救護班の検査が終わった頃には、空地に照明機材が並んでいた。
仮設照明の白い光が、横たわる巨大個体の体表を照らしている。さっきまで夜の闇に溶け込んでいた黒い質量が、人工的な光の下でその質感を露わにしていた。脈動はない。波打ちもない。ただの黒い塊だ。だが、その塊が数十分前まで動いていたことを、俺の身体は覚えている。膝の痛みも、装甲の軋みも、共鳴の衝撃も。
調査班が到着していた。EXCEEDSのマークがついた防護服を着た数人が、巨大個体の体表へ測定器を取り付けている。はしごを使って体表へ登り、粘着性のパッドを表面へ貼り付けていく。小さな電子音が一定の間隔で鳴る。測定器のリズムだ。戦場だった空地は静まり返っているが、その電子音だけが規則的に響いていた。
地下へは探査装置が伸ばされていた。地面に開けた穴からケーブルを降ろし、地下空間の振動を拾うためのセンサーを設置する。その画面には二つの波形が並んで表示されていた。一つは巨大個体の体表から。もう一つは地下の個体から。どちらも平らだ。活動停止後の死んだ波形。だが並べて見ることで、二つがどれほど似ていたかがわかる。
俺は救護車両の担架に腰を下ろしたまま、その様子を見ていた。検査は終わった。異常はないと言われた。嘘だ。内臓はまだ少し揺れている気がする。だが検査の数値には出ない。出ないものは異常じゃない。そういうことにしておく。
「ツカサ、まだ座ってるの?」
デルタが隣に立っていた。検査を終えたあいつは、もう元通りだ。尾を振り、耳を立て、退屈そうに周囲を見回している。あいつにとって戦いの後の静寂は退屈な時間らしい。
「座ってろと言われた」
「誰に」
「はやてに」
「はやてならもう戻っていいって言ってたよ」
通信を見ていたのか。あいつはそういうところに気が回る。俺はため息をつきたかったが、隣に救護班のスタッフがいるのでやめた。
ゼータは少し離れた場所にいた。調査班の作業を見ている。いや、正確には調査班の画面を見ている。あいつはデータに興味はない。だが波形には興味がある。地下で二つの脈動を聞き分けたあいつにとって、あの画面に映る波の形は意味のあるものだろう。
通信からはやての声が入った。
『調査班の中間報告が入った』
「聞く」
『巨大個体と地下個体の組織サンプルを解析した。波形がほぼ一致してる。二体の脈動パターンも構造も同じ系統や。つまり、あの二体は同じ根源から生まれたものやろう』
同じ根源。俺はその言葉を噛んだ。親子か。分身体か。本体と端末か。可能性はいくつもある。だが証拠がない。推測で結論を出すのは早すぎる。
「親子、分身体、本体と端末。可能性はいくつかある。だが今の段階で断定はできない」
『そうやな。だが、少なくともあの二体が強く結びついていたことは確かや。同時に動き出して、同時に止まった。片方を動かせばもう片方が応答した。この事実だけで、相当深い関係や』
深い関係。俺の足の裏で感じた脈動を思い出す。地下が打ち、地上が応える。コンマ五秒の遅れ。一拍の空白。あのリズムは、二体の間の何らかの繋がりが作り出していたものだ。
調査班の報告が続いた。
『もう一つ。最後の脈動について』
「なんだ」
『ブレイキングインパクトを受けた後、巨大個体が最後に発した脈動。あれは攻撃命令やなかった』
俺は眉を寄せた。攻撃命令じゃない。じゃあ何だ。
『地下の個体を呼び戻そうとした信号の可能性が高い。波形解析すると、あの最後の脈動は地下の個体へ向けた呼びかけのパターンと一致してる。巨大個体は最後の瞬間に、地下の個体を自分のところへ戻そうとしたんじゃないか』
呼び戻す。俺の頭の中でその言葉が響いた。
あいつは最後の瞬間に、自分のために動いたんじゃない。地下の個体を呼んでいた。戻ってこいと。俺のところへ戻ってこいと。
誰もすぐには言葉を返さなかった。
通信の向こうで、はやてが沈黙している。調査班のスタッフも手を止めて互いの顔を見ている。救護班のスタッフが測定器を片手に、報告を聞いた表情で立ち尽くしている。
俺は何も言わなかった。言えなかった。あいつを倒したのは俺だ。ブレイキングインパクトで活動を停止させたのも俺だ。それは正しい判断だった。市街地を守るために必要だった。だが、あいつが最後に発した信号が、攻撃ではなく仲間を呼ぶものだったと知ると、何かが胸の奥で引っかかる。
引っかかりは後悔じゃない。後悔はしない。俺は自分の選択を間違いだと思っていない。だが引っかかりはある。
