「ツカサ。次の脈動のあと一秒だけ緩む」
ゼータの言葉が通信から流れた直後、俺の足元のアスファルトが悲鳴を上げた。
地下から突き上がる振動。それに呼応するように目の前の黒い質量が内側から膨張する。受け止めている両腕にかかる圧力が跳ね上がった。マンモスの装甲が軋み、膝下の地面に深い亀裂が走る。
下がれば避難経路だ。まだ救助班の車列が路上にいる。
「っ……!」
歯を食いしばり、踏ん張る。グレインゴッドを相手の肩口に食い込ませて進路を逸らそうとするが、あいつは学習している。体表を泥のように変形させて俺の牙を滑らせ、真正面から押し込んでくる。
地下からの脈動。〇・五秒の遅れ。そして巨大個体の応答。二つの波が重なる瞬間、衝撃が倍増した。俺の巨体が一歩後ろに弾かれる。
視界の端で瓦礫が崩れ落ちた。だが避難者には届かない。デルタが道路脇に立って瓦礫を拳で粉砕しているからだ。あいつに任せるしかない。俺は前だけを見る。
「三秒、押さえて」
ゼータの声が再び響いた。解説はない。理由もない。ただ必要な時間だけを告げる。
「任せた」
俺は短く返した。それだけで十分だ。あいつが勝機を見つけたなら俺はそのための足場になればいい。それが俺の役目だ。
地下からの脈動が来る。来るぞ。
俺は両腕に全力を込めた。二十五トンの腕力。ブレイキングマンモスの全出力を両肩の拘束へ注ぎ込む。動くな。動かすな。
〇・五秒の空白。
来た。
巨大個体の体表が一瞬だけ張力を失った。水風船の表面が揺らぐような頼りない感触。
その一瞬で黒い影が跳んだ。
ゼータだ。音もなく側面から飛び上がり巨大個体の胴体へ着地する。爪を立てて駆け上がる。脈動の合間を縫う獣の動きだ。
肩口へ到達したゼータが右手を振り上げた。短剣が月光を弾く。
緩んだ一点へ突き立てる。
深くはない。だが確実にリズムを断つ一撃だった。
地下からの脈動が続いているのに巨大個体の応答が途切れた。送られてきた信号を処理しきれずにいるような不自然な静止。
そして力が抜けた。
俺に押し付けていた重圧が霧散する。あいつの体躯がぐらりと傾いた。支えを失った巨体が重力に引かれる。
ドォォォォォン……!
大地を揺るがす轟音と共に巨大個体が片膝をついた。
俺は息を吐き出した。装甲の中で汗が背中を伝う。
ゼータが地面へ降り立つ音がした。
同期は乱れた。だがまだ終わっていない。
土煙が夜空へ立ち上った。
片膝をついた巨大個体の質量が地面を叩き、アスファルトが粉砕されて塵となって舞い上がる。月明かりが濁る。だがその向こう、遠ざかった市街地の灯りは無事に残っている。街灯も、避難所の窓も、救助班のランプも。壊れていない。守れた。
俺は巨大個体を見下ろしていた。
片膝をついたあいつの体表面は、さっきまでとは明らかに違う。脈動のリズムが崩れ、波打つ周期が不規則になっている。硬度も落ちているはずだ。ゼータが同期を断ち切ってから、あいつの応答はずれていた。
だが油断はできない。
地下からの振動が、まだ足の裏に届いている。弱い。だが確実に、返ってきている。地下の個体はまだ生きている。そして巨大個体は、今も再共鳴を試みている。体表面が微かに震えるたびに、地下への呼びかけを送っているのがわかる。俺の足の裏で、地下からの応答が届く。弱いが、届いている。
このまま放っておけば、また同期が戻る。
二体を同時に止められるのは、今この瞬間だけだ。
「ツカサ」
ゼータの声が右肩の下から聞こえた。巨大個体の体表面から降りたあいつは、俺の足元に立っていた。息は乱れていない。だが戦闘衣の袖は黒い体液で濡れている。あいつが斬りつけた箇所から滲んだものだろう。
「最後の脈動が来る。地下が打つ。それに合わせてこいつも応答しようとする。そこを断つ」
「わかった」
俺は両腕の感覚を確かめた。ブレイキングマンモスの装甲は軋んでいる。フレームに無理が来ている。だがあと一発。あと一撃分の力は残っている。残していなければならない。
デルタが通りの向こうで瓦礫を退けている。避難経路を塞ぐ最後のコンクリート片を拳で砕く音が届く。あいつもまた、自分の役目を全うしている。
地下からの脈動が来た。
足の裏を通じて伝わる振動。さっきより強い。地下の個体が力を振り絞っている。巨大個体の体表面が波打ち、応答しようとする。再共鳴だ。取り戻そうとしている。あいつの全身が内側から膨らみ、硬度が戻り始める。間に合えば、また元の硬さに戻る。
ゼータが動いた。
巨大個体の体表へ跳び移る。前回と同じ軌道ではない。胴体の別の箇所へ、脈動の合間を縫って駆け上がる。あいつは着地しない。体表を駆けながら、最後の脈動のタイミングを待っている。着地すればそれだけ時間を失う。あいつは秒数を無駄にしない。
地下からの振動が強くなる。巨大個体の体表面が膨らむ。応答の直前。あとコンマ五秒。
ゼータの足が止まった。
体表の一点。脈動の波が内側へ向かって収束する瞬間。表面の張力が一瞬だけ緩む。ゼータの猫の瞳がそれを捉える。
「今」
