悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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立ち籠もる匂い

光写真館の扉を開けた瞬間、ツカサは反射で半歩引いた。肺が拒絶する匂いが、先に結論を出す。焦げた金属、薬品、甘ったるいゲル――それらが混ざって、喉の奥に膜を張った。

 

廊下の奥から小さな排気音が聞こえる。必死に回っているのに、空気はちっとも軽くならない。写真館としての気配は、看板と入口の段差だけが辛うじて主張している。中身は完全に研究所だった。

 

「ボス! ここ……なんか……すごい!」

 

デルタが目を輝かせた。咳き込みながら、なぜか感心している。ツカサは額を押さえたくなる。

 

「すごいじゃねぇ。住めねぇだろ、これ」

 

ゼータは黙って室内を見回し、淡々と結論を出す。

 

「住居の定義が崩壊している。撤退を提案する」

 

撤退――その言葉が妙に現実的に聞こえるのが嫌だった。ツカサは舌打ちを飲み込み、机の上の“それ”に目を止める。碧眼を思わせる宝石片。ジュエルシードの破片だ。ローマ数字の刻印が、残った街灯の光を拾って薄く光っている。触れたくないのに、目が吸い寄せられる。

 

破片の傍で、イータがピンセットを動かしていた。眠そうな瞼のまま、指先だけが異様に正確だ。

 

「換気……必要……」

 

イータが顔も上げずに言う。ツカサは即座に返す。

 

「お前、まず言うことそれかよ。……ここ、住む場所だぞ。研究所じゃねぇ」

 

イータはピンセットを置くと、ポケットから紙束を出した。温泉の成分表。泉質、含有成分、効能――やたら細かい。

 

ツカサは目を細める。

 

「……なんでそんなもん持ってんだ」

 

イータは真顔で広げ、短く区切って言う。

 

「隔離……大量の水……成分……緩衝……」

 

ゼータが覗き込み、静かに頷く。

 

「理屈は成立する。ジュエルシードは魔力の結晶で、周囲の願望に反応して暴走しやすい。破片にも残留反応がある可能性が高い。ここで続ければ、空間ごと巻き込む危険がある」

 

デルタは難しい話についていけていない顔のまま、別の角度から核心を突く。

 

「温泉って……ごはん、ある?」

 

イータの目がほんの少しだけ開く。微妙に嬉しそうに見えるのが腹立たしい。

 

「ある……朝夕……豪華……」

 

デルタが拳を握る。

 

「行く!」

 

「決めるな!」

 

ツカサが咄嗟に突っ込むと、ゼータが淡々と追い打ちをかける。

 

「ボスが止めないなら決定だ。止めるなら今しかない」

 

ツカサは言い返しかけて、写真館の惨状をもう一度見た。ここで実験を続けられるのは困る。街にまで波及する可能性もある。なら、外へ出すしかない。理屈ではそうなる。

 

だが――。

 

ツカサはイータを見た。温泉の紙を眺める彼女の指先が、妙に迷いなく「露天」の欄をなぞっている。説明の声は淡々としているのに、そこだけ間が軽い。何度も旅をしてきたツカサには分かる。これは「安全のため」だけじゃない。

 

(こいつ……実験の顔して温泉行きたいだけだな)

 

言うと意地を張る。止めれば別の名目で出ていく。なら、こちらが主導権を握って、安全に運ぶ。ツカサはそういうやり方を、いくつもの世界で覚えてきた。

 

ツカサは短く結論を出した。

 

「……分かった。行く。だが実験は最小限だ。あと、写真館はこれ以上壊すな」

 

イータの返事は、いつもより半拍早かった。

 

「了解……最小限……」

 

ゼータが小声で呟く。

 

「最小限(実験)で最大限(湯)だな」

 

デルタはもう出発のテンションだ。

 

「温泉! ごはん! 寝る! 最高!」

 

ツカサは溜め息を吐いた。

 

「……お前ら、ほんと好き勝手だな」

 

ゼータはあっさり肯定する。

 

「けど、こういうのは結構久し振りかもね」

 

イータが小さく頷いた。その頷きが妙に頼っているように見えて、ツカサは視線を逸らした。

 

――

 

翌日。温泉宿へ向かう道中、デルタは前を走り、ゼータは地図を確認し、イータはパンフレットを読んでいた。ツカサは一歩後ろで三人を眺める。見た目だけなら自分が一番年下で、デルタが一番大人に見えるのが滑稽だ。中身は逆だ。デルタはでかい子犬で、ゼータは冷静な補助輪で、イータは危険な天才だ。

 

ツカサはわざと刺すように言った。

 

「……イータ。お前、妙に手慣れてるな。実験の準備、気合い入ってんな」

 

イータはパンフを閉じずに返す。

 

「当然……実地試験……」

 

デルタが振り返り、鼻を鳴らした。

 

「ボス! 温泉って強くなる? ごはん食べたら強くなる?」

 

ゼータが真面目に答える。

 

「強くなる。精神の余裕が戻る。余裕は判断力だ。判断力は生存率だ」

 

ツカサは正論にツッコミ損ね、代わりにデルタの頭を軽く小突いた。

 

「お前はまず落ち着け。宿で騒ぐなよ。俺の教師生命が死ぬ」

 

デルタが即座に敬礼みたいな動きをする。

 

「はい! ボス!」

 

その後ろで、イータが風に溶けるくらいの声で呟いた。

 

「露天……最高……」

 

ツカサは聞こえなかったことにした。聞こえたことにすると、負ける。

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