デルタが巨大個体の残骸を見ていた。尾が止まっている。耳も伏せている。あいつは喋らない。めったにないことだ。あいつが黙る時は、何かを感じている時だ。言葉にできない何かを。
ゼータは調査班の画面を見ていた。だが俺の位置から見てもわかる。あいつの右手が自分の左腕を握っている。無意識に。あいつが緊張していないことはわかっている。だがあいつの手は、自分の腕を握っている。地下であいつが斬りつけた箇所。あそこから滲んでいた黒い体液。あいつはそれを拭った。だが手はまだ覚えている。
「…最後の脈動、か」
俺は独り言のように呟いた。
『ツカサ』
はやてが呼んだ。
「なんだ」
『あんたの判断は間違ってないよ。あれは敵やった。倒さなあかんかった。最後の信号が何やったとしても、あれを止めたことは正しい』
「わかってる」
わかっている。だがはやてがわざわざそれを言ったということは、はやても同じ引っかかりを感じているということだ。総督として報告を受け、指揮官として判断を肯定しながらも、最後の信号が呼びかけだったという事実に、何かを感じている。
沈黙が流れた。調査班の電子音だけが一定の間隔で鳴り続けている。
その時だ。
ゼータが動いた。
画面に近づいたわけじゃない。元から画面の前にいた。だがあいつの姿勢が変わった。猫のような瞳が細められ、画面の一角を凝視している。
俺はあいつの視線を追った。調査班の画面には二つの波形が並んでいる。巨大個体と地下個体。どちらも平らだ。だがゼータが見ているのは、その二つだけじゃない。波形の下、画面の端。小さな乱れがあった。一見すればノイズに見える。だがゼータの目はノイズを見ていない。
「拡大して」
ゼータが調査班のスタッフに言った。短く。淡々と。だが譲らない声だ。
スタッフが画面を拡大した。
波形の端に映っていた小さな乱れが、拡大されて形を現す。波だ。微かな、だが確かな波。地上の巨大個体とも地下の個体とも違う。波形の形が違う。だが、よく見ると基本となる周期が同じだ。あの三秒ごとのリズム。俺の足の裏で感じていた、あの脈動と同じ周期。
だが、二つの波形のどちらでもない。第三の波だ。
「いつのものだ」
俺は聞いた。
「今のじゃない。記録の途中。三秒間だけ」
三秒間。記録の途中に、三秒間だけ届いた波。地上と地下のどちらとも異なる波形。だが周期は同じ。
ゼータが画面の端にある時刻表示を見ていた。あいつは数字を読んでいるのではない。波形の形そのものを見ている。猫科の聴覚が、画面上の波を見ただけで音を再現しているのだ。
「この波、どっちから来てる」
俺は尋ねた。ゼータは画面から顔を上げた。金色の瞳が、ある方向を向いた。空地の北。市街地の反対。暗い夜の向こう。
あいつの視線が止まった。瞬きもしない。ただ一点を見つめている。
俺はあいつの視線の先を追った。だが、そこには何もない。夜の闇だけだ。
「…二体だけじゃない」
ゼータが呟いた。
声は静かだった。淡々としていた。いつものゼータの声だ。だが、その声が意味するものは、いつもの報告とは違った。
俺はゼータの横顔を見た。あいつはまだ夜の向こうを見ている。耳が微かに動いている。音を拾っているのだ。もう聞こえていないはずの波を、あいつの耳がまだ探している。
二体だけじゃない。つまり、三体目がいる。どこか遠くに。地上でも地下でもない。別の場所に。俺たちが知らない場所に。
俺はゼータの横に立った。いつの間にか担架から降りていた。膝はまだ少し重い。だが立てる。立っていればいい。
「方角は」
「あっち。北より、少し東」
北東。市街地の反対方向。俺たちが巨大個体を誘導した方向の、さらに先。
「距離はわかるか」
「わからない。遠い。でも、あの波形は確実に同じ系統」
同じ系統。同じ周期。同じ根源。三体目がいる。そしてその三体目は、今夜の戦いの間、ずっとそこにいた。俺たちが二体と戦っている間、三体目は遠くから観測していたのか。それとも、ただ存在していたのか。
「はやて」
『聞こえてる』
通信の向こうで、はやてが息を呑んだ音がした。あいつも聞いていた。ゼータの言葉が。俺の質問が。そして答えが。
『記録の確認を急がせる。第三の波形、全データで検索する』
「頼んだ」
俺は通信を切り、ゼータの隣に立った。夜風が冷たい。さっきまでの戦場だった空地は静まり返っている。照明機材の白い光が巨大個体の残骸を照らし、調査班の電子音が一定の間隔で鳴っている。
だがその静寂の向こうに、もう一つ何かがいる。
二体だけじゃない。