市街地の映像が、画面いっぱいに広がっていた。
端末に投影された監視カメラの映像は、どこか作り物めいて見えた。人がいたはずの商店街のアーケードが、屋根ごとねじ切られている。アスファルトに亀裂が走り、 車が一台、まるで玩具のようにひっくり返っていた。
その中央に、そいつは立っていた。
緑色だ。全身が、苔の生えた岩のような暗緑色に覆われている。人型に近い、というのが最初の印象だった。左右二本の腕。直立した体格。だが、人間ではない。あまりにも大きい。アーケードの看板が腰のあたりまでしか届かない。四階建てのビルと並べば、屋上を覗き込めるほどの体格だ。
そして、顔がない。
目にあたる器官が確認できない。鼻も口もない。滑らかな、流線型をした頭部が、首の上に乗っているだけだ。エイリアン映画で見た異星人の頭蓋骨に近い。表情が読めない。どこを見ているのか、何を考えているのか、怒っているのか、ただそこにいるだけなのか。
何もかもが、わからない。
「被害状況は?」
俺は画面から目を離さずに訊いた。
「現在確認できてるのは、負傷者七名。重傷なし。全員、避難遅れで瓦礫に巻き込まれた一般市民や」
声は、俺の右斜め後ろから来た。
八神はやて。国連調査機関EXCEEDSの総督。小柄な体躯に、この組織を束ねている立場の人間にしては若すぎる顔立ち。だが、その声には迷いがない。状況を把握し、判断を下すことに慣れた人間の声だった。
「避難警報が出たのが十七分前。出現時刻はその四分前。つまり、四分間、あいつは無防備な市街地にいたことになる」
「四分でこれか」
画面の中の商店街を、カメラがゆっくりとパンする。崩れた壁、引きちぎられた電線、道路に突き刺さった何かの爪痕。四足獣型の侵略種とは違う。こいつは、走り回って暴れたわけじゃない。ただ立って、腕を振るった。それだけの一動作で、通りが半分消えた。
「逃げた住民がいたから、被害が七名で済んでる。訓練されてるな、ここの住民は」
「瑞穂全域で侵略種避難訓練が義務化されとるからね。年四回。子どもも含めて全住民が受講してる」
はやてが淡々と数字を並べる。七名の負傷、四分の空白、年四回の訓練。どれも彼女にとってはすでに整理された情報なのだろう。俺の背後で、パタン、と書類を閉じる音がした。
「問題は、こいつがまだ動いとる、ってことや」
画面の右上に、タイムスタンプが表示されている。ライブ映像だ。緑色の巨大な体は、今も商店街の跡地に立っている。動かない。ただ、ゆっくりと、頭部を回転させているだけだ。まるで、何かを探しているように。
顔がないのに、何を探す。
「ツカサ」
静かな声が、左側から来た。
ゼータがいた。いつの間に部屋に入ってきたのか、気配を消して俺の左斜め後ろに立っている。淡い金色の髪、猫科の獣耳、細めた瞳。画面の光が彼女の横顔を青白く照らしていた。
「動き出してから四分でこれだけの被害。でも、その後三十分以上、ほとんど動いてない。破壊行動の後、活動を停止している」
「わかってる」
「わかってる、なら、気づいてるはずだね。こいつは暴れてるんじゃない。何かをやってるんだ」
俺は画面の緑色の巨体を睨んだまま、顎を少し引いた。
ゼータの言う通りだ。こいつは暴れていない。最初の四分間で通りを薙ぎ払ったのは、動作の結果であって、目的じゃない。その後、三十分以上も動かずに頭を回している。何かを探している。あるいは、何かを待っている。
四足獣型の侵略種とは、根本的に動きが違う。
「今までの侵略種は、出現してすぐに活動範囲を広げる個体がほとんどやった。生活圏を奪う、っていう侵略種の基本的な行動パターンに従っとる。でも、こいつは違う。出現して一度だけ大きく動いて、その後、停止した。EXCEEDSの分析班も判断に苦慮しとる状態や」
