地下の六名を搬送し終えたのは、夜明け前の暗い時間帯だった。
救助班の掛け声が階段の上で響く。担架が次々と運ばれ、医療班の手へ渡されていく。酸素ボンベの音。静かに鳴る心電図モニター。六人とも生きている。搬送中の容態に急変はない。
俺は階段の途中で立ち止まり、上を見た。空はまだ暗い。だが星の光が薄くなり始めている。夜明けが近い。
「搬送完了まで、あと三分」
ゼータの声が無線から届いた。正確な時間を告げる。彼女は階段の上、搬入口のそばで残りの人数を確認している。
ふいに空気が変わった。
肌を刺すような感覚ではない。もっと深い場所。骨の髄に響くような振動。地面から伝わる脈動が、急に強くなった。
「——来る」
デルタの声。低く短い。彼女は搬入口の外、更地に面した位置で待機していた。鼻先が空へ向いている。尻尾が逆立っている。
地面が割れた。
搬入口から十数メートル離れた場所。更地の中央で、土砂が噴き上がる。巨大な輪郭が、地下から這い上がってくる。人型。だが人ではない。メガヘクスのシルエット。装甲の継ぎ目から黒い組織が覗き、全身に無数の眼が光る。地下で見た個体と同じだ。いや——もっと大きい。
「避難経路の確保が先だ」
無線へ向かって叫んだ。同時に腰のディケイドライバーへ手を伸ばす。
カードを取り出す。白い装甲。巨大な牙。ブレイキングマンモス。防御に特化した形態だ。攻撃を避けて受け止めるには、これが最適だ。
『KAMEN RIDE! BREAKING MAMMOTH!』
白い装甲が全身を覆う。巨大な牙が左右へ伸び、肩と胸を分厚い装甲が守る。重い。だが、この重さが今は必要だ。
巨大個体が動き出した。第一撃が来る。
右腕が鞭のように伸びる。金属と生体組織が混ざった腕が、避難経路の真上を薙ぐ。避難中の救助班がまだ階段を上がっている。攻撃を通すわけにはいかない。
前に出た。両腕を交差させ、牙を盾にする。腕が牙に当たる。重い。衝撃が全身を伝い、足が地面を削る。だが耐えた。
「避難を続けろ!」
叫ぶ。後ろで救助班の掛け声が速くなる。担架が揺れる。医療班が転びかける。それでも階段を上がっていく。
第二撃。今度は左腕。横薙ぎだ。避難経路の反対側から来る。体を回転させ、肩の装甲で受ける。火花が散る。黒い粘液が装甲にへばりつき、焼けるような音を立てる。
「ツカサ、下がって!」
ゼータの声。だが下がれない。避難経路はまだ塞がっている。俺が退けば、攻撃はそのまま階段へ届く。
第三撃。第四撃。連続して来る。腕だけではない。脚部が地面を這い、避難経路の下から突き上げようとする。俺は足を踏ん張り、地面へ体重をかける。牙を地面へ突き刺し、脚部の動きを封じる。
押される。一歩、二歩。避難経路の入口まであと五メートル。ここを越えられたら終わりだ。
「地下の個体の脈動が強まってる」
ゼータの声が無線から届く。冷静だ。だが、内容は悪い。
「地上の個体と連動してる。地下の脈動が強まるたびに、こっちの力も増してる」
つまり、地下の個体を止めなければこの巨大個体も止まらない。だが、今ここを離れるわけにはいかない。
「ゼータ。地下の脈動、妨害できるか」
「……できる。だが、完全に止めるには時間がいる」
「少しでいい。あいつの動きを鈍らせろ」
「分かった」
ゼータの気配が遠ざかる。階段を下りる足音が、微かに聞こえた。
巨大個体の力が増した。地下の脈動が強まったのだ。腕の一撃が重くなる。牙が悲鳴を上げる。足が後退する。避難経路まで、あと三メートル。
「ツカサさん!」
なのはの声。搬入口の上から聞こえる。彼女はもう避難を終えている。だが、ここへ来るわけにはいかない。一般の救助班がまだ残っている。
「下がってろ! まだ終わってない!」
叫び返す。声が届いたかどうかは分からない。だが、なのはの気配が引く。信じてくれている。
