救急車のサイレンが遠ざかるにつれて、路地には“音の穴”みたいな静けさが戻ってきた。規制テープの外側、街灯の下に置かれた紙コップだけが妙に白く、さっきまで誰かの命が運ばれていた現実を、軽い道具で固定しているみたいで腹が立つ。俺はデルタの半歩前に立ち、雑賀蛍の目をまっすぐ捉えた。蛍は銃の輪郭を隠さない。隠す理由がない、という顔だ。
「じゃあ、先生。見せて。君が壊したって言う“似た奴ら”の続きを」
蛍が笑う。笑みは薄いのに、こちらの神経だけを撫でるように鋭い。デルタが俺の横で肩を揺らし、翼ユニットが小さく鳴った。狩りの前の呼吸だ。
「ボス、狩っていいのです?」
「周りに被害出すな。最短で終わらせろ」
「はいなのです!」
返事の瞬間、デルタの視界が一気に狭まる。だが蛍はデルタを見ていない。最初から俺だけを見ている。観測者の目だ。俺が一歩踏み出す、その“前”に、蛍の腕が動いた。撃ったのは銃弾じゃない。射線そのもの――“ここに立てば、こう避ける”という未来を先に置くような撃ち方だった。俺が反射で横へずれた瞬間、弾道がその動きを追いかけるように遅れて曲がり、肩口の布を裂いた。
「……っ」
痛みは浅い。だが気持ち悪い。狙われたのは肉じゃない。行動だ。蛍は楽しげに口角を上げた。
「当たらない? 当然。君は当たらない位置に動く。だから私は“動く位置”に撃つ。簡単でしょ」
俺がライドブッカーを抜く。ガンモードの銃口が光を孕むより先に、蛍はもう次の位置へ跳んでいる。サーヴァントじみた脚力で壁を蹴り、街灯の影から影へ、見えない足場を渡るように移動しながら撃つ。しかも撃つ角度がいやらしい。ディケイドの「距離で武器を変える」定石を知っているから、近づけば近づくほど“近づけない”弾道を用意している。
「ほら、こうするんでしょ? まずは牽制。次に距離を詰める。詰めたら剣。外したら銃。……全部、知ってる」
蛍が言い切った瞬間、デルタが飛び出そうとして、俺の袖を掴んで止まった。俺が首を横に振ったからだ。焦って見える動きをしたら、蛍の“予習”の中に自分から入る。俺の表情は、薄く笑っていた。負けないと確信している笑み――それはデルタが一番信じる顔だった。
蛍は撃ちながらも、言葉を止めない。言葉が強さの証明だと思っているタイプだ。
「勝てないよ。だって君は“知ってる相手”と戦ってる。私は“君を知ってる”。勝負にならない。安心していい、先生。負けるのは恥じゃない。最初から決まってたんだから」
俺は一瞬だけ、呼吸を深くした。自分のままでも押し返せる。だが押し返した瞬間、相手が次の対策を重ねるのが見える。泥試合になる。巻き込む。そういう結末は嫌いだ。俺の脳裏に、別の世界での“弟子”の横顔が浮かぶ。冷たい眼で、熱い怒りを抑え込むように戦った少年――轟焦凍。氷と炎を切り替えるのではなく、切り替えながら“重ねる”ことで相手の理解を壊していく戦い方。
「……読めるなら、読めない戦い方にするだけだ」
俺がネオディケイドライバーにカードを装填する。蛍の笑みが、少しだけ濃くなった。変身を見てから対策すればいい。そう思っている顔だ。
『KAMEN RIDE… WIZARD!』
次の瞬間、俺の周囲に魔法陣めいた光が弾け、剣を握る姿が立ち上がる。炎の気配が走り、蛍は即座に距離を取った。
「ウィザード。うん、知ってる。炎で押すなら避けるだけ」
俺は答えない。フォームのカードが再び滑り込む。
『FORM RIDE… FLAME DRAGON!』
炎が渦を巻き、熱が路地の空気を歪ませる。俺は剣を振らない。まず“面”で押した。熱波で逃げ道を狭め、蛍の跳躍に必要な“壁蹴りの角度”を奪う。蛍は軽い足取りで避けながら、弾道で返す。火花が散り、熱と鉛の匂いが混ざる。
