湯気の匂いってのは厄介だ。頭を鈍らせるくせに、危険だけは妙に鮮明にする。温泉街の灯りが川面に揺れて、遠くでなのはとフェイトの戦いが続いているのが見えた。俺はそっちを“眺めてる”フリをしながら、実際は見張っていた。全く、面白がっている場合? あの子達を護る為にも見ないと。
その視界の端に、もう一つの影が滑り込む。木立の影から現れた男――いや、空腹そのものみたいな気配。手にしている武器は三叉の刃で、振るたびに水気を含んだ夜気が裂け、波みたいな圧が立つ。槍術というより、回転する飢えだ。
「上質だなァ。お前の“力”。……先にお前を喰って、次はあの二人だ。甘いのと苦いの、両方揃ってる。最高じゃねぇか」
人を食い物扱いする目。あの類の目は、何度も見てきた。世界が違っても、醜さだけは同じ形をしている。
俺はネオディケイドライバーを構え、カードを滑り込ませた。
俺の視界が夜を切り取る。赤紫のフチで世界が区切られた瞬間、温泉の灯りすら冷たく見える。相手は三叉刃を捻るように回し、波濤みたいな斬撃を連ねてきた。俺はライドブッカーをソードモードで抜いて真正面から受ける。刃は重い。水を纏った一撃が骨まで叩く。だが折れない。鉄の棒を斬り続けても刃こぼれしない、あの頑強さは、今も変わらず頼りになった。
受けながら測る。踏み込みの癖、肩の入り方、回転の終わり際の隙。――そして、違和感。斬られてる感触は薄い。傷も浅い。なのに、腕の中身が“軽くなる”。血が抜けるのとは違う。熱が奪われるのとも違う。もっと直接的に、出力そのものが削られる感じだ。
(……なんだこれ。吸われてる?)
頭の中で、いくつかの例えが勝手に並んだ。怪人に触れられた瞬間、生命力を抜かれるタイプ――キバのファンガイアみたいな“生きる力”を齧る連中。あるいは、相手のエネルギーを奪って自分のものにする寄生型――電気だの力だのを吸って強くなる怪人は、どの世界にもいた。剣で斬ってるように見せかけて、実際にやってるのは“攻撃”じゃなく“収奪”。そういう手口だ。
「分かったぞ……てめぇ、切ってるんじゃなく、抜いてやがる」
「分かるか? 分かるよなァ。喰えば喰うほど、俺は満ちる。強欲で暴食。似合うだろ?」
似合うかどうかは知らん。ただ、放っておけば“次はあの二人”になる。なら、こいつを舞台から引き剥がすしかない。俺は一歩下がって、カードを弾いた。
『KAMEN RIDE GHOSTレッツゴー!覚悟!ゴ・ゴ・ゴ・ゴースト!』
空気が薄くなる。身体が“服”みたいに軽くなり、輪郭が曖昧になる感覚。物理が当たらない――そう思った瞬間、相手の口角が上がったのが見えた。
「いいねぇ、その顔。逃げるだけか?」
来る。正面から。こいつは“逃げ道”に飛びつく。俺は瞬時にライドブッカーをガンモードへ切り替え、近くの木を盾にしながら光弾を連ねた。ライドマーカーでマーキングし、弾道を“追尾”に変える。木立の隙間を抜ける光が、相手の肩口を狙って曲がる。だが、三叉刃の回転がその導線を乱し、光弾が空中で割られた。動きが荒いのに、必要なところだけ正確で、腹が立つ。
俺は“すり抜け”で距離を詰めるつもりだった。なのに、刃が俺の胸を掠めた瞬間、内側がきしんだ。傷はない。だが、力が落ちた。まるで、エンジンの回転数だけを勝手に下げられたみたいに。
(……当たってないのに、持っていかれた)
確信が固まる。こいつは物理を殴ってるんじゃない。エネルギー、出力、俺の“戦うための何か”を直接舐め取っている。ゴーストのすり抜けは、物理には強い。けど、相手が“力そのもの”を掴めるなら話が違う。つまり、俺が知らないルールで喧嘩してる。
有絵海燕が愉快そうに舌を鳴らした。
「やっぱり上質だ。お前は味が変わる。喰っても喰っても底が見えねぇ。……次はあの二人も喰って、その後は――」
その瞬間、頭の奥で何かが切れた。温泉の匂いも、灯りも、湯気も消える。残るのは、あいつの言葉の汚さだけだ。
「欲しいなら、くれてやるよ」
俺はカードをもう一枚、躊躇なく弾く。
『FORM RIDE GHOST TOUCON BOOST!』
軽さが、熱に変わる。派手な炎じゃない。圧だ。魂の圧縮みたいな、息が詰まるほどの濃度。逃げるための幽霊が、殴り倒すための幽霊になる。相手の目が一瞬だけ揺れた。怖がったんじゃない。理解できないものを前にした目だ。暴食は、理解より先に口を開ける。
「来いよ。喰え。……吐くなよ」
俺はカードを叩き込む。
『FINAL ATTACK RIDE GO GO GO GHOST!』
オメガドライブブースト。蹴りが“突っ込む”んじゃなく、“押し潰す”質量で落ちていく。正面から受け止めに来た有絵海燕は、笑っていた。炎なら消せる? 吸えば勝てる? 勝手にそう思ってろ。俺は“熱”をぶつけてるんじゃない。“限界”をぶつけてる。
刃が、俺の蹴りに触れた。吸収が走る。――だが、吸い込みが追いつかない。飲み込んだ力が、相手の中で暴れ、逃げ場を探して膨張する。満ちるんじゃない。満ちすぎる。口を開けたまま噛み切れなかった獣の腹が、内側から裂けるみたいに。
音が遅れて追いついた。火花でも衝撃波でもなく、空間が一度“詰まり”、次にほどける。男の身体が弾けたというより、抱えた力に置いていかれた。
有絵海燕は膝をつき、白目を剥くように倒れた。気絶。暴食の末路としては妥当だ。俺はライドブッカーを開き、カードを引き寄せる。倒した存在を封じるのは、ディケイドの悪趣味な才能――だが今は、必要な悪趣味だ。
「……飢えは、舞台の外でやれ」
カードを収め、視線を遠くへ戻す。なのはとフェイトの戦いはまだ続いている。俺の仕事も、まだ終わっていない。