悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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大型組織を扱った痕跡

倉庫の搬入口は、俺の予想よりずっと静かだった。

 

通信越しに届く音がまず風の音だけになる。鉄板が鳴る音が遠ざかり、代わりに建物の中へ吸い込まれていくような、こもった静けさが流れてくる。ゼータとデルタが中へ入ったのだと、音だけで分かった。

 

『入った。天井、高い。梁が錆びてる。床は鉄板とコンクリート』

ゼータの声が淡々と状況を伝える。あいつは報告の時に感情を乗せない。だから逆に、声のトーンが少しでも変われば分かる。今は、変わっていない。まだ何も見つけていない。

 

『広いね。なんか、がらんとしてる』

デルタの声は倉庫の中を歩きながら届く。爪が鉄板を踏む音が一定のリズムで続く。あいつは匂いを探りながら歩いている。歩幅が狭い。索敵の歩き方だ。

 

『警戒部隊、外周確保。異常なし』

別の声が通信に入った。司だ。EXCEEDSの通信オペレーターで、はやての補佐を担当している男だ。落ち着いた低い声で、無駄が少ない。

 

「了解。ゼータ、デルタ。内部の報告を頼む」

俺が言うと、ゼータが応じた。

『棚がある。金属製。四段。全部空。埃の積もり方が均一じゃない。一部だけ拭われてる』

 

拭われている。誰かが触った棚。埃の層が薄い場所があるということは、最近その部分に何かが置かれていたか取り出されたか。

 

『床に傷がある』

ゼータの声が続く。

『鉄板の表面。引っ掻き傷じゃない。重いものを引きずった跡。幅は二十センチ。一定方向に伸びてる。奥に向かって』

 

重いものを引きずった跡。幅が一定。機械的に移動させた痕だ。

 

『固定具の穴もある。等間隔。四つ。床に直接開いてる』

等間隔の穴。何かを床に固定していた。四つの固定点。大きさは——俺は少し前にゼータが撮影した器具の形状を頭の中で重ねた。あの器具は三本の金属の腕で組織片を挟んでいた。だが四つの固定点は、もっと大きな設備を想定させる。

 

『はやて』

『聞こえてる』

はやての声が即座に返った。通信の向こうで端末を操作する音が微かに届く。

『固定具の間隔、測れる?』

『測ってる。七十センチ間隔。四角形』

『七十センチか。うちの標準的な生体収容ユニットの固定間隔と一致する』

はやての声にほんの少し硬さが混じった。標準的な収容ユニット。EXCEEDSが使っている規格と一致する。つまり、この倉庫にあった設備はEXCEEDSと同系統の設計思想で作られている。

 

『ただし、うちの機材やない。番号体系が違う。規格だけが似てる』

はやてはそう付け加えた。規格が似ていることと、同じ組織の機材であることは違う。あいつはその区別を怠らない。

 

『床の溝に何か付いてる』

デルタの声が割り込んだ。低い。あいつの声が低くなる時は、確信に近いものを持っている時だ。

『乾いてる。でも匂いがする。あのデカい奴と同じ匂い。薄いけど確実に』

 

『触るな』

ゼータが即座に制止した。

『分かってるって』

デルタの声に少しだけ拗ねたような響きが混じった。だが手は引っ込めている。衣が擦れる音が通信越しに届く。あいつは言葉で止められても、実際に手を止める。そこは賢い。

 

『床の溝に組織片が付着してる』

ゼータが報告を続けた。

『乾燥してる。でも量は多い。溝の全長に渡って点在してる』

 

『採取して。サンプルは複数箇所から』

はやての指示が飛ぶ。

『了解』

ゼータの端末が動く音が届く。採取容器を取り出す音。慎重に組織片を掬う気配。あいつは作業が丁寧だ。戦闘の時もそうだが、調査の時はもっと丁寧になる。あいつの性格が出る。

 

『ツカサ』

ゼータが呼んだ。

『なんだ』

『この床の溝、一本じゃない。平行に三本走ってる。幅は同じ。深さも同じ』

 

三本の平行な溝。俺は端末の画像を開いた。さっきゼータが送った画像。床の鉄板に刻まれた溝。等間隔で並んでいる。幅は二十センチ。深さは——画像からでは正確には分からないが、浅くはない。

 

三本の平行な溝。その上に何かを載せて、移動させた。重いものを。引きずった跡と一致する。

 

