救護所へ着いた頃には夜明け前の闇が薄れ始めていた。
地下から救出した六名はここへ運び込まれそれぞれのベッドに横たわっている。シーツの間から漏れる呼吸音が微かに聞こえる。静かだ。だが穏やかとは言い難い静寂だった。
入口で待っていたのはシャマルだった。長い金髪を束ね医療用の魔方陣を展開しながら患者の容態を確認している。俺が近づくと視線だけをこちらへ向けた。
「ツカサくん。来てくれたのね」
「連絡を受けた。何かあるのか」
「ええ。少しね」
シャマルは手元の端末に記録を呼び出した。画面には搬送された負傷者のリストと症状、処置の内容が並んでいる。
「救護所に運び込まれた患者の記録と、目撃情報が食い違っているの」
「食い違い?」
「搬送時の記録では地下の区画で見つかったことになっているけれど目撃者は別の場所で見たと言っているわ。場所だけじゃない。搬送経路も時間も、少し合わないのよ」
俺は端末の画面を見た。確かに数字が合わない。搬送時間と目撃時間に数分の差がある。搬送経路も目撃場所と一致しない。記録ミスなら小さな問題だがこの状況では無視できない。
「それに」シャマルは声を落とした。「魔力阻害を持つ原種の話、聞いたわ。グレムリン型が見つかったって」
「ああ。笛で魔力を封じた。今回は俺が対処したが」
「ここにも患者がいるの。もし同じ能力を持つ個体が紛れ込んでいたら……私たちの治療魔法も封じられる可能性がある」
俺は頷いた。シャマルの懸念はもっともだ。救護所は負傷者で満杯だ。ここで魔力が使えなくなれば対応が追いつかなくなる。
「患者の様子に違和感はあるか」
「それをこれから確かめたいの」
シャマルは奥のベッドへ歩いた。カーテンで仕切られた区画。中には一人の男性が横たわっている。二十代後半ほどの男だ。右腕と脇腹に包帯が巻かれ顔色は悪いが意識はある。
「少し、失礼するわね」
シャマルがカーテンを開けた。男は目を開け、俺たちを見た。
「……先生か」
「ええ。もう一度診察させてちょうだい。包帯を確認したいの」
シャマルは男の右腕の包帯に手を伸ばした。治療魔法の微弱な光が指先に灯る。傷口の状態を確認するための簡易スキャンだ。
俺はベッドの端に立って観察した。男の表情。痛みの反応。呼吸のリズム。
シャマルが包帯を少しめくった。消毒の匂いが漂う。傷口は浅く治癒が進んでいる。問題ないように見えた。
「ここは、痛む?」
「いや、もう」
男は首を振った。だがその時俺は気づいた。
シャマルの指が傷口の周囲をなぞった瞬間、男の肩が微かに動いた。傷口から離れた場所だ。痛みを訴える場所と身体の反応がずれている。
シャマルもそれに気づいたようだった。視線を男の肩へ移す。
「右肩は痛くない?」
「痛くない」
男の答えは即座だった。だが右肩の筋肉がわずかに強張っている。意識していない反応だ。
「搬送された時のことを聞いてもいいか」
俺が口を挟んだ。男は俺を見る。
「地下で助けられた時のことを覚えているか」
「覚えてる。暗い通路で……壁が崩れて動けなくなって……助けが来た」
「どこで動けなくなった」
「入り口付近。石が降ってきて……」
だが記録では地下の奥深くで発見されたことになっている。男は入り口付近と言った。場所が違う。
シャマルがもう一度包帯に触れた。今度は脇腹の方だ。包帯の下の皮膚に指を滑らせる。
「ここは?」
「痛みはない」
その時だった。
包帯の下で何かが動いた。
シャマルの手が止まる。俺も見た。包帯の表面が微かに波打った。筋肉の動きではない。皮膚の下で別の何かが動いている。
「……先生?」
男が首を傾げる。自分の脇腹の異変には気づいていない。いや気づけないのか。
シャマルの手が離れた。その指先が微かに震えている。彼女は声を上げなかった。だが俺に視線を送ってきた。目が問いかけている。あれを見たか。
俺は頷いた。
周囲には他の患者がいる。ここで正体を暴けば巻き込む可能性がある。
「シャマル」
「ええ。分かってる」
シャマルは男に微笑んだ。静かな声だ。
「消毒をやり直す必要があるわ。奥の部屋へ移りましょう。静かな場所の方が落ち着くと思うの」
「……分かった」
男はベッドから体を起こした。その動きは緩慢だが支障はない。包帯を巻いたまま歩ける。シャマルが背中を支え俺が反対側についた。
