悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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温泉の後の安らぎ

湯上がりの温泉街ってのは、やたらと平和な顔をする。提灯の赤が夜の角を丸くして、湯気が空気の棘を全部溶かしたみたいに見せてくる。下駄の音が乾いて響くのも、笑い声が遠くで跳ねるのも、全部「日常」に分類していい気がする――そういう気にさせるだけだ。俺は何度も見た。こういう“平和っぽい皮”の下に、薄く刃が仕込まれてる夜を。

 

「ボス! 飲み物! 飲み物、いっぱいある!」

 

隣でデルタが自販機に張り付いて、目を輝かせてる。見た目だけなら、俺より余裕で年上。浴衣姿でも体格がちゃんとしてるし、肩幅もある。なのに中身は、だいぶ子どもだ。いや、子どもって言い方は子どもに失礼か。子どもはもう少し空気を読む。こいつは読む気がない。

 

「一本だ。腹冷やすぞ」

 

小銭を指で弾いて、釘だけ刺す。声はいつも通り、雑に。わざわざ優しくする必要はない。甘やかすとつけ上がる。ただ、きつく締める必要もない。デルタは“止められる”って分かってる。だから、止め方は最小でいい。

 

デルタの指が二本目のボタンに行きかける。勢いだけで。俺はため息もつかない。視線だけを横に流す。たったそれだけ。デルタの肩がぴくっと止まる。指が宙で固まって、しぶしぶ一本目へ戻る。

 

……そう、それでいい。言葉で殴るより、目で止まるほうが楽だし、速い。

 

「うぅ……一本……」

 

「文句言うな。選べ」

 

デルタは悩みに悩んで、結局コーヒー牛乳のボタンを押そうとする。こいつ、甘いの好きなくせに、妙に渋い顔をして選びたがる。背伸びする年齢でもないのに。

 

そのとき、自販機の前にもう二人、影が落ちた。

 

金髪の少女と、大人の女。いや、女のほうも金髪だ。人間態のアルフ――そう呼ぶべきなんだろうが、俺はまだ名前を知らない。二人とも浴衣じゃない。観光客に見えるようで見えない。足の置き方が、戦うやつのそれだ。

 

女のほうが、俺じゃなくデルタに視線を固定した。ほんの一瞬。だが、十分だ。警戒。しかも「知ってる」警戒だ。初見の警戒じゃなく、噂を飲んで来た目。

 

少女のほうは俺を見た。俺の背丈と顔を見て、それからデルタを見た。視線が往復して、最後に俺に戻る。分かりやすい誤解が浮かんでる。“小柄なやつが大人を従えてる”。つまり、俺が主で、デルタが従者。そこまでは合ってる。問題は、その先だ。“危険な指揮官”に分類された。

 

……まあ、否定はしない。危険じゃない指揮官なんて、死んでるだけだ。

 

少女が自販機のボタンへ手を伸ばす。デルタも同じボタンへ手を伸ばしていて、指先が触れそうになった。触れない。少女は反射で引いた。速い。戦闘者の反射だ。手を引く動作ひとつで、日常のふりが剥げる。

 

デルタが眉を吊り上げる。

 

「……取るの?」

 

「取らねぇよ」

 

俺が先に言った。デルタにじゃない。空気に向けて。ここで火花を散らすと、温泉街が台無しになる。台無しになって困るのは俺じゃない。巻き込まれる一般人だ。

 

だが、デルタは“空気”を読む前に“匂い”を読む。目の前の女が自分を警戒してるのを感じたんだろう。デルタの肩が前に出かける。喧嘩の姿勢。俺は視線だけでデルタを刺す。

 

止まれ。

 

デルタの動きが硬直する。前に出ない。出られない。舌打ちでもしてやりたいが、してやるほどの手間でもない。

 

女が半歩、少女の前へ入った。守る立ち位置。護衛だ。こっちはデルタを止めたつもりでも、向こうから見れば“俺がデルタを一瞬で制した”ように映る。少女の警戒が一段上がるのが、目の色で分かる。

 

……ほんと、主従ってのは便利な誤解を生む。

 

女が口を開く寸前で、デルタが我慢できずに言った。

 

「ボス! こいつら、気に入らない!」

 

声がでかい。温泉街で言うな。せめて声量を半分にしろ。俺はデルタを見ない。見たら、デルタが勢いでさらに言い返してくる。視線を動かさず、ただ瞳の圧だけを増やす。

 

デルタが「うっ」と喉を鳴らして口を閉じた。代わりに頬を膨らませる。子どもか。

 

少女は無言だ。だが、無言のまま間合いを測ってる。俺の視線、デルタの指先、女の立ち位置。全部を一度で記録しようとしている。慣れてる。慣れてるが、まだ浅い。深い戦場の匂いじゃない。切羽詰まった焦りが先に立ってる。

 

女のほうは俺に視線を寄越す。まっすぐじゃない。横目で、隙を見てくる。護衛が一番嫌うタイプだ。護衛は主の“正面”だけを見たい。正面以外を見なきゃいけない時点で、相手を危険だと判断している。

 

「……自販機で喧嘩すんな」

 

俺が言う。軽口に見せて、線を引くための言葉だ。ここはリングじゃない、って意味を含める。

 

デルタがぼそっと言う。

 

「……一本だけ、きびしい」

 

「うるせ。一本で満足しろ」

 

その会話が、たぶん致命的に“親子っぽく”響いた。少女の目が一瞬だけ揺れる。理解できないものを見る目だ。俺がデルタを従え、デルタが俺に文句を言い、俺が軽く返して止める。命令と信頼が混じってる。あの目は、「暴力」じゃなく「統率」を見たときの警戒だ。

 

自販機ががこん、と音を立てて瓶を吐き出した。デルタが勢いよく取る。取って、危うく滑らせる。指先が甘い。手元が子ども。落ちる、と思った瞬間――女が反射で手を伸ばして瓶を支えた。

 

一瞬、空気が止まった。

 

助けた。敵を助けた。しかも護衛が反射で。

 

デルタが瓶を見て、それから女を見て、ムッとした顔のまま、目だけ少しだけキラッとする。助かったのが嬉しい、って目だ。態度は強がりなのに、目が正直すぎる。

 

「……別に、助けなくても取れたし」

 

「落としてた」

 

俺が淡々と訂正する。デルタは「うぐ」と詰まる。女は何も言わない。言わないが、口元がほんの僅かに動いた。笑いかけたのを、すぐ引っ込めた動き。自分でも「いまのは不味い」と思ったんだろう。

 

少女が女を見上げて、短く首を振る。ここで揉めない、という合図。女も頷いて、半歩下がる。護衛は主の判断に従う。主従が、また反対側でも見えた。

 

……なるほど。見た目が正反対でも、やってることは同じだ。

 

少女はボタンを押し、飲み物を取って、何も言わずに去ろうとする。女が後ろにつく。去り際、女がデルタを一瞥した。覚えた、という目。デルタも同じ目で返す。犬の睨み合いにしか見えない。人間態のくせに。

 

俺は追わない。追えば、戦いになる。戦いにする理由がまだ薄い。薄いのに戦うほど、俺は暇じゃない。もっと言えば、温泉の湯気を血で汚す趣味はない。

 

「……気に入らない」

 

デルタが背中に向かって小さく言う。さっきより声が小さい。学習してる。少しだけな。

 

「はいはい。帰るぞ」

 

俺は歩き出す。デルタもついてくる。だが、足取りは落ち着かない。デルタは瓶を握ったまま、何度も後ろを見ようとする。俺はそれを目だけで止める。

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