目が覚めた時、天井が白かった。
消毒の匂い。柔らかい枕。安静にしろと言われた記憶はある。だが言われたのは誰だったか。シャマルか。はやてか。それともゼータか。
体が動かない。
動かそうとしたのではない。動かなかった。指一本、動かそうとするだけで肩から腕にかけて鈍い痛みが走る。電気が抜けた後のような痺れと、筋肉が燃えた後のような熱さが混ざっている。
ライジングペガサスの反動だ。
超感覚特化のフォームを限界まで使った代償。制限時間三十秒を最後まで使い切った。体は無事だが神経系が過労を起こしている。シャマルの診察では二、三日で動けるようになると言われた。だが今は動けない。
天井の白さだけが目に入る。
窓の外は夜だ。だが時間は分からない。戦闘が終わったのが昼前だったはずだ。それから何時間が経ったのか。
俺は目を閉じた。
考えるのは次だ。
サジタリウス型原種を倒した。矢を分裂させる能力は失われた。だが、これで終わりではない。
メガヘクス型。ドラス型。ゴルトフェニックス型。グレムリン型。グリラスワーム型。サジタリウス型。六体の原種を倒してきた。それぞれが別の怪人の能力を取り込んでいた。
財団Xの関与は確定している。だが実験の主導者はまだ分からない。原種自身の変化なのか、外部からの改造なのか。六体の個体からだけでは断定できない。
次に来るのは何だ。
分からない。だが来る。財団Xが関与している以上、次の個体が作られる可能性は高い。そして次はもっと厄介な能力を持っているかもしれない。
俺は天井を見つめたまま、指を動かそうとした。
右手の指が、わずかに動いた。動いたが、それだけだ。握ることはできない。ライドブッカーを持つことはできない。カードを装填することもできない。
この状態で次の原種が来たら。
考えないことにした。考えるだけ無駄だ。動けない時に何が来ても同じだ。今は休むことしかできない。
目を閉じる。
静かだ。医療室の空調が低く唸っている音だけが聞こえる。誰の声もしない。デルタもゼータもイータもいない。別の場所で休んでいるか、あるいは報告のために動いているか。
少し眠ったかもしれない。
目が覚めた時、天井は変わっていなかった。同じ白さ。同じ消毒の匂い。だが体の感覚が少し変わっていた。肩の痛みが少し薄くなっている。指が動く範囲が少し広がっている。
回復している。ゆっくりだが確かに。
俺はもう一度目を閉じた。
次の原種。次の怪人の能力。次の戦い。
何が来ても、倒す。それだけだ。俺は通りすがりの仮面ライダーだ。通りがかる世界を、通りがかる敵を、その都度倒していく。それが俺のやり方だ。
だが、通りがかる前に動けなくなったら。
考えないことにした。
ドアが開く音がした。
静かに開く音ではない。勢いよく開く音。滑りが悪いのか、それとも開けた人間の力が強すぎるのか。
「ボス!」
声が飛び込んできた。
デルタだ。
犬科の獣耳が立ち上がり尻尾が揺れている。だがその揺れ方は嬉しそうではない。焦っている。
「ボス、起きてる!?」
「起きてる。静かにしろ」
「静かにしてる」
全然静かにしていない。デルタの声は医療室の壁に反響している。
「何があった」
「次が来た」
俺は天井を見た。白い天井。動けない体。次の原種が来た。
「何だ」
「分からない。でも出てる。ゼータが感知した」
俺は体を起こそうとした。肩が痛む。腕が動かない。だが——
「ボス、まだ動いちゃダメだって。シャマルさんが」
「分かってる」
動けない。分かっている。頭は動いているが体がついてこない。
「状況は」
「分からない。ゼータが呼んでる。でもボスは——」
「デルタ」
俺は遮った。
「お前が行け。俺は動けない」
「でも」
「いいから行け。ゼータとイータを頼む。俺はここで待つ」
デルタは唇を噛んだ。尻尾が止まる。だが、頷いた。
「分かった。あたしが行く。ボスは休んでて」
「ああ」
デルタが踵を返す。ドアへ向かう。だが、一歩目で振り返った。
「ボス」
「なんだ」
「あたしが倒すから。待ってて」
「ああ」
デルタは頷いて、ドアを出ていった。
静かになった。また医療室の空調音だけが残る。
俺は天井を見た。
動けない。体が動かない。次の原種が出ているのに、俺はここで寝ているしかない。
腹が立つ。だが今はそれを飲み込むしかない。
デルタが行った。ゼータが感知している。イータが解析している。三人で対応してくれる。信じるしかない。
目を閉じた。
少し、眠ったかもしれない。
次に目が覚めた時、ドアが開いていた。
デルタが立っていた。
「ボス」
「戻ったか。状況は」
「終わった。ゼータとイータがやった。あたしは囮だった」
「怪我は」
「ない。ちょっと掠っただけ」
「そうか」
俺は息を吐いた。
「ボス、あのね」
「なんだ」
デルタが近づいてきた。ベッドのそばに立つ。尻尾が揺れている。だがその揺れ方がおかしい。興奮しているのではない。何か別の感情だ。
「あたしね、ボスが動けなくても大丈夫だったんだよ」
「ああ。知ってる」
「違うの。あたしが大丈夫だったんじゃなくて、あたしがいればボスは大丈夫だって、思ったの」
俺はデルタを見た。
「あたしがボスを守れるって、思ったの。初めて、そう思った」
デルタの目が光っていた。犬科の瞳が濡れている。
「ボスがいつもあたしを守ってくれるの、分かってる。でもあたしも、ボスを守れるんだって——」
デルタの声が震えた。尻尾が止まる。
俺は何も言えなかった。体が動かないからではない。喉が詰まったからだ。
「だから、あたし、ボスのそばにいるね。ボスが動けるようになるまで、あたしが守るから」
デルタが俺の手を握った。
俺の手は動かなかった。だが、デルタの掌の温かさは感じた。
「…ああ」
短く答えた。それしか言えなかった。
デルタは笑った。尻尾がまた揺れ始める。
「じゃあ、ボス。休んでてね。あたしがそばにいるから」
デルタがベッドの端に座った。
俺は目を閉じた。
デルタの体温が隣に感じられる。安心した。その安堵が、俺の意識を急に引き下ろした。
体が重くなる。眠気が来る。戦闘の疲労が一気に戻ってくる。
デルタの声が遠くなる。
「ボス? ねえ、ボス」
聞こえている。だが答えられない。
意識が沈む。
最後に感じたのは、デルタの掌の温かさと、尻尾が揺れる音だけだった。