二歩、下がった。避難経路まであと一メートル。ここが限界だ。
その時、巨大個体の動きが止まった。
脈動が乱れたのだ。地下からの振動が、不規則に揺れる。ゼータが妨害に成功したらしい。完全ではない。だが、一瞬の隙ができた。
「今だ!」
俺は防御を解いた。ブレイキングマンモスの装甲を維持したまま、前に出る。巨大個体の腕がまだ動きを取り戻せていない。その隙に、俺は避難経路の入口を塞ぐように立ち、両腕を広げた。
「全員、今のうちに上がれ!」
救助班の最後の一人が階段を駆け上がる。担架が揺れ、医療班が続く。足音が遠ざかる。
避難完了の合図が、上から聞こえた。
「全員搬送完了!」
ゼータの声。同時に、地下の脈動がまた強まり始める。妨害が切れたのだ。巨大個体の目玉が一斉に動き、俺を捉える。だがもう避難経路には誰もいない。
「——終わりだ」
ブレイキングマンモスの牙を構える。防御は終わった。ここからは、反撃だ。
巨大個体の腕が振り下ろされる。俺はそれを牙で受け流し、体を回転させて距離を取る。次の一撃に備え、重心を落とす。
夜明けの光が、更地を照らし始めていた。
***
海外へ行くことが決まったのは、それから二日後のことだった。
「移動手段はどうする?」
はやてが会議室で端末を操作しながら聞いた。画面には世界地図が映り、目的地の位置が赤い点で示されている。地球の裏側に近い。距離は遠い。
「オーロラカーテンを使えば、移動時間は短縮できる」
俺は答えた。オーロラカーテン。次元を超える移動手段だ。以前、別の世界で使ったことがある。安定性は高い。だが、今回は——
「飛行機に乗りたい」
デルタが言った。
会議室が静かになった。
全員の視線がデルタへ集まる。デルタは椅子の上であぐらをかき、尻尾を揺らしている。表情は真剣だ。冗談ではない。
「飛行機?」
なのはが確認するように聞き返した。
「飛行機。乗ったことない」
「……乗ったことないから乗りたいの?」
「そう」
デルタは頷いた。堂々としている。
「オーロラカーテンより飛行機の方が面白そう」
「面白さで選んでるの?」
フェイトが少し困った顔で言う。デルタは気にしない。
「移動手段は速さだけじゃない。体験が大事」
「体験……」
はやてが額に手を当てた。頭痛を堪える仕草だ。
「デルタ。飛行機は長時間の移動になる。お前、大人しくできるのか」
「できる」
即答だった。だが、その即答が一番怪しい。デルタは猫の獣人だ。狭い場所が苦手ではないはずだが、長時間じっとしているのは苦手だ。それに——
「窓から外を見たい」
「……それだけ?」
「それだけ」
また即答。だが、尻尾が不自然に揺れている。何か企んでいる時の動きだ。
「デルタ」
俺は名前を呼んだ。
「飛行機の中で暴れるなよ」
「暴れない」
「本当か」
「本当」
嘘だ。この返事は嘘だ。デルタは何かしらやらかす。確信がある。
「なのは。フェイト。シイナ。すまないが、デルタの監視を頼む」
「監視って……」
なのはが苦笑いする。フェイトも肩をすくめる。シイナは黙ってデルタを見ている。目が「面倒なことになりそう」と言っている。
「決まりだな」
はやてが端末を閉じた。
「飛行機で行く。座席は三人分確保する。デルタ、お前は窓際な」
「やった」
デルタの尻尾が大きく揺れた。嬉しそうだ。だが、その嬉しさの裏に何があるのか。分からない。分かりたくない。
「ツカサ先生も一緒ですよね?」
なのはが確認する。
「ああ。同行する」
「よかった」
なのはの表情が少し緩んだ。俺が行くことで安心しているのだろう。戦力としてではなく、知っている人間として。それは悪い気分ではない。
「出発は明日の朝。準備を進める」
はやての号令で、会議は終わった。
部屋を出る時、デルタが横に並んだ。
「ツカサ。飛行機、楽しみか?」
「……ほどほどにしろよ」
「分かってる」
その返事は、やはり嘘だった。