倉庫の搬入口は、俺の予想よりずっと静かだった。
通信越しに届く音がまず風の音だけになる。鉄板が鳴る音が遠ざかり、代わりに建物の中へ吸い込まれていくような、こもった静けさが流れてくる。ゼータとデルタが中へ入ったのだと、音だけで分かった。
『入った。天井、高い。梁が錆びてる。床は鉄板とコンクリート』
ゼータの声が淡々と状況を伝える。あいつは報告の時に感情を乗せない。だから逆に、声のトーンが少しでも変われば分かる。今は、変わっていない。まだ何も見つけていない。
『広いね。なんか、がらんとしてる』
デルタの声は倉庫の中を歩きながら届く。爪が鉄板を踏む音が一定のリズムで続く。あいつは匂いを探りながら歩いている。歩幅が狭い。索敵の歩き方だ。
『警戒部隊、外周確保。異常なし』
別の声が通信に入った。司だ。EXCEEDSの通信オペレーターで、はやての補佐を担当している男だ。落ち着いた低い声で、無駄が少ない。
「了解。ゼータ、デルタ。内部の報告を頼む」
俺が言うと、ゼータが応じた。
『棚がある。金属製。四段。全部空。埃の積もり方が均一じゃない。一部だけ拭われてる』
拭われている。誰かが触った棚。埃の層が薄い場所があるということは、最近その部分に何かが置かれていたか取り出されたか。
『床に傷がある』
ゼータの声が続く。
『鉄板の表面。引っ掻き傷じゃない。重いものを引きずった跡。幅は二十センチ。一定方向に伸びてる。奥に向かって』
重いものを引きずった跡。幅が一定。機械的に移動させた痕だ。
『固定具の穴もある。等間隔。四つ。床に直接開いてる』
等間隔の穴。何かを床に固定していた。四つの固定点。大きさは——俺は少し前にゼータが撮影した器具の形状を頭の中で重ねた。あの器具は三本の金属の腕で組織片を挟んでいた。だが四つの固定点は、もっと大きな設備を想定させる。
『はやて』
『聞こえてる』
はやての声が即座に返った。通信の向こうで端末を操作する音が微かに届く。
『固定具の間隔、測れる?』
『測ってる。七十センチ間隔。四角形』
『七十センチか。うちの標準的な生体収容ユニットの固定間隔と一致する』
はやての声にほんの少し硬さが混じった。標準的な収容ユニット。EXCEEDSが使っている規格と一致する。つまり、この倉庫にあった設備はEXCEEDSと同系統の設計思想で作られている。
『ただし、うちの機材やない。番号体系が違う。規格だけが似てる』
はやてはそう付け加えた。規格が似ていることと、同じ組織の機材であることは違う。あいつはその区別を怠らない。
『床の溝に何か付いてる』
デルタの声が割り込んだ。低い。あいつの声が低くなる時は、確信に近いものを持っている時だ。
『乾いてる。でも匂いがする。あのデカい奴と同じ匂い。薄いけど確実に』
『触るな』
ゼータが即座に制止した。
『分かってるって』
デルタの声に少しだけ拗ねたような響きが混じった。だが手は引っ込めている。衣が擦れる音が通信越しに届く。あいつは言葉で止められても、実際に手を止める。そこは賢い。
『床の溝に組織片が付着してる』
ゼータが報告を続けた。
『乾燥してる。でも量は多い。溝の全長に渡って点在してる』
『採取して。サンプルは複数箇所から』
はやての指示が飛ぶ。
『了解』
ゼータの端末が動く音が届く。採取容器を取り出す音。慎重に組織片を掬う気配。あいつは作業が丁寧だ。戦闘の時もそうだが、調査の時はもっと丁寧になる。あいつの性格が出る。
『ツカサ』
ゼータが呼んだ。
『なんだ』
『この床の溝、一本じゃない。平行に三本走ってる。幅は同じ。深さも同じ』
三本の平行な溝。俺は端末の画像を開いた。さっきゼータが送った画像。床の鉄板に刻まれた溝。等間隔で並んでいる。幅は二十センチ。深さは——画像からでは正確には分からないが、浅くはない。
三本の平行な溝。その上に何かを載せて、移動させた。重いものを。引きずった跡と一致する。
「デルタ」