はやての声が、一オクターブ低くなる。総督として報告を読み上げる声ではなく、自分自身の思考を声に出して確かめている時の声だ。
「現場に近いハンターがいない。瑞穂の離島担当が久瀬シイナ。市街地担当のハンター二名は、最初の四分の段階で現場に向かったんやが、到着前に被害が拡大して、今は待機中。あの体格じゃ、通常装備じゃ太刀打ちできん」
「で、俺に話を持ってきたわけか」
俺は端めていた端末を机に置いた。画面の中の緑色の巨体が、まだ頭をゆっくり回している。右、左。右、左。一定の速度。一定の角度。機械的だ。
「EXCEEDSとしても、こういう個体は初めてや。分類すらできとらん。形状だけ見れば人型に近いが、過去三十年の侵略種記録に、これと一致するデータがない」
「新種、ってことか」
「かもしれん。あるいは、今まで出現してなかった個体が、何らかの理由で姿を見せた、か。どちらにせよ、情報が足りなすぎる」
はやてが、俺の正面に回り込む。視線が合った。小柄な体だが、その目は真正面から俺を見上げてくる。総督の目だ。頼んでいるのではない。判断を待っているのだ。
「ツカサ先生。お願いがある」
「言わなくてもわかってる」
俺は画面を指した。
「こいつが何をしてるのか、まだ読み切れてない。動かない、ってのは観測できる事実だ。だが、動かない理由はまだわからん。探してるのか、待ってるのか、あるいは、もう目的を終えて休んでるだけなのか」
「やっぱり、そこに行き着くか」
はやてが小さく頷く。
「せや。動かない理由。それが一番怖いんや。動いとる敵は、動きを見れば対処できる。でも、動かない敵は、何を仕掛けるかわかららん。待機中のハンターにも動けんし、住民の避難は完了したけど、いつまで避難所に閉じ込めとくわけにもいかん」
「三十三分」
ゼータが、正確な数字を口にした。
「出現から三十三分。まだ何もしていない。でも、次に動くとしたら、最初の四分よりも長い時間動く可能性がある。停止しているのは、次の行動のための準備だと仮定すべきだね」
「仮定、か」
俺は椅子に深く寄りかかった。天井を見る。螢光灯の光が白く滲んでいる。この部屋は、光写真館の離れにある仮設の拠点だ。はやてがEXCEEDSの資料を持ってきた時点で、面倒事の匂いはしていた。だが、画面の中のあいつは、面倒事の次元をもう一つ超えている。
顔がない。
目がない。
あいつは何を見ている。
「……一つ、確認させてくれ」
俺は視線を天井から画面に戻した。
「こいつの周囲に、他の侵略種の反応はあるか」
はやての表情が一瞬、固まった。
ゼータの瞳が、細くなった。
「なんで、そう訊くんや?」
「あいつは何かを探してる。顔がない、目がない。だが、頭を回している。視覚じゃなくて、別の何かで周囲を探知してる可能性がある。探しているものが他の侵略種だとしたら、こいつは単独じゃない」
部屋が、一瞬だけ静かになった。
はやてが手元の端末を操作する。EXCEEDSのデータベースにアクセスしているのだろう。指先が画面の上を速く滑る。
「……現時点で、あの個体の半径五百メートル以内に、他の侵略種の反応は確認されてない。分析班の報告にも、複数個体の同時出現を示すデータはない、と」
「現時点で、だろ」
「ツカサ」
ゼータが、静かに俺の名前を呼んだ。
「君は、何か見てるんだね」
俺は答えなかった。見ているわけじゃない。見えていないから訊いている。だが、見えていないことが、逆に答えになる時がある。目のない敵が何かを探している。その探しているものが何なのかわからない。だが、わからないこと自体が、この敵の性質を示している。
今までの侵略種は、わかりやすかった。生活圏を奪う生物。出現して、広がって、駆除する。手順がある。三十年かけて人類が作り上げた手順だ。だが、こいつはその手順に乗らない。出現して、一度だけ動いて、止まった。何かをしている。何かを待っている。