廊下を歩く。救護所の奥にある個室へ向かう。シャマルがドアを開け男を中へ促した。
個室の中は狭い。ベッドと簡易な棚があるだけだ。窓が一つ。外へ通じる出口でもある。
男が部屋に入った。俺が最後に続きドアを閉めようとした時。
男の足が止まった。
動きが止まったのではない。止まった。呼吸が消えた。心拍が止まったかのように静かだ。
「……」
男の肩が震えた。震えではない。内側から何かが膨れ上がっている。
肩の皮膚が裂けた。
裂け目から黒い組織が覗いた。いや組織だけではない。目玉だ。濡れた球体が裂け目の隙間からこぼれ出るように現れ左右を見回す。
「下がれ!」
俺はシャマルを押しのけ同時にライドブッカーを抜いた。男の体が揺れた。衣服の下で輪郭が変わる。骨組みが違う音を立てる。人の骨格ではない。
皮膚が剥がれ落ちた。紙のように薄く破れ下にあったものが露わになる。
茶色い外殻。虫の殻を模したような装甲。肩と背中の継ぎ目から黒い原種の組織がはみ出している。左手の鉤爪が不揃いに枝分かれし、両肩からは触手が伸び始めた。
触手には目玉が並んでいた。一つ二つではない。何個もの瞳孔が別々の方向を見ている。
男の顔面の皮膚が最後に剥がれ落ちた。下にあったのは人間の顔ではない。昆虫の頭部に近い構造。だがその表面にも目玉が埋め込まれている。
グリラスワーム。
カブトの世界に現れたワームの一種。人間に擬態し高い戦闘能力を持つ怪人。だが本物じゃない。中身は原種だ。
擬態が解けた瞬間、触手が動いた。両肩から伸びた触手が俺たちではなく部屋の出口へ向かう。
逃げるつもりか。いや違う。救護所へ戻ろうとしている。
俺はライドブッカーを振るった。触手の先端を斬り払う。黒い組織が飛び散り目玉が床に転がった。
「外へ出すぞ!」
俺は原種の体を突き飛ばした。グリラスワーム型原種は抵抗したが後方へ押される。出口のドアが開き外の空気が流れ込んだ。
原種は足を踏ん張った。だがその場から離れる。救護所の建物から数十メートル離れた場所まで押し出した。
その瞬間、視界から消えた。
音もなく姿が消えた。瞬間移動。だが遠くへ行ったわけではない。
背後で風が動いた。
「来る!」
俺は振り向いた。グリラスワーム型原種が俺の背後にいた。救護所の方向を向いている。俺を通り越して中へ戻ろうとしている。
シャマルがドアの向こうに立っていた。治療器具を抱えている。周囲には他の患者の気配もある。
シャマルを守らなければならない。だがシャマルはそれを分かっている。彼女はすぐに動いた。
「私は中を守るわ。負傷者を避難させる」
「頼む!」
シャマルはドアを閉めた。重い音が響く。彼女は中で動き始めた。治療魔法の光が窓の隙間から漏れ始める。
俺はグリラスワーム型原種と向き合った。
高速移動。触手。鉤爪。正面と背後の両方に目玉があり視界を逃さない。通常のスピードでは対応できない。
ならばスピードで上回るしかない。
俺はネオディケイドライバーへカードを装填した。
『KAMEN RIDE KABUTO』
赤と黒の装甲が体を覆う。カブトの姿。角が正面へ伸び複眼が闇を捉える。
同時にシャマルの声が心の中で響いた。念話だ。
「患者の避難を始めた。周囲への被害は最小限に抑えて」
「分かった」
短く答える。窓の外で人影が動く。シャマルが負傷者を連れて建物の奥へ移動させている。彼女なら任せられる。
俺は原種に向き直った。触手が二本伸びてくる。一本は正面から、もう一本は横から。鉤爪が俺のライドブッカーを狙って振り下ろされる。
俺はそのまま瞬時に。
『ATTACKRIDE CLOCKUP』
俺は触手の軌道を見た。右から来る一本と左から来る一本。鉤爪の振り下ろし。三つの攻撃が同時に迫っている。
だが見える。止まっているかのように見える。
俺は最初の触手をかわした。次に鉤爪を足で払う。最後の触手をライドブッカーで斬り裂く。
グリラスワーム型原種の全身の目玉が一斉に開いた。俺を捉えようとしている。触手の目玉も本体の目玉もすべての瞳孔が同じ方向を向く。
クロックアップした俺を捉えようとしているのか。それとも次の攻撃を探しているのか。
俺は救護所への進路を塞ぐように立ち、ライドブッカーを構えた。
次はこちらから行く。
触手の目玉が再び別々の方向を見始めた。背後と正面。シャマルと俺。両方を同時に狙っている。
時間は伸びている。だが永遠ではない。