『なに』
「匂いの分布。倉庫の中で偏りはあるか」
『ある。奥の一角だけ濃い。入口側は薄い。風が入ってくるから薄まってるけど、奥は風が届いてない』
奥の一角。匂いが集中している場所。そこに何かがあった。あるいは、今もある。
『奥に隔壁がある』
ゼータの声が届いた。
『金属製の壁。床から天井まで。搬入口から二十メートル。隔壁の手前に固定具の穴が集中してる』
隔壁。倉庫の中を区切る壁。その手前に固定具が集中している。つまり、隔壁の手前の空間が主な作業場所だった。
『隔壁に扉がある。閉まってる。鍵は——ない。取っ手だけ』
ゼータの足音が止まった。扉の前に立っている。
『開ける』
「待て」
俺が言った。声が少し強くなった。自分でも分かる。
「中に何かいる可能性がある。先に観測器で反応を確認しろ」
『分かってる』
ゼータの声は淡々としている。あいつは俺に言われる前に確認するつもりだったはずだ。だが俺は言った。現場にいないもどかしさが、余計な指示を口にさせる。
『反応、微弱。脈動は検知しない。熱源もない』
ゼータの報告。
『開ける』
今度は俺が言わなかった。ゼータが自分で判断した。あいつは確認が終われば迷わない。
扉が開く音が通信越しに届く。錆びた蝶番が軋む。長い間開かれていなかったかのような音だ。だが轍は新しい。扉だけが開かれていなかったのか。
『中、暗い。照明を入れる』
懐中灯の光が隔壁の奥を照らす気配。ゼータの足音が中へ進む。
『棚がある。隔壁の手前と同じ。でも——小さい』
ゼータの声がわずかに変わった。声のトーンが、ほんの少し上がった。あいつが何かを見つけた時の反応だ。
『奥の壁際。小型の保管設備。金属製。密閉型。大きさは——冷蔵庫くらい』
保管設備。密閉型。大きさは冷蔵庫程度。俺は端末の画面を握りしめた。冷たい金属の感触が指に伝わる。
『側面に刻印がある』
ゼータの声が続く。
『EX-0742。箱と同じ番号』
同じ番号。空箱と同じ。器具と同じ。そして今、隔壁の奥に保管設備がある。同じ番号が振られた設備が。
『ハヤテ』
『聞こえてる』
はやての声は静かだ。だが、静かすぎる。あいつが何かを考えている時の静かさだ。
『保管設備の中身、確認する?』
『いや。今は開けるな。中に何が入っているか分からない。密閉型なら特に。専門班を待て』
『了解』
ゼータが応じた。だが、あいつは納得したわけではない。判断として従っただけだ。あいつの声で分かる。
『ツカサ』
はやてが俺を呼んだ。
「なんだ」
『大型組織を固定して処置した可能性、高いと思う』
はやては言い切った。総督の判断だ。
『床の固定具、溝の幅、組織片の分布。全部が一致する。巨大個体と同じ系統の組織を、この倉庫で固定して何らかの処置をした。少なくとも、そう考えるのが自然や』
「『だが、巨大個体そのものがここにいたとは限らない」
俺が言うと、はやては一拍置いて応じた。
『そう。組織片だけがここにあった可能性がある。あるいは、もっと小さな個体。大型の組織を採取してここで扱った』
採取した組織を、ここで扱った。誰かが。
『司』
『はい』
『調査班を隔壁まで進めて。保管設備の周囲を最優先で確保。隔壁手前の作業区域は現状保存。床の組織片は全量採取』
『了解しました』
司の声が短く応じ、通信が切り替わる音が届く。調査班への指示が飛んでいく。
俺は救護車両の縁で端末を置いた。膝の感覚は戻りつつある。だが、まだ立ち上がるわけにはいかない。現場にはゼータとデルタがいる。あいつらが動いている。そして、隔壁の奥にはまだ開けられていない保管設備が残っている。
何が入っているのか。誰が置いたのか。なぜ、この場所なのか。
問いは増える一方だ。だが一つだけ確かなことがある。この倉庫は、何かの終点ではなく通過点だ。轍はここへ続き、そしてどこかへ続いている。
夜風が搬入口から入り、垂れ下がった配線を揺らす音が通信越しに微かに届いた。