ゼータの右手が振り下ろされた。短剣が緩んだ一点へ突き立つ。深く。前回よりも深く。刃が体表の下の層まで届く。巨大個体が震えた。地下からの信号が届いていない。応答できない。再共鳴が断たれた。
俺は動いた。
ゼータが作った一秒を無駄にしない。疲労の残る巨体を前に進める。右腕を伸ばし、巨大個体の右肩を掴む。左腕を伸ばし、左肩を掴む。両側から。グレインゴッドを両肩の付け根へ引っかける。深く。今なら食い込む。硬度が落ちている。牙が芯に届く。
そして、北へ。
俺は両腕を引きながら身体を回した。ブレイキングマンモスの全重量を軸にして、巨大個体の体躯を南から北へ振り回す。投げだ。巨体が浮く。地面から足が離れる。質量が空中を弧を描く。
ゼータが離脱した。俺の肩へ着地し、そこから地面へ跳び移る。攻撃直前の離脱。完璧なタイミングだ。
巨大個体が北側の空地中央へ叩きつけられた。地面が揺れる。土煙が再び舞い上がる。だが俺は待たない。
周囲を見る。人影がない。デルタが避難経路を確保済み。ゼータが下がっている。はやての追加部隊はまだ到着していないが、この範囲に民間人はいない。
今だ。
俺は巨大個体の上へ飛び乗った。南側から。衝撃を市街地と反対の北側へ逃がすために、自分の位置を南に置く。巨大個体の体躯の上にブレイキングマンモスの全重量を載せる。
「終わらせる」
ネオディケイドライバーへ最後のカードを装填する。
ブレイキングインパクト。
俺は右足を振り下ろした。
巨大個体の体躯の中心へ。質量を集中させた一撃が、あいつの体表面を突き抜ける。さっきまで硬かった装甲が、同期を失った脆さを晒して砕ける。内側へ。衝撃が内側へ伝播する。地下の個体への呼びかけごと、叩き潰す。
衝撃波が北へ抜けた。市街地とは反対の方向。空地の北側の地面が隆起し、土煙と砂が夜空へ噴き上がる。だが南側には何も飛ばない。建物も、街灯も、避難所の窓も、無事だ。
巨大個体が、動かなくなった。
体表面の波打ちが止まる。脈動が消える。内側から膨らむ力も、押し返す力も、何もかも消えた。黒い体躯がただの質量として地面に横たわっている。瓦礫と変わらない。動かない。脈動しない。
俺は巨大個体の上から降りた。着地の衝撃で地面が揺れる。だがもう、それ以上の振動はない。
地下からの脈動も消えた。
足の裏を確認する。何も届かない。さっきまで三秒ごとに、あるいは不規則に、確実に伝わっていた振動が消えている。地下の個体からの応答が止まった。
ゼータが俺の足元で地面に手を当てていた。猫科の聴覚と触覚で、地下の振動を最後まで確認していたのだ。あいつが顔を上げた。金色の瞳が俺を見る。
「消えた。地下も」
短い。だが十分だ。
「はやて」
『聞こえてる』
「巨大個体、活動停止。地下からの脈動も消えた。ゼータが確認した」
通信の向こうで、はやてが息を止めた音がした。数秒の沈黙。それから、ゆっくりと息を吐く音。
『こちらも確認した。地上の巨大個体の反応、消失。地下の個体の反応も消失。両方とも消えてる』
確定だ。二体とも、止まった。
『ツカサ先生』
「なんだ」
『…お疲れ様』
はやての声が、総督じゃない声に戻った。昔の声。俺に教えを請うた頃の、まっすぐな声。
「ああ」
俺は短く答えた。それ以上の言葉はいらない。
ブレイキングマンモスの装甲が光の粒子となって分解され始める。質量が消え、身体が軽くなる。俺の服に戻る。マンモスの重さが消えた瞬間、膝が揺れた。だが倒れない。倒れるわけにはいかない。
空地の中央に、巨大個体の体躯が横たわっている。動かない黒い質量。月光がその表面を照らしている。もう脈動しない。もう波打たない。
デルタが通りの向こうから走ってきた。瓦礫退けを終えたのだろう。服は煤と土で汚れているが、怪我はない。あいつは巨大個体の残骸の前で足を止め、鼻をひくつかせた。
「匂い、消えてる。完全に死んだ」
死んだのか、機能停止したのか。それはあいつの言葉が正しいのかどうかはわからない。だが動かないことだけは確かだ。
ゼータが俺の隣に立った。音もなく。あいつはいつもそうだ。俺の隣に来る時、音も気配も立てない。だが確かにそこにいる。
「ツカサ。手」
「なんだ」
「見せて」
俺は右手を開いた。マンモスの重量に耐えた掌。震えている。だが握れる。
ゼータは俺の手を一瞥し、何も言わなかった。ただ、自分の袖についた黒い体液を無表情で拭った。
夜風が吹いた。土煙が消え、空地に静寂が戻る。遠くの市街地から、避難解除の警報が鳴り始めた。日常が戻る音だ。
俺はネオディケイドライバーのバックルに手をかけたまま、もう一度巨大個体の残骸を見た。
地下の個体との連動。あの脈動の同期。二体は何だったのか。どこから来て、何のために動いていたのか。
答えはまだ出ない。だが一つだけ確かなことがある。今夜、この街は守られた。六名の避難者が地下から出た。市街地への侵入を防いだ。建物も、避難経路も、無事だ。
それでいい。今はそれでいい。
「帰るぞ」
俺は二人に背を向けた。デルタが尾を振ってついてくる。ゼータは無言で後に続く。
夜の空地に、巨大個体の残骸だけが残された。月光の下で、黒い質量はもう何も脈動していなかった。