「デルタ」

『なに』

「匂いの分布。倉庫の中で偏りはあるか」

『ある。奥の一角だけ濃い。入口側は薄い。風が入ってくるから薄まってるけど、奥は風が届いてない』

 

奥の一角。匂いが集中している場所。そこに何かがあった。あるいは、今もある。

 

『奥に隔壁がある』

ゼータの声が届いた。

『金属製の壁。床から天井まで。搬入口から二十メートル。隔壁の手前に固定具の穴が集中してる』

 

隔壁。倉庫の中を区切る壁。その手前に固定具が集中している。つまり、隔壁の手前の空間が主な作業場所だった。

 

『隔壁に扉がある。閉まってる。鍵は——ない。取っ手だけ』

ゼータの足音が止まった。扉の前に立っている。

『開ける』

「待て」

俺が言った。声が少し強くなった。自分でも分かる。

「中に何かいる可能性がある。先に観測器で反応を確認しろ」

 

『分かってる』

ゼータの声は淡々としている。あいつは俺に言われる前に確認するつもりだったはずだ。だが俺は言った。現場にいないもどかしさが、余計な指示を口にさせる。

 

『反応、微弱。脈動は検知しない。熱源もない』

ゼータの報告。

『開ける』

今度は俺が言わなかった。ゼータが自分で判断した。あいつは確認が終われば迷わない。

 

扉が開く音が通信越しに届く。錆びた蝶番が軋む。長い間開かれていなかったかのような音だ。だが轍は新しい。扉だけが開かれていなかったのか。

 

『中、暗い。照明を入れる』

懐中灯の光が隔壁の奥を照らす気配。ゼータの足音が中へ進む。

 

『棚がある。隔壁の手前と同じ。でも——小さい』

ゼータの声がわずかに変わった。声のトーンが、ほんの少し上がった。あいつが何かを見つけた時の反応だ。

『奥の壁際。小型の保管設備。金属製。密閉型。大きさは——冷蔵庫くらい』

 

保管設備。密閉型。大きさは冷蔵庫程度。俺は端末の画面を握りしめた。冷たい金属の感触が指に伝わる。

 

『側面に刻印がある』

ゼータの声が続く。

『EX-0742。箱と同じ番号』

 

同じ番号。空箱と同じ。器具と同じ。そして今、隔壁の奥に保管設備がある。同じ番号が振られた設備が。

 

『ハヤテ』

『聞こえてる』

はやての声は静かだ。だが、静かすぎる。あいつが何かを考えている時の静かさだ。

『保管設備の中身、確認する?』

『いや。今は開けるな。中に何が入っているか分からない。密閉型なら特に。専門班を待て』

『了解』

ゼータが応じた。だが、あいつは納得したわけではない。判断として従っただけだ。あいつの声で分かる。

 

『ツカサ』

はやてが俺を呼んだ。

「なんだ」

『大型組織を固定して処置した可能性、高いと思う』

はやては言い切った。総督の判断だ。

『床の固定具、溝の幅、組織片の分布。全部が一致する。巨大個体と同じ系統の組織を、この倉庫で固定して何らかの処置をした。少なくとも、そう考えるのが自然や』

「『だが、巨大個体そのものがここにいたとは限らない」

俺が言うと、はやては一拍置いて応じた。

『そう。組織片だけがここにあった可能性がある。あるいは、もっと小さな個体。大型の組織を採取してここで扱った』

採取した組織を、ここで扱った。誰かが。

 

『司』

『はい』

『調査班を隔壁まで進めて。保管設備の周囲を最優先で確保。隔壁手前の作業区域は現状保存。床の組織片は全量採取』

『了解しました』

司の声が短く応じ、通信が切り替わる音が届く。調査班への指示が飛んでいく。

 

俺は救護車両の縁で端末を置いた。膝の感覚は戻りつつある。だが、まだ立ち上がるわけにはいかない。現場にはゼータとデルタがいる。あいつらが動いている。そして、隔壁の奥にはまだ開けられていない保管設備が残っている。

 

何が入っているのか。誰が置いたのか。なぜ、この場所なのか。

 

問いは増える一方だ。だが一つだけ確かなことがある。この倉庫は、何かの終点ではなく通過点だ。轍はここへ続き、そしてどこかへ続いている。

 

夜風が搬入口から入り、垂れ下がった配線を揺らす音が通信越しに微かに届いた。

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