだ。だが右足のチェーンが引っ張る。着地が鈍る。その一瞬の隙を、三体は見逃さなかった。
リボルバグスターの右肩が展開した。ガトリングガンの銃身が六連の筒へ回転を始める。低い唸り音が路地の壁を震わせ、次の瞬間、弾幕が壁と地面を削り始めた。退路だ。俺たちが入ってきた路地の入り口へ向けて、正確に弾幕を叩きつけている。アスファルトが砕け、コンクリートの壁が粉を噴く。走って抜けられる間隔じゃない。
「退路が――」
ゼータの声が、爆音にかき消された。
リボルバグスターの左肩からロケット弾が放たれた。発射音は一瞬。着弾は次の瞬間。俺たちの左側、路地の分岐点が爆発に呑み込まれた。アスファルトが弾け飛び、塵と火煙が視界を奪う。熱風が頬を叩く。もう一つの退路も消えた。
三方向の逃げ道のうち二つが、数秒で封鎖された。
残るは一つ。路地の奥、行き止まりの方角だけ。
だがそこへ行けば、囲まれる。三体が望んでいるのはそれだ。壁で囲まれた空間に追い込んで、動ける場所をなくす。狩るための檻を作っている。
「ツカサ、右腕」
ゼータの声が低く、鋭かった。
火煙の隙間から、青い光が見えた。トリガー・ドーパントの単眼だ。赤い照準光が煙を透過して、一直線にこちらへ伸びている。狙っているのは俺の右腕。ライドブッカーを握っている腕。
回避する間がなかった。
青いエネルギー弾が、ライドブッカーのグリップと俺の手首の間に着弾した。衝撃が指を伝って腕へ走る。グリップが滑りそうになる。だが离してはいけない。指に力を込めて握り直す。関節が痛い。着弾の精度が異常に高い。俺の腕の可動域を計算して、武器を保持できる限界の位置を正確に突いてきた。
こいつは、殺しに来ているんじゃない。動けなくしに来ている。
「反応が強すぎる。密集してる」
イータの通信から、焦りの混じった声が流れた。端末を叩く音が速い。普段の冷静さが崩れかけている。
「三体の波形成分が重なり合ってる。距離を取って。離れないと――」
離れられない。
俺はデルタの前に出た。チェーンに拘束された右足と右腕では、まともに動けない。だがデルタはまだ意識がある。歯を食いしばってチェーンを引っ張っている。鎖が食い込む音が聞こえる。だが切れない。あのチェーンは並の金属じゃない。
リボルバグスターが、再びガトリングを回転させ始めた。今度は俺たちの目の前の地面へ。弾丸がアスファルトを縦横に削り、足場そのものを破壊していく。立っていられる場所が、一メートルごとに狭くなる。
俺は壁を背にした。これ以上後ろへは下がれない。後ろは行き止まりの壁だ。左も右も爆発で塞がっている。前には三体の怪人。
ゼータが俺の背中に寄り添った。円形陣。壁を背にして、互いの背中を預け、全方向を警戒する体勢。だが警戒できる方向があっても、逃げる方向がない。
三体の怪人が、一歩ずつ近づいてきた。
会話はない。視線だけで連携が変わるのを見た。ガンナイトメアの単眼がデルタから俺へ移る。同時にリボルバグスターのガトリングが俺たちの足元から左右の壁へ対象を変える。退路を完全に塞ぐための最終封鎖だ。そしてトリガー・ドーパントの照準光が、俺の左膝へ移動した。動けなくするための、次の着弾点。
連携だ。三体が会話なしで、視線と照準の移動だけで完璧に役割を分担している。ガンナイトメアが拘束し、リボルバグスターが制圧し、トリガー・ドーパントが精密射撃で仕留める。一糸乱れぬ隊列。まるで最初からこういう場面を想定して訓練してきたような。
「イータ、こっちは袋小路だ」
「知ってる。ルート検索してる。でも全部封鎖されてる。残ってるのは正面だけ」
正面。つまり三体の怪人が立っている方向だけが、唯一の空間だ。だがそこへ飛び込めば、集中砲火を浴びる。自ら火の中へ飛び込むのと同じだ。
ガンナイトメアのチェーンが、さらに一本デルタへ向かって伸びた。今度は左足だ。残された自由な脚を封じに来た。リボルバグスターのロケット砲が、行き止まりの壁の上部を撃ち抜いた。崩れた壁片が頭上から降ってくる。上も塞がれた。
残された空間は、三メートル四方にも満たない。
三体の銃口が、この狭い空間の中心へ向いていた。