悪魔と呼ばれ慣れて 3rd   作:ボルメテウスさん

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温泉街の戦い

温泉宿の夜は、やけに無防備だ。提灯の灯りが湯気に溶けて、下駄の音が石畳をころころ転がり、酔っぱらいの笑い声が「世界は今日も平和です」と雑に宣言している。俺はその宣言を、まともに信じたことがない。信じた奴から順に痛い目を見る。だから俺は、旅の癖みたいに視線だけ遊ばせたまま、戦う理由が生まれる前の空気を嗅いでいた。

 

少し離れた川沿い、温泉街の外れ。灯りの薄い場所で、二つの影がぶつかり合っている。片方は金髪の少女と、狼みたいな気配をまとった相棒。片方は――俺の生徒。いや、正確には「生徒のはずの」少女が、どう見ても日常に置くべきじゃない格好で、必死に踏ん張っている。魔法だの何だの、いまだに頭の中でラベルがつかない現象を前にしても、俺の中の結論はいつも同じだ。

 

「……ガキが、ガキの喧嘩やってる場合かよ」

 

口に出してから、俺は自分の言葉の雑さに少しだけ舌打ちした。違う。あれは喧嘩じゃない。喧嘩なら負けても泣き寝入りで済む。あれは、負けたら何かが壊れる種類のやつだ。しかも壊れるのは当人だけじゃなく、周りもまとめて持っていかれる。そういうのを俺は、いくつも見てきた。だからこそ、余計な介入はしたくない。今のあの二人に必要なのは、第三者の正義感じゃない。自分の足で立つための痛みだ。

 

――だから、本来なら俺は“見守る”だけでいい。邪魔しない。世界を増やさない。

 

そのはずだった。

 

背中の皮膚を、針でなぞられたような感覚が走る。視線だ。しかも、戦いに向ける視線じゃない。勝ち負けを測る目でも、誰かを救おうとする目でもない。もっと薄汚い、腹の奥から湧いたような……食欲の目。

 

俺は視線を上げず、ガラスの反射に映る屋根の縁を拾った。提灯の光で影が濃くなる、その境目に、影より黒い影がいる。人の形をしているのに、人の重みがない。足場に対して姿勢が軽すぎる。落ちても平気だと言っているような体の乗り方だ。

 

そいつは、戦いを見ていた。なのはでもフェイトでもなく――“戦いそのもの”を、舌なめずりするように。

 

「……観客かよ。最悪だな」

 

俺が呟くと、その影が、笑った気配だけを落とした。声は届かない。届かなくていい。ああいうのは、声が届いた時点で面倒が増える。問題はひとつ。あいつが次に何をするかだ。

 

影が、屋根の縁から一歩、空へ踏み出した。落下じゃない。滑るような移動だ。あの戦場へ、真っ直ぐ降りる角度。つまり――介入する。

 

俺の中で、何かがカチッと切り替わった。温泉の匂い、笑い声、下駄の音。全部、背景に押しやられる。代わりに残るのは、戦場の構図だけ。誰が中心で、誰が縁で、誰が外から壊しに来るか。外から壊す奴を許した瞬間、中心で必死なガキの努力は、努力じゃなく“見世物”になる。

 

「……冗談じゃねぇ」

 

俺は一歩、影の進路へ踏み出した。わざと灯りのある場所を通る。目立つ? 構わない。目立つのは俺だ。あの二人じゃない。俺が目立って、俺が嫌われて、俺が殴られるなら安い。そういう役回りは、もう慣れた。

 

影がこちらを見た。いや、“見た”というより、味見するように視線を寄越した。胃の奥が冷える。あいつの飢えは、たぶん本物だ。腹が減ったって言いながら人を食う手合いの飢え。俺はそれを、何度も別の世界で見てきた。飢えは言い訳になる。飢えは正義にもなる。だからこそ厄介だ。

 

「おい」

 

俺は屋根を見上げず、声だけを投げた。返事があるかどうかはどうでもいい。言葉は、相手に向けるというより、自分の線引きを確かめるために吐く。

 

「そこから先は立ち入り禁止だ。観客席は閉鎖。帰れ」

 

影が、笑った。今度は確かに、喉を鳴らすような気配がした。空気が一段ぬるくなる。温泉のぬるさじゃない。生き物の内臓に近いぬるさ。俺の中の嫌悪が、じわりと立ち上がる。

 

「……ツカサ」

 

背後からゼータの小さい声がした。こいつも気づいてたらしい。けど、俺は振り返らない。振り返った瞬間、あの影が加速する。あいつは、他人の視線の隙を食うタイプだ。

 

「来るな。ここは俺が止める」

 

「分かった。……でも」

 

「でも?」

 

「全く、面白がっている場合? あの子達を護るためにも、こっちを見ないと」

 

ゼータの言い方は、いつもより棘があった。怒ってるんじゃない。嫌悪だ。観客に向ける、正しい種類の嫌悪。俺はそれに少しだけ頷いた。言葉はいらない。余計な音は増やしたくない。

 

影が、戦場のほうへ身体を傾けた。今にも滑り落ちそうだ。俺は腹の底で笑った。笑い方を忘れてない自分に、少しだけ安心する。怒りがあるってことは、まだ“人間側”に立ててるってことだ。

 

「……お前、飢えてるなら俺にしとけ。あの二人に触ったら、叩き潰す」

 

言いながら俺は、懐に手を入れた。布の感触の奥、いつもの重み。ネオディケイドライバー。これを出した瞬間、もう“日常”には戻れない。温泉回の空気は割れる。提灯の灯りは戦場の照明になる。けど、割らせる相手を間違えるよりはマシだ。

 

俺はベルトを握り、腰に当てて構える。影が、ようやくこちらへ注意を向けた。戦場から視線が外れた。その一瞬で十分だ。なのはとフェイトの戦いは、まだ続けられる。邪魔者がいなければ。

 

「……変身」

 

ネオディケイドライバーにカードを差し込む。乾いた機械音が、温泉街の夜に冷たい線を引く。

 

『KAMEN RIDE! DECADE!』

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