「無駄だよ。熱は予測できる。火は見える」
俺はそこで、もう一枚を叩き込んだ。
『FORM RIDE… WATER DRAGON!』
熱が引く。代わりに水が空気の密度を変え、路面に薄い膜を作る。氷が走る。蛍の足が一瞬だけ滑り、跳ぶはずだった位置が狂う。すぐ立て直す――が、その立て直しの瞬間に、俺はもう次のフォームを重ねている。
『FORM RIDE… FLAME DRAGON!』
炎。蛍が後退する。逃げる方向を読んだ俺が追うのではなく、炎で“そこへ行かせる”。蛍は舌打ちし、射線を変える。俺はその射線を“見せたまま”受け流し、すぐ次へ。
『FORM RIDE… WATER DRAGON!』
水。氷。視界が白く曇る。湯気が立つ。炎と氷の切り替えが速すぎて、路地が季節を失ったみたいにぐちゃぐちゃになる。蛍の顔から、余裕が薄れる。知っているはずのフォーム。知っているはずの相性。なのに、相手は“教科書通り”に使ってこない。
「……待って。フレイムとウォーターは、切り替えればいいだけじゃない。普通は——」
「普通って言葉、好きだな」
俺が初めて、短く言った。蛍が苛立ちを見せた瞬間、俺の切り替えがさらに一段上がる。炎で追い込み、水で足場を殺し、また炎で逃げ道を塞ぐ。蛍は知識で対応しようとするほど、対応の手順が増えて遅れる。俺はその“遅れ”だけを狙っている。
デルタは少し離れた位置で、目を輝かせたまま拳を握っていた。俺が負けないと確信している笑みを浮かべている。焦った様子がない。デルタにとって、それはもう勝利の合図だった。
「ボス、強いのです……」
呟きは風に消える。次の瞬間、俺のフォームチェンジが“切り替え”ではなく“重なり”に変わった。フレイムの赤と、ウォーターの青が、ほんの一拍だけ同じ輪郭に宿る。轟の戦い方――“二つを同時に置く”。炎の圧と氷の拘束が同時に落ちる。熱で逃げようとした瞬間、氷が足を奪い、氷を砕こうとした瞬間、炎が視界を焼く。相反するはずの力が、同時に“逃げる理由”を消した。
蛍の瞳が見開かれる。
「……知らない。そんなの、図鑑にない……!」
俺はその言葉を合図にした。これ以上引き伸ばす必要はない。蛍が立て直す前に終わらせる。ネオディケイドライバーへカードを滑らせる動作が、迷いなく決まる。
『『FINAL ATTACK RIDE… WI… WI… WIZARD!』』
二つの音声が、輪唱みたいに重なって路地を叩く。炎の龍が立ち上がり、水の龍が絡みつく。相反するはずの奔流が、同じ軌道で螺旋を描き、蛍の前に“逃げ道のない円”を作る。熱で息が詰まり、冷気で筋肉が固まる。蛍は銃を構えたまま、最後まで“観測”しようとした顔を崩さない。だが観測は防御じゃない。知識は盾じゃない。俺の剣が振り抜かれると同時に、炎と氷が同時に弾け、遅れて音だけが追いついた。
蛍の身体が吹き飛ぶ。壁に叩きつけられる寸前で衝撃が分散し、路面に滑るように落ちた。湯気が上がり、氷の欠片が雨みたいに散る。蛍は呻き、笑いかけて、結局笑えずに息を吐いた。
「……なるほど。知らない戦い方、ってこういうことか」
俺は変身を解かないまま、ゆっくり歩み寄る。デルタも駆け寄り、勝ち誇った顔で俺の背中を見上げた。
「ボス、勝ったのです!」
「当然だ」
俺の声は淡々としていた。勝った実感より、嫌な確信の方が残っている。蛍が“知っていた”のは事実だ。ライダーの知識も、サーヴァントの力も、そしてこの街で起きる不幸の匂いも。知っていて笑える奴は、どの世界にもいる。俺はその手合いを何度も潰してきた。なのに、まだ湧いてくる。ここがそういう世界なのか、それとも――。
倒れた蛍が、意識の底から言葉を拾うみたいに囁いた。