こいつは、侵略種なのか。
その問いが、喉元まで出かけて、俺は飲み込んだ。まだ早い。情報が足りない。はやての前で根拠のない推測を口にするのは、総督に対して失礼というものだ。それに、俺の勘が外れたことも、これまでに何度かある。
だが、勘が当たったことの方が、圧倒的に多い。
「はやて」
俺は立ち上がった。椅子が床を擦る音が、静かな部屋に響く。
「現場に行く。あいつが何をしてるのか、俺の目で見る」
「待ってや。まだ分析班の報告が——」
「報告を待ってる間に、あいつが動いたらどうする。三十三分動かないで、次に動いた時、最初の四分の何倍の被害が出るか、お前の方がよくわかってるだろ」
はやての口が、一度開いて、閉じた。そして、小さく息を吐く。
「……ほんまに、先生は変わらんね」
「変わる必要がないだけだ」
俺はライドブッカーを腰のホルダーに差し直した。カードの束が、革のポケットの中でささやかに音を立てる。ネオディケイドライバーの重みが、腰にある。いつもの重さだ。
「ゼータ、お前は——」
「行くよ」
俺が言い終わる前に、ゼータが答えた。猫耳が、わずかに前に傾く。戦闘態勢に入る時の動きだ。
「デルタには私が連絡する。外周を警戒してるはずだから、回収に三分はかかるね」
「二分で済ませろ」
「無理だよ。あの子が走ってる方向を、私が知らない」
「……鼻で探せ」
「ツカサ、私は猫科だよ。犬じゃない」
「わかってる。冗談だ」
「……嘘だね。全然冗談に聞こえない」
ゼータの瞳が、一瞬だけ細くなった。呆れている。だが、その口元がわずかに緩んでいるのを、俺は見逃さなかった。
はやてが、端末を閉じる。
「ツカサ先生。一つだけ、約束してほしいことがある」
「言え」
「あの個体を倒せると分かったら、戦ってくれて構わん。でも、倒せるかどうか分からない状態なら、絶対に深入りしないでほしいんや。EXCEEDSとしても、正式な駆除指示が出るまでは——」
「はやて」
俺は遮った。
「俺は通りすがりの仮面ライダーだ。お前らの組織に属してるわけじゃない。だが、お前が総督として頼んでくるなら、それに応える。一つだけ約束する。あいつが何者か、何をしてるのか、それを見極めるまでは、無茶はしない」
「……見極めた後は?」
「その時は、俺が決める」
はやては、俺の目を三秒間見つめた。それから、小さく笑った。諦めと信頼が半々くらいに混じった、複雑な笑い方だった。
「ほんまに、変わらん人やな」
「もう一回その台詞を言ったら、写真を撮るぞ」
「やめてや。写真写り悪いの、私もなんやから」
軽口だ。だが、その軽口の下で、はやての指先が端末を強く握りしめているのを、俺は見ていた。総督として、部下の安全と住民の命を背負っている人間の手だ。震えてはいない。だが、力が入りすぎている。
俺は部屋を出た。廊下の空気が、ひんやりとしている。外の空気が、防護シャッターの隙間から漏れ込んでくるのだ。この世界では、どこにいても、外の脅威の気配が隙間から入り込んでくる。
ゼータが、音もなく俺の隣に並んだ。
「ツカサ」
「なんだ」
「あの個体、顔がなかったね」
「ああ」
「目がないのに、何かを探している。それは、視覚以外の感覚で世界を見ている、ってことだよね」
「かもしれない」
「……気味が悪いね」
ゼータがそう言った時、その声に、珍しく感情が滲んでいた。冷静なゼータが「気味が悪い」と言う。それは、この猫科の少女が本能的に警戒している、という意味だ。野生の勘が、何かを訴えている。
俺も、同じものを感じていた。
顔のない敵。目のない探査。動かない巨体。この世界の侵略種とは、何かが決定的に違う。だが、それが何なのか、まだ